野巫の祭 60
野巫の祭 60
先に口を開いたのは救急隊員だった。
「正直、わからないことだらけです。まずは高瀬さんの体の状態、これが一番です。そして通報をして我々が到着した時にいた女性。この女性が何者なのか。」
「そ、そうですね。」
そうだ。
わからないことだらけなんだよ。
救急隊員は続けて言った。
「高瀬さん。先ほど我々は帰ると言いましたが、本当に体は大丈夫なのですか。細かいことでもいいですが気になるところはありませんか。」
「はい。どこも痛みもありませんし、気分も悪くはありません。もう立って歩けると思います。」
「病院へ行って調べてもらいませんか。ご自身の体のことですからね。」
「いいえ。大丈夫です。」
「そうですか。わかりました。でも明日には必ず病院へ行って診てもらってくださいね。」
「はい。そうします。お騒がせしてすみません。」
「いえいえ、すまないことなんてありませんよ。」
「しかし、無駄足をさせたことになりますし⋯」
言葉に詰まると、救急隊員は優しく落ち着いた声で話しだした。
「高瀬さん。確かに、我々の仕事は具合の悪い人や、事故に遭われた方を病院へと運ぶことです。でも何事もなければそれが一番なんですよ。無駄足でいいんです。我々が必要とされないことは良いことなんですから。」
言い終わると満面の笑顔で大きくうなずいた。
なんと爽やかで心強い言葉だろう。
「ありがとうございます。」
そう言うのが精一杯だった。
「最後にですが、確認のためにこちらに住所を書いていただけますか。」
さっきのクリップボードを渡された。
浅草の部屋の住所を書いて渡すと
「恐れ入りますが確認のため身分証明書があったら見せていただけますか。」
「ああ、はい。」
右後ろの財布を出して免許証を取り出して渡した。
「んっ」
と言って、救急隊員が免許証の裏表を眺めていたが
「高瀬さん。住所の変更はされていないのですか。」
そうだった。
免許証の住所は前のままだった。
「ごめんなさい。まだ免許証の住所変更してないんです。」
それを聞いて思い出したように
「そう言えば先ほど引っ越してきたばかりと言ってましたものね。わかりました。でも一応前の住所も下の余白に書いておいてください。」
あぁ、余計な疑いをかけられなくてよかった。
「それでは戻る準備をしますのでいったん外へ出ます。高瀬さんが履いていた靴はここへ置いておきますね。」
「はい。」
救急隊員は靴を私の足元に置くと扉を開けて外へ出ていった。
すぐに無線連絡のために運転席にいた救急隊員が、このまま戻る旨を伝えるために無線のある運転席に戻ってきた。
外に出た救急隊員はもう一人の救急隊員と警察官に何か話をしていたが、顔だけ中へ入れてきて
「高瀬さん。出られますか。」
と聞いてきたので
「あ、はい。出れます。」
そう言って慌てて靴を履き、扉の脇の手すりに捕まってステップを降りた。
相変わらず外は野次馬が大勢いる。
こんなことで注目されるのは恥ずかしい。
「明日、ちゃんと病院へ行ってくださいね。お大事に。」
最後にまた念を押されて、外の三人に挨拶をすると早く離れたいので野次馬をかき分けて人混みの向こう側へ出た。
すると警察官が追いかけてきて
「あのぉ〜すみませんが⋯」
声をかけてきた。
「はい。なんでしょうか。」
そう答えると。
「少しお話を伺いたいのですが、交番までご一緒願いませんでしょうか。」
面倒なことになったな。
そりゃ警察官にしたら消えた女性のことは聞きたいだろうが、こちらとしては人に話せることでもない。
どうせ言っても信じてはもらえないだろう。
とりあえず何を聞こうとしているのか
「どんなことでしょうか。」
探りを入れてみる。
「はぁ、正直、私もよくわかっていないのですが、私の見たことを確認していただきたいと思っております。」
やっぱりか。
でも強引さは感じられない。
自分が見たことの確認をしたいのだろう。
急がせる雰囲気でもないし
「あの、買い物へ行く途中だったんですよ。それが済んでからでもいいですか。」
「はい。あのぉ〜お住まいがお近くだと聞きましたが、それは本当でしょうか。」
警察官はまだ住所を知らなかったか。
そうか、外にいたという女性から聞いているのか。
どこまで詳しく聞いたかはわからないが、それ自体も疑っているのだろう。
だとすると免許証の住所が違うことは警察の方が厄介になりそうだ。
「はい、近くです。そこの東本願寺裏ですから。」
「ああ〜そうなんですね。じゃあ帰り道になるのかな、私そこの菊水通り入口の交番におります。帰りに寄っていただけますか。」
「わかりました。帰りに寄らせてもらいます。」
「それではお待ちしておりますので、お願いいたします。」
そう言って警察官は人混みの方へ戻っていった。
やれやれだ。
国際通りまで出てくると何事もなかったようないつもの景色だ。
曲がってすぐの三平ストアに入る。
考えるのが面倒なので必要なものだけパパッとカゴに入れる。
豆腐と、なんちゃってビールも買っておこうか。
レジは空いていたのですぐに順番になった。
右後ろの財布と、小銭入れを取ろうと右前のポケットに手を入れるとカチャっと小銭入れ以外の音がする。
はて。
そう思って小銭入れを出した後にもう一度手を入れると家の鍵が出てきた。




