八話
暴走する多脚列車。よう姉の曲を奏でる、三台のオルガン型オルゴール。祈りを捧げる整備用オルゴール人形達。猛り狂う甲冑型。向けられるガトリング砲。硬直した体。二号の叫び。
そして、世界が暗転する。冷たく、暗い。けれど、あの世にしてはうるさ過ぎる。その上、妙に柔らかい。
「あ、ぅ、ぅぅ……ぐ、ぅ……!」
呻き声。女の声だ。頭の上、すぐ近くで聞こえる。細い腕が俺の肩を抱いている。
ああ、そうか。俺は庇われたのか。
「もっと……小さく、ぅぅっ、なって……隠、れて……!」
絶え間ない発砲音が頭上を駆け抜ける。二号の食いしばった歯から、悲鳴が漏れ出る。高性能も考えものだ。人形の癖に無意味に痛みを感じている。
「助かった」という思いよりも、「どうして庇った」という疑問よりも、まず浮かんだのは、「困ったことになった」という感想だった。
どうも認めざるを得なくなった。このオルゴール人形は、本気でよう姉を演り続けるつもりだ。自分の曲に気付くことすら出来ない癖に、俺に向ける感情は、よう姉そのものだ。よう姉ならこれぐらいはやる。逆の立場を想像すれば納得も行く。
銃弾の雨が止む。三十秒に満たない時間だったはずだが、数時間に感じられた。甲冑型が砲身の冷却を開始したようだ。
意識を失った二号がゆっくりと倒れる。衣服と人工皮膚が破れ、シリコンと人工筋肉が痛々しく抉れている。中からは、銀色の骨格が覗いている。復讐の対象にまた命を助けられた。自分の情けなさに笑いが出そうだ。
「借りにはしないぞ」
届かないと解っていても、口にせずにはいられなかった。それだけ、二号に救われたのが気に食わなかったのか。それとも、自分に言い聞かせたのか。考える時間はない。
《音読み》を使う。意識をよう姉の曲から引き剥がし、甲冑型に集中する。
拳を腰だめに構え、一足飛びで接敵する。横殴りに振り払われるガトリングの砲塔。既に聞いた。上体をかがめ、潜って躱す。甲冑型の下肢が蒸気を吹く。内蔵破裂必至の膝蹴り。これも聞いた。義手の肘打ちで軌道を逸し、生身の左手で甲冑の腰から大口径拳銃を奪う。甲冑型がガトリング砲を手放し、空いた腕でなぎ払いをかける。崩れた体勢を建て直しつつ、距離を離そうとするデタラメな打撃だ。当然、それも聞いた。大口径拳銃を発砲し、甲冑型の腕を弾き飛ばす。手首に鈍痛。関節が外れた。拳銃を義手に持ち替え、甲冑の隙間に銃口をねじ込む。
そして、甲冑型は……もういい。もう黙れ。
続けて引き金を絞る。一発、二発、三発、四発……。弾倉が空になる頃には、甲冑型はシリンダーを破壊しつくされ、痙攣することすら止めていた。
列車に乗り込んでから二分四十秒。激突までは恐らく三分を切った。想定外の事態で時間を食ったが、まだ間に合う。義手の蒸気圧も足りている。
《ウォーデンクリフの塔》、起動。
第一圧力弁、解放。第二圧力弁、解放。連続調律開始。
右腕の電光を叩き付け、左右中央のオルガンを次々に制圧する。
異音鎮圧。システム再起動。祈りを捧げていた整備用オルゴール達がスイッチを切られたように倒れる。
『おはようございます。社員番号「8★569◆35▲9」様。状況報告開始します』
機械音声が鳴り、オルガン型付属の音子固定式映写機が光る。空中に音子を固定し、列車前方のカメラ映像を表示する。
運用想定外の速度と揺れのせいか画像が荒れているが、かろうじて現在地は解る。多脚車輌は既に購買街を踏み越え、大通りを走行している。校舎まで目測一キロを切っている。避難活動は継続中。到底間に合うようには見えない。
警備隊は残存勢力をかき集めている途中だ。甲冑型や装甲車等からワイヤーを発射し、多脚列車を物理的に押し留めようとしている。が、象に引かれる子犬。焼け石に水状態だ。蒸気爆発を恐れて火器を使わないのは良い判断だが……。
「計器情報表示!」
『了解』
