第百七十三話 進め、何があろうとも
己の本能に逆え。それを良しとするな。受け入れるな。
本能を押さえつけ、戦え。
死を覚悟はしても死ぬつもりで戦うな。
(ここで逃げれば、俺は何も守れない俺になるだけだ)
何度も何度も自分を救ってくれた弟子を。三人だと笑ってくれた弟子を。守れない師匠になるな。
立ち上がる総十郎の隣に、刀を抜いた照真と八彦が並ぶ。
「行くぞ」
「はい!」
今度は三人が一斉に斬り込んだ。
一切余裕な表情を崩さず、笑みさえ浮かべる大妖は、避ける動作も見せない。
その刃が大妖に届くより先に、火を纏う雷撃が天から打ち下ろされた。振り払おうとした刃を止め、直感的に後退すると、すぐに雷撃が地を抉る。
あまりのその威力に吹き飛ばされ、飛んだ火の粉が舞い、肌に温かさを伝えてきた。
雷が落ちた場所は大きく抉られその衝撃を物語る。掠っても肉が削られると、総十郎はその攻撃に危機感を募らせる。
(駄目だ。まず何よりも先に咲光を……)
視線の先で、抗っていた腕がだらりと落ちた。照真が、総十郎が、八彦が、言葉も動きを忘れて目を瞠る。
「やれやれ。結局何の役にも立たなかったなぁ」
大妖は力の抜けたその体を、無造作に地面に落とした。
「……ね…さ…」
音のなくなったこの場で、小さな小さな頼りない声が妙に大きく聞こえた。
いつも笑って自分達の背を押してくれた。絶望の淵から救いあげてくれた。その声も、優しさも。
――放さないと決めて、その手を握り合っていたのに。
「………………」
かつて、救えなかった守り切れなかった弟子がいた。そのやるせなさも怒りも恨みも、元凶である禍餓鬼にぶつけた。
そこから引き戻してくれたのは、優しく厳しい手だった。
「っ…………」
けれど今、この胸に沸き上がるのは、あの時の怒りなど遥かに凌駕する程に、苦しい胸の痛み。
怒りより、悲しみより、ただただ――痛い。
ギィッと音が鳴る程強く刀を握った三人が、穿つほど強く地を蹴った。
放たれる鋭い一閃にも大妖は余裕な表情を崩さない。
バチリとその身から火花散った瞬間、照真と八彦は手早く叩きのめされていた。驚く間もなく雷撃と総十郎の刀が交差する。
「っ……!」
少しでも力を抜けば押し返されると感じる程に、その威力は凄まじい。バチバチと弾ける火花が頬や腕を掠め痛みが走る。
雷雲に覆われた夜の暗い空の下、その雷撃はまるで昼間のような灯りで周囲を照らす。
「…っ!」
刀を握っていた総十郎の力が緩んだ。
突然脇腹を走った痛みに視線を向けると、それまでそこになかった雷撃の球が浮かび、そこから雷撃が放たれていた。
一閃に貫かれ力が緩んだ瞬間に、眼前から恐怖と圧迫感を覚える手が伸びて来る。
その手から放たれた雷撃が容赦なく一帯を裂く。
「神来社さん!」
照真の悲痛な叫びに応じるかのように、総十郎は煙を抜け後方へ飛び退いた。片膝をついて大妖を睨む。
額と脇腹から血が流れていた。
「ふむ…。成程。術を使えぬとはいえ妖退治をするだけの事はある。お前はその中でも最も強い者だそうだな」
「……………」
「ふふっ。神来社の落ちこぼれとは聞いたが、その血には術者だけでなく野蛮な戦い方まで刻まれていたか」
面白そうに大妖は笑う。それを総十郎は鋭い眼差しで睨んだ。
自分だけでなく、先祖に至るまで笑いものにされては、流石に腹立たしさも感じる。が、努めて冷静に総十郎は大妖を睨んだまま。
口端を上げていた大妖の視線が動く。斬り込んだ照真と八彦をその視界に入れた。
煩いくらい本能が鳴り響いている。それでも八彦は前へ進む。奥歯を噛んで刀を握る。
頭に浮かぶのは、いつだって優しい笑みを浮かべていた仲間である大事な友達。戦い方について話し合った頼もしい人。
照真と手を取り合っている姿が好きだった。自分の意を汲み取って、何気ない事にもお礼を言ってくれる優しさが大好きだった。
(もう何もっ、奪わせない!)
今も、共に沢山の仲間が戦っている。犠牲が少しでも少ない事を祈るし、自分だって戦い抜く。
八彦の想いに応えるように刃が弱くも淡く光る。
ちらりとそれを一瞥した大妖に襲い掛かった刃はしかし、視えない壁に阻まれた。
(障壁! しかも強い……!)
虚木や禍餓鬼でも同じだった、妖力を纏う事で出来る障壁。打ち破るためには強い神威と時間が必要である防御に、八彦も照真も悔し気に奥歯を噛んだ。
甚大な妖力を持つ大妖。打ち破るためにどれだけの時間がかかるのか、先が見えない。
この神社は今、神がいたとは思えない程に空気が悪い。それさえも大妖の力になってしまう。
(でもきっと! 皆が少しずつ晴らしてくれるっ…!)
だから信じろと、己に言い聞かせた照真と八彦は弾かれても何度も挑む。
大妖の手に火花が散る。ハッとした八彦は考えるより先に身体が動いた。
「っ!? 八彦君!」
ドンッと照真の体に体当たりをした八彦の肩を、雷撃が穿つ。すぐに八彦を守ろうとした照真と大妖の間に、すかさず総十郎が斬り込んだ。
八彦はすぐに跳ね起き痛みに顔を歪めながら、照真を見た。
「大丈夫」
「っ…うんっ…」
キュッと照真の刀を持つ手に力がこもった。総十郎の刀から距離を取った大妖は、その片手を天へと向ける。
「踊ってみろ。退治人」
大妖が美しく凄惨な笑みを浮かべると、空が眩しく光った。




