猫と私はファンタジーになれない
スマホのアラームが朝を告げる。
心地良さの極致を暴力的にシャットアウトする爆音に、毎日小さなトラウマが排水口の汚れのように蓄積していく。
私は歯を磨いて洗顔を済ますと、化粧水をなじませ、シートマスクを貼った。
その時、窓の外を、ふくふくと太った大きな白猫がゆったりと通り過ぎて行くのが見えた。
私は気にせずスマホを取り出した。
そして、顔の高さまで持ち上げて、通知の一覧を確認する。
『100年の恋も冷める瞬間!』
なんでこんなのおすすめに出るの?
マスクを取った後は、手癖全開のメイクを終わらせて、オールブランをひとかけらだけ口に放り込む。
咀嚼しながらブラウスとスラックスに着替えて家を出た。
電車で押し合いながら吊り革を掴み、窓の外を走る看板の文字を読む。
そうしていると、目の前の席で、紫色の頭をしたおばさんが鞄をごそごそ探り始め、スマホを取り出した。
やがて窓の外の看板が駅名に変わる。
私は案の定、空席にありつけた。
腰を下ろした途端、肩に柔らかくもずっしりとのし掛かる体温を感じた。
温度の主が耳元で囁く。
「ねえねえ、どら焼って知ってる?
この前テレビでやってたんだ
朝から並んでて昼前には売り切れるんだってさ
食べてみたいなぁ…」
私はスマホを取り出すとメモアプリを開く。
『人がいるとこで話し掛けんなバカ猫!』
………
……
…
その後、オフィスに着いた私はコーヒーを淹れる。
インスタント、自分のだけ。
ミルクなし砂糖なし、クッキーは…もう無かった、買い忘れ。
今日は資料の自己レビューから始める。
引き出しを閉めると影から顔を見せる白猫。
私は視線をPC画面に戻した。
2センチのヒールをサンダルに履き替えて、退屈と僅かな達成感にトリップしていく。
資料を添付したメールを送ったら、おかわりを淹れに再び給湯室へ。
「ひゃっ!」
足元を暖かいフサフサが掠めていった。
キョロキョロと見渡すけれど人影は無い。
私は視線を落とすと、怒りを込めて小声を発した。
「蹴飛ばすぞクソ猫!」
………
……
…
会議室。
耳元で高くしゃがれた声が響く。
「ここはちょっと寒い」
尻尾が髪をサラサラと撫でる。
うなじから二の腕にかけてゾワゾワと毛穴が開く。
目を見開いて噛み殺した叫びが耳に抜ける。
最悪なのはそこから、後輩の提案も、おじさま方への相槌も、ファシリテーター?とか名乗ったイケメン気取りも、全部どうでもよくなってしまったこと。
絶対後悔するから明日か夜に。
…………
………
……
…
夜、肩にうっすらファンデーションが付いたブラウスを脱いでからクレンジング。
いつもの30分を終えたら夕食にジェノベーゼ…の弁当。
週に5回はある"今日だけはダメな日"はこれで済ませてしまう。
奥行き30センチくらいのちゃぶ台に着いてから視線に気付く。
「はぁ…忘れてた…」
シンクの下の棚からまとめ買いの猫缶を取り出してプルタブを引っ張る。
「うぅ…痛ぁ…」
なんとか剥がした銀蓋を袋に投げ込み毛玉の前にそっと置いた。
「これはもう飽きたよ」
「はぁ…」
私は棚から花鰹の大袋を持ってきて一つまみ乗せる。
すると声の主ははカツカツと元気に食いついた。
「うん…私も食べよ…」
………
……
…
その夜も私は白い毛玉で暖を取る。
きっとまた、朝には居ない。
「追いかけないと物語が始まらないよ…」
そんなぼやきを聴きながら。




