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縁と扉と妖奇譚  作者: 秋月
第十二章 雷の大妖編

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第百六十七話 左腕

「あっ…んた……バッカじゃないの!?」



 少なからず、菅原も同意したくなった。

 が、鳴神なるかみはいつだって真剣だし、戦いの最中にこんなふざけた事はしない。



祓衆はらいしゅうは近接戦が得意じゃない。虚木うつぎはそこを突いて来る)



 鳴神の一打は、それに僅かでも迷いを生みたいからだろうと推測した。


 すかさず、菅原と南二郎なんじろうの術が虚木を襲う。基本は動いて避ける虚木に、休む暇を与えないよう猛攻を仕掛ける。



(奴が動き回りたがるのは、妖力を消費したくないから……!)



 だからもっと、避けられないくらい攻撃を仕掛けて、避けられない分を妖力を使って弾かせるように仕組む。

 術者とて目いっぱいの攻撃だ。霊力を消費するのが早いか、妖力を尽きさせるのが早いか。



「チッ!」



 虚木は忌々し気に舌打ちをすると、鳴神達に襲い掛かる。

 その拳は地を砕き、蹴りは骨を折る。障壁で防ぐのも難しいが、鳴神は苦しい状況の中で二っと口端を上げた。



(これまでより弱い…。奴もギリギリだ。いやこっちもだけど)



 お互いにかなり疲弊した。それでもまだ両者は倒れない。


 鳴神と南二郎がちらりと視線を合わせた。互いの意図を察するのは、勘という不確かだか術者に必要な要素。



ばく。縛。その足留めよ!」


「雷神招来…!」



 縛の術で刹那止まった虚木の動き。しかしそれは妖力で吹き飛ばされ、直後撃ち落とされた雷撃を寸前で避けた。

 が、皮膚が裂け血が滲む。不快に顔を歪める虚木と再び戦闘が始まる。



(ったく! 妖力温存放棄したな!)



 鳴神は虚木の動きを見ながら感じた。全力で自分達を叩き潰そうとしてくる。

 その拳や蹴りを障壁で防ぐが、精々威力を少し削げる程度で、弱まった霊力では完全に防げない。



(あぁっ…! 腕動かねぇって動き辛いっ…!)



 胸の内から怒りとも嘆きともつかない想いが沸き上がってくる。


 もう痛みも感覚もない左腕。身に降りかかって脳裏に浮かぶ、父の背中。

 朔慈さくじもそう。腕を失くして引退した。手をつく事も、動き回る体の均衡を保つ事もやりづらい、腕を失くして戦う厳しさを解っていたのだろう。


 そして、鳴神が理解できるのはもう一つある。



(後悔無いって理由も分かる!)



 だからどんな状況でも、心は前を向いていられる。






♢♢




 俺が子供の頃から親父はすでに“とう”だった。家の事、万所よろすどころの仕事をしていた。

 だけど俺は、家が神社だからって神様を信じてたわけじゃないし、あやかしなんてもっと信じてなかった。だって視た事なんてなかったんだ。


 だから、仕事に行くという親父とお袋の会話をたまたま聞いた俺は、好奇心で動いてみた。

 話に出ていた場所は、家がある町を抜けて、少し行った先。宿場の空気が残る町のはずれ。


 先に出て行った親父とは別の近道を使って、俺はそこへ行った。後ついて行ったら勘の良い親父にはすぐ気づかれると思ったからだ。

 やっとの思いで着いた時、そこには、いつもとは全く違う表情で“何か”と戦っている親父がいた。


 妖なんて視えてなかった。でも空気が違うのは感じた。肌で感じるっていうのはこういう事なのだと、あの時の俺は知った。

 初めて感じた心底からの恐怖。無意識に足を引いた時、パキリと枝を踏んだ。


 それがマズかった。


 次の瞬間俺が視たのは、鋭い牙が何かを喰いちぎり、血が噴き出した光景だった。

 この時の俺は、感じた事のない妖気に当てられて、引きずり込まれるように妖が視えていたんだと、後で知った。


 俺を守って、親父は腕を食われた。それでも親父はその妖を祓った。


 血をダラダラ流して膝をついた親父に、俺は何の言葉も出なかったし、身体は震えて何も出来なかった。

 そんな所に、小さな体を精一杯動かして走ってやって来たのが、宿場町にいる雑鬼ざっき達だった。



「鳴神! なるかみぃぃ…!」


「すっ、すぐ手当てするからなっ…。気を確かに持てよぉ……」



 ボロボロ泣いていた。親父の懐からさらしを取り出して、グルグル腕に巻き付けてた。親父は笑って雑鬼達を撫でていた。

 親父と雑鬼達に、俺はさらに訳が分からなくなった。



「何やってんだよ! お前鳴神の息子だろ!」


「ボケッとするなぁ…!」



 そんな雑鬼達に俺は怒られた。怒り返すなんて考えも浮かばなかったくらいには頭が真っ白だった。

 雑鬼達が何匹も集まって来て、意識を失った親父を皆で担ぎ上げて家まで運んだ。俺はただただ付いて行くだけだった。


 神社の裏手、家が一番近い所まで来ると、雑鬼達は数匹で固まって「次男坊ー! 諧心かいしんー!」って何度も叫び始めた。するとすぐにお袋と兄貴達がそろって出てきて、悲鳴を上げた。

 それからはドタバタ騒ぎだった。俺はお袋と兄貴にこっぴどく叱られた。



「馬鹿ッ…! あんたに…まっ……何かあったら…っ……承知しないよっ…!」


「馬鹿野郎がっ…! 危ない事してんじゃねぇぞ! どんだけっ…心配したとっ……!」



 お袋が泣いているのを見たのは、後にも先にもあの時だけ。兄貴にあそこまで怒られたのもあの時だけ。


 痛かった。言葉なんかより、心が痛かった。お袋を泣かせて、兄貴に心配させて、兄さんを不安にさせて。

 涙が止まらなくなるくらい、心が痛かった。


 親父は何とか一命は取り留めたが、引退を決意した。

 意識を取り戻した親父に、俺はしばらく声をかけられなかった。会わせる顔が無かった。



りん康心こうしんにかなり怒られたんだろ。なら、俺から言う事は何もねぇよ。お前が無事なら、それでいい」



 やっと会いに行った時、親父はそう言って俺の頭をぽんぽんと叩いた。

 怒られた時と同じくらい、俺はただ、泣いた。






♢♢




 術を学んで一つ、疑問に思った事がある。

 親父はどうしてあの時、術で障壁を作らなかったのか。聞いた俺に親父は答えてくれた。



『術より先に身体が動く。こればっかりは性分だ』



 そう言ってワハハッと笑っていた親父を思い出せば、俺も笑みが浮かんだ。

 俺もだ。親父。






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