第二十六話 カメラに映るもの
『軽音楽探求会.』が『ムジカデラーニモ』の校内選考を突破してから少しばかり時は進み、本選へのエントリー期間が訪れた頃。
放課後、志之聡平は部室棟へいつものように足を踏み入れたのだが、行先は彼らの活動場所ではなく写真部の部室だった。彼は夏休みに撮影したエントリー用の動画を取りに来たのである。
文化部の部室棟は旧校舎を使っているため、ほとんどの部活動は教室の形をそのままにして部室として使っている。
教室の外壁はここが自分たちの活動場所であることを主張するかのように、それぞれ違った装飾で彩られており、部室棟だけは毎日が文化祭みたいな雰囲気が漂っている。
聡平は写真部の部室の扉を叩いてから中へ入る。
「失礼します。佐藤さんに……」
「あ、しの君来た。かしこまらなくてもいいよ。今私……以外に、誰も、いないからさ」
佐藤は机の上のノートパソコンをぱたんと閉じてから聡平の元へ向かう。それから小袋に入ったUSBメモリを手渡した。
「ありがとうね。撮影だけじゃなくて、編集までお願いしちゃったから大変だったよね」
「いいのいいの。楽しかったし、やっぱり自分が撮ったものだから見せ方までこだわりたいなんて、私のワガママでもあるでしょ。シノ君たちこそ大事な動画をさ、素人の私なんかに任せて大丈夫だったの?」
「いやいや、佐藤さんほどの適任なんていないよ。あの場で俺たちの演奏を聴いてくれてカメラを構えてくれた、佐藤さんが作ってくれた動画に敵うものを、少なくとも俺は作れる気がしないから嬉しいよ。いや、きっとみんなも喜ぶと思う」
彼女は聡平の言葉を受けて一度驚いたように目を見開くと、顔を伏せて首を振った。その仕草はまるで、ふと浮かんだ考えを頭の中で振り払うかのようにも見える。彼はそんな彼女から目を離すことなく爽やかな顔でじっと返事を待っている。
「嬉しいな。こうやって、しの君の顔が見られないぐらい嬉しい」
顔を伏せていた彼女は「一つ聞いてもいいかな」という前置きをすると顔を上げた。
「夏祭りは楽しかった?」
「え。う、うん。ひさし──」
「そっか」
「……あれ、もしかして佐藤さんも来てたの?」
「ううん。なんでもない」
尻切れトンボのやりとりの中で、彼女は十分に自身が求める答えを得られたようだが、彼の頭には疑問符が浮かぶ。若干噛み合わない、片方は噛み合わせようとも思っていない会話のせいで、二人の間には少しばかり気まずい空気が流れているが、彼女は構うものかと両手でいつものカメラを形作る。
そして、一歩二歩、三歩下がってからカメラに聡平の姿を映す。画角の真ん中に捉えられた被写体はやがて、画角から完全にいなくなる。自身の体を思いっきり右へ振ったことで、彼女のカメラには壁に貼られた一枚の広告が映る。
「私ね、撮りたいものは自分で全部決められるんだって思ってた。でも違った、撮らなければならない絵もあるし、気がついたら撮ってしまっている景色もあるの」
広告は『ムジカデラーニモ』の校内選考のお知らせであった。日付や時間、場所などが記されている。どれももう終わったことである。
彼女は次に、聡平から背を向ける形でカメラに窓を映す。ちょうど穏やかな風が舞い込んできて、まとめられていなかったカーテンが柔らかく膨らんだ。
「最近ね、せっかく良い写真が撮れたなって思っても、見ているうちにだんだんと、なぜか誰にも見せたくなくなっちゃうんだ。さて、なんででしょーうか。回答者は──」
彼女はパッと彼の方へ振り向き、「しの君」と彼の名前を呼んだ。それはただ問題の回答者を名指しする言葉のようで、どこか祈りにも似た言葉であった。カーテンをすり抜けて、部室へと侵入してきた柔風は彼女の髪を揺らす。
「ごめん……俺には答えられないと思う」
「そうだよね。いっそ、分からないって言ってくれたらよかった。でも、しの君がそう言ってくれないこともなんとなく分かってたよ」
彼女は理解していた。この状況こそが自分の身勝手であることも、なぜ彼が言葉を喉に詰まらせているのかも。全て今日までの自分が考え続けたことであった。それでも、彼からもらった優しさを動力源にして走り出してしまったから。もう止まれない。数度の深呼吸の後、彼女の口から音が発せられた。
「──まぶたの裏側のあなたが消えてくれないから!!!」