映写機に各種計器の値が図示される。圧力計、燃料残量、機関運行状況、各所の摩耗率、運送計画、etcetc……。蒸気機関関連の計器はどれも異常値を指している。これを沈められれば、最悪、激突しても蒸気爆発は避けられるが……これほどの熱量を冷ますには四半日はかかる。対処は不可能だ。内燃機関の制御は捨て置き、動作系のみを調整すべきだ。
「演目表示!」
『了解』
外部の映像の隣に七十六の曲名が並ぶ。オルガン型にプログラミングされた、多脚列車運転用の楽譜の数々だ。視覚と聴覚を並行に駆使し、緊急停止用の曲を探す。
『ト長調・本社連絡』、違う。『ハ長調・物資搬入』、必要ない。『ロ短調・機関制御』、後回しだ。『イ短調・警備隊連絡』、余計なお世話だ。『ヘ短調・非常停止序章』これだ。
「現演奏打ち切り! 曲目選択! ヘ短調・非常停止序章、一章、二章、終章、連続演奏!シリンダー回転速度140%、演奏開始!」
『警告。演奏の緊急停止は音子不正干渉の可能性があります』
『警告。100%を超えるシリンダー回転は計算誤差を生む恐れが』
「構うか! 強制演奏!」
『了解。演奏開始します。ホバリングベクトル変更。左右装甲板展開。緊急制動用ブースター作動。衝撃に備えてください。2……1……』
甲高いジェット音と共に、慣性が背中を押す。前のめりに倒れ、オルガンに頭をぶつける。
列車が急激に減速し、荒い映像が徐々に鮮明さを取り戻す。……が。映像がクリアになるにつれ、それは非情な未来を映すようになった。第二講義棟が見る間に肥大化していく。棟内に取り残された学生達のシルエットが確認できる。激突すれば、待ち受けるのは大規模蒸気爆発だ。
(頼む。止まってくれ……!)
祈りをあざ笑うかの如く、アラームが鳴り響く。頭上から破裂音。降り注ぐ高温蒸気。
『警告。第三補助動脈圧力管破裂』
「このタイミングでか!?」
『警告。第二、第三、第四、第七ブースター損壊』
映写機に四台のサブカメラの映像が写しだされる。どのブースターも無惨に破裂し、火を吹き上げている。とても、まともな推力は期待出来ない。
「クソッ!」
減速が間に合わない。せめて、ブレーキのかけ始めが十秒早ければ。俺が甲冑型の接近に気付いていれば。後悔ばかりが湧いて出る。解決策が見当たらない。
「指揮者様。一曲、ご披露いたします」
無機質な声がした。空気を通さず、鼓膜を抜け、脳に直接語りかけるような音。振り返ると、そこには白い肌の人形が立っていた。
(お前は、何だ?)
艶やかな黒髪、泣きぼくろ。造作はよう姉と同じ。二号と同じだ。しかし、その上で問いただしそうになった。纏う雰囲気が異質なのだ。感情を見せない瞳。固まった表情。立ち姿の全てが教科書的だ。
二号、否《令嬢の棺》が唄いだす。両手を胸元に重ね、賛美歌のように。しかし、発せられる音は声帯を震わせて出るものではない。オルゴールのそれだ。状況も忘れて、聞き惚れる。優しい曲だ。寄り添うような夜闇の音。よう姉と出会ったあの日の曲。
唄がオルガンの音色と絡み合う。《令嬢の棺》を包むように、オーロラ光が漂う。それは中空に無数の幾何学模様を描き出す。
足元が脈打つのを感じた。錯覚ではない。実際に生き物のように蠢いたのだ。頭上から降り注ぐ蒸気が止む。破裂した蒸気管の周囲に別のパイプが巻きつき、傷を塞いでいた。それだけではない。映写機に写しだされたブースターにも変化が起きていた。フレームが歪み、新たな噴射口が生える。幾本もの燃料管が接続され、新たなブースターを形作る。
『全ブースター、再点火します。2……1……』
背中を押し込む強烈なG。体がオルガン型に磔にされる。出力が倍加している。外の映像を見なくとも、列車の減速は明らかだ。そして。
「ご満足頂けましたでしょうか」
一分に満たない唄を終え、《令嬢の棺》は機械的に一礼する。カメラ映像を見る限り、第二講義棟まで二十メートル足らず。超大型運送用多脚列車は完全に停止していた。
「お前は、一体……」
「暖かい拍手と、僅かばかりのお心づけを」
一瞬、白い顔に表情を戻したかと思うと、《令嬢の棺》は再び気絶した。