第百七十話 それが生きる意味
雨宮と日野の眼光を、禍餓鬼は表情を変えず見ていた。
理解出来ない。なぜ未だに睨んでくるのか。圧倒的な主は復活し、人々は妖気の流れに当てられ、恐れや不安を隠せずにいる。すでに小競り合いは頻発しているだろう。
それが、主の元で人間が見せる本来の姿。なのに目の前は違う。
(あの小娘と同じ…)
まだ、主を倒そうとしている。
まだ、折れていない。
まだ、終わっていないと信じている。
「……なぜそうまでするのか。貴様らは実に不愉快で虫唾が走る」
「それはどうも。万所は諦めが悪いのよ。易々と諦めて、堪るもんですか」
大きく息を吐いて呆れを隠さない禍餓鬼に、日野は鼻で笑った。そしてキッと眉を吊り上げる。
何度心が折れそうになっても諦めない。諦めれば不安や恐れが広がり、戦う気力もなくなる。死が連鎖していく。
「例え目の前が真っ暗闇だろうがなんだろうが、進んでやるわよ!」
進まなければ、光にさえたどり着けない。
諦めればそこで、光は本当に消えてしまうから。
万所が守る後ろには、暮らす人々がいるのだから。
(大事な人を決して、妖の脅威に晒しはしない…!)
奪わせはしない。大事な娘だと言ってくれる、大切な家族を。
日野の眼差しが禍餓鬼を射抜く。
それを見た禍餓鬼の脳裏には、村雨姉弟が浮かんだ。最初に出会った時から今と変わらぬ目を見せている二人。
弟は今も姉を助けるため動いているのだろう。その先に何が待ち構えているかも知らずに。
(やはり、愚かだ…)
スッと地に向け手を上げる禍餓鬼に、日野はすぐに動いた。
ドッと禍餓鬼の足元から餓鬼が生まれる。ゆらりゆらりと動いて向かって来る群れに対し、鋭い声が放たれた。
「砕波!」
波のように打ち寄せる霊力に餓鬼が消える。それが晴れた先に禍餓鬼の姿がない。
ハッと背後に視線を向けた雨宮は、手を伸ばす禍餓鬼を視た。
「禁!」
咄嗟に張った障壁。半瞬遅れて雷撃が腕を裂く。
が、張られた障壁を前に禍餓鬼が手を引っ込めると、その場で片足を軸に回転し、その勢いのまま蹴りを繰り出し障壁を打ち破った。
妖力を纏った蹴りが、そのまま雨宮を襲う。
「……!」
ギリギリで日野の刃が割り込み、弾き飛ばした。両者僅か数歩後退しながらも、すぐに次の攻撃に移る。
日野の刃を見ながら禍餓鬼は顔を歪めた。
“頭”が扱う神威はとても厄介だ。鍛え上げたその肉体によって神の威を強く扱う事が出来るのだから。
現状、神の力は弱まっていて与えられる力も僅かなもの。だのに、目の前の刀は弱々しくても輝きを失わない。
(消えない…。神の力が…)
しぶとく、諦め悪く、抗っている。
『神来社の術者にやられたな…。やれやれ。これでは本来の力には届かない』
復活した主が表情だけに笑みを乗せて言っていた言葉を思い出す。
主の力は本来のものではない。主が本来の力を持っていれば神の力など完全に抑え込めるのに。
(忌々しい者共め)
かつてない憎悪が胸を駆け巡る。
これまでは苛立とうと憎もうと、主の復活という悲願の為、その為だけに動いた。逃亡する事にも躊躇はなかった。
だが今、主は復活し本来なら万歳で喜べたはずなのに、主にされた仕打ちにこれまでにない激しい感情が駆け巡る。
「貴様ら如き人間風情が……!」
この憎悪全てぶつけてくれる。万所も全て抹殺して。
その為に禍餓鬼が動こうとした時、
「!」
神社を挟んで反対方向から眩い光が立ち昇り、凄まじい力の奔流が降りて来た。
それと同時に、禍餓鬼は感じた。自分と同じように生まれ、共にこれまで主の為に動いて来た同胞が消えた事を。
ストンと胸に落ちた直感に、禍餓鬼は一気に冷静さを取り戻すと視線を日野達へ戻した。
諦めない瞳がこちらを見ていた。
♢♢
主はかつて、この国ではない別の国にいらした。
その国は主と同じような大妖が多く存在し、人間もまた存在した。そこの人間の中にも術を用い妖を祓う者はいた。主や大妖達の敵にもならなかったが。
人間よりも、他の大妖の方がずっと強敵であった。
俺と虚木は、主が人間を殺し、その妖力と負と死が蔓延していた中で生まれた。人間共がひどく恐れ語り継ぐ程の行いで、その恐怖もまた、俺達を生み出す要因になったのだろう。
だが、経緯などはどうでもいい。
俺と虚木は、主の力と功績から誕生した。生み出してくれた主の為尽力するのは当然の事だった。
だのに、他の大妖との争いで主は傷を負った。
その傷を癒すため、邪魔の入らない地で傷を癒す事にした。そして見つけたのがこの国だった。
主は傷を癒すため人間共を殺し食していた。そんな時だった。それに文句をつけて来た術者共がいたのは。
この国にも元々妖はいたらしい。が、どいつこいつも弱者ばかり。主や彼の地の大妖ほどの力を持つモノはいなかった。
主の傷は癒えつつあった。だが人間共は束になり、術を用いて主を封じた。俺と虚木は人間共を殺し、怒り治まらぬまま逃亡した。
「何で逃げるのよ! アイツら皆殺しにすればいいのに!」
「分かっている!」
「だったら!」
「主をずっと封じの中に閉じ込める気か!?」
「っ……!」
互いに怒声を響かせた。
俺達にとって主は唯一の御方。あの方の力になり、腕になり、足になる為に存在するのが我らの意義。
主の為に尽くすのが、我らの至上の喜び。
虚木は俺の言葉に唇を噛んだ。悔しい想いは同じだった。
「………じゃあ、どうすればいいの?」
それから俺と虚木は情報を集めた。術者共の事、主の所在、術者共の行動。
知識と情報を掻き集めた。何年も何年もの歳月をかけて。そしてそれが掴めてくると同時に、主の復活の為に動き出した。
それがやっと、やっと実を結んだのだ。
「やってくれると思っていたぞ。よくやったな。禍餓鬼、虚木」
俺達に主はそう言葉をかけて下さった。
当然の事。主の御為に。
これまで共に動き続けた同胞を失おうとも、俺は主の御為に動くだけ。
♢♢