彼女の口は自身のスカートの裾をぎゅっと握り込んだ分だけ開いた。二人しかいない教室に声が反響するよりも先に、聡平の胸の内側では彼女の言葉が響く。その遠回しな言葉が伝わらないほどの鈍感さを、彼は持ち合わせてはいなかった。その上で腑に落ちないことも確かに存在した。
「──俺の狭い画角の中に佐藤さんはしっかりと収まってて、できることならもっと近づきたいって思ってる。もし君もそれが同じだったんなら……」
「ごめん、そう考えるのも無理ないよね。私も今ここで告白をしたら、きっとあなたはそれに応えてくれるはずだって傲慢にも思うよ。だから、だから嫌なの」
「……どうしてさ」
「あなたの狭い画角には映らない、入りきらないぐらい大きな存在が今も見えるからだよ」
「……!」
聡平は彼女がここでやりたいこと、自分にやってもらいたいことが分かったような気がした。そこまでして気持ちを汲んであげる必要はないのかもしれないが、握りっぱなしの彼女の赤くなった拳が、彼のことを簡単には逃してくれそうになかった。
「……俺と付き合ってくれませんか」
彼は右手を差し出しながら頭を下げた。いつもならもっと気の利いた言葉が出てきたはずで、言葉に詰まったのが緊張のせいでないことは彼が一番分かっていた。声に出してみて初めて、この言葉が心から出た気持ちであると彼の胸の鼓動は知らせているようだった。それと同じく、彼の頭はこんな時ですら目の前の彼女とそう変わらないシルエットの別人の姿を映し出していた。
「ごめんなさい。私の好きなところ一つだって言えない人とは付き合えません」
バタバタとした忙しない足音が教室に響いた。彼が頭を上げると、目の前にいたはずの彼女の姿はなかった。
「これで本当によかったのかな」
彼は膨らんだカーテンを見ながら胸に手を当てる。きっとこれが彼女のためになるのだと、割り切ってはいても胸はちゃんと痛い。
「良かったんじゃない? あんなにすんなりと状況を把握して実行に移すことができる人ってー、そうそういないでしょ。あまりに模範的な優男すぎて吐き気がするぐらいだーよ」
「え!」
部室の奥にあった仕切り板からひょっこりと姿を現したのは一人の女生徒だった。彼女は心底不快だという意思表示のためか、舌を出している。
「の、覗き見!? い、い、いま、今見たことはどうか内緒にぃ、俺のことはいいですけどさと……」
「んなこと、わかってるっつーの! むしろあたしはあの子に頼まれて同席したんだって。たぶん自分のせいであんたが傷ついて、呆然としちゃうから声かけてやってくれって。ほーんと呆れちゃうよーね」
彼女は彼よりもずっと背が低いのに、その存在感は大きい。眼鏡越しの切長の瞳の前で彼は戸惑うことしかできない。
「あたしは詳しく知らないけーどさ。あんたらがすんなり結ばれないっつーことは、よっぽどの上位存在があんたの体どころか心まで独占してるっつーわけだ」
「そういう俗っぽい表現で俺たちのことを外から形容されたくはないです。それは佐藤さんにも失礼だと思います」
先程までの動揺はどこへやら、自分の大切な相棒と友達への侮辱と思えた言葉に強く反応を見せた。
「なーんだ、意外とケロッとしてるじゃん。あの子が見抜けなかった展開だーね。でもそれなら、こんな俗っぽいあたしの城からは早く出ていった方がいいと思うけどなー。今の君はこっぴどく振られたイケメン君で、私はそれをすっぱ抜こうとする嫌われモンだーからね」
彼女はそう言うと、ポケットから取り出した腕章を腕にはめる。すると、途端に部室のあらゆる光源が眩く光る。一度目を強く瞑った聡平が次に目を開けると、どこからか現れた無数のカメラが彼の四方を取り囲んでいた。
「な、なにこれ!?」
写真部の部室は彼女によってさまざな改造が施さられた、いうならば絶対にスクープを逃さない『ゴシップ・キャッチ・ルーム』であった。
「ふふーん。お前さ、二年前に軽音部を破滅に導いたとされる、中堂凛のカンケイシャだよな。まずはさ、彼または彼女と出会った経緯なんかから聞くことにしよう!」
どういうわけか。様々な形のカメラに囲まれて、身動きが取れない彼の元へ彼女はジリジリと距離を詰める。彼はここから逃げようとカメラの隙間に体を入れようとしたが、一台のカメラとぶつかってしまい、ドミノ倒しの要領でカメラ同士がぶつかり合って嫌な音を立てた。
「ちなみにそこのカメラはお高いよ。もし壊したら弁償額は一体どれくらいだろうね」
写真部へバンド紹介用の動画データを取りにきただけなのに、佐藤との問答の末なぜか、謎の人物によって追い詰められてしまった聡平であった。




