第百六十五話 光をくれた人
「いいや終わってない!」
場に似合わぬ大きく快活な声が響いた。その声に、虚木も南二郎も、衆員達も鳴神を見た。
鳴神はうっすらと笑みさえ浮かべ、威風堂々と立っていた。その斜め後ろに立つ弟子の菅原もまた、同じように余裕のある表情をしていた。
堂々とした否定に、虚木も「…は?」と目を瞬いている。
「俺達万所は、これまでも強力な妖を退治してきた! ここにいる全員がだ! 奴の力が妖を強化させるならつまり! 奴を倒せば国中で妖による被害は減るって事だ!」
面食らったり、驚くしかなかったり。そんな表情が周りにある。「…は?」と虚木の表情も妙なモノを見るように変わった。
それを見て、鳴神は一層に口端を上げ、叫んだ。
「今! 国は戦を終え大きく変化しつつある! 昔に比べりゃ妖の数も減った! これからもだ! 今ここを切り抜ければ次の時代が始まる! ここが! 次の時代への道だ!」
目を瞠る衆員達が鳴神を見つめる。
怯まず、臆さず。ただ前を見据える大きな背中。まっすぐな瞳。
周囲の驚きや羨望の視線の中、菅原も鳴神を見つめた。
(本当に凄い人です、貴方は。俺は貴方に出会えて、貴方に師になってもらえて本当に幸せです)
本人には言いませんけどね、と菅原は鳴神の背から虚木へと視線を向けた。頭の中で一瞬だけ「何で言ってくれないの!? 言ってよぉ」と面倒くさい鳴神が出て来たので追い払う。
鳴神の言葉に士気が高まる。「おぉー!」と衆員達から声が上がり、南二郎は鳴神を見た。
『鳴神は人をよく見てるし感覚も鋭い。そういう凄いところもあるけど……多分、俺達他の三人には出来ない事が出来るのが、一番凄いところだと思う』
かつて、兄であり“頭”である総十郎はそう言っていた。それはきっと、こういう事なのだろう。
南二郎に実戦経験はない。ただ、知識は幼い頃から叩き込んである。簡単な術なら庭で使った事もある。そうして総元から教えてもらってきた。
だけど……今の鳴神のようには出来ないと解る。
全てが違う。衆員達からの信頼も。潜り抜けた修羅場の数も。
(俺なら今、何て言っただろう…)
何と言って士気を高めただろう。父なら、兄なら、どうしただろう。
未来へ沢山の希望を繋げてくれた父。
自分の霊力が弱い事を知り、退治人としての道を選んだ兄。
「鳴神さん、行きましょう!」
「おぅ!」
今、共に戦う存在はとても心強かった。
♢♢
俺の一番古い記憶には、総兄がいる。一緒に書物を読んで術の勉強をしていた頃の、物心つくよりも前の記憶。
なのにいつからか、総兄は術の勉強じゃなく、刀の扱い方を学ぶようになっていた。
万所には指南を受けられる場所がある。“頭”に直接指導を受けるわけじゃない人は、皆そこへ行き、修行して万所に入所する。
なのに総兄は「総元の息子だって知られたくない」って言って、ずっと家で一人で稽古していた。家には術に関する書物も、退治衆や刀についての書物もあった。それを読んだり、会議にやって来る退治衆の“頭”に教えてもらったりしてるみたいだった。
子供の俺には、それが不思議で仕方なかった。
「どうして術の勉強しないの?」
首を傾げて問うた俺に、あの頃の総兄は一瞬キョトンとして、笑った。
「俺は退治人になるんだ。父さんや南二郎程の霊力はないよ」
「そうなの? それじゃ駄目なの?」
「あぁ、駄目だ」
子供の俺は、総兄の膝に乗せてもらって書物を一緒に読むのが好きだった。大好きだった。分からないところは全部総兄が教えてくれた。総兄も分からないところは二人で父さんに聞きに行った。
一緒に沢山勉強した。だから、自分で駄目だという総兄が、俺にとっては辛かった。
「…じゃあ、総兄はもう一緒にご本読んでくれないの…?」
「いつでも読もう。一緒に読んで、勉強しような」
笑ってそう言って、俺の頭を撫でてくれた。子供の俺はそれだけで沈んでいた心が明るくなった。
やがて総兄は退治人として万所に入所して、父さんは俺に教えてくれた。
総兄は、俺や綾火、浩三郎の誰よりも霊力が弱い事。妖を視る事、式を飛ばす事、少ない霊力で些細な術を放つ事しか出来ない事。神来社家は術者の家系で霊力強く生まれてくる子が多いけど、稀にそういう子がいる事。
「お前の霊力が、子供達の中で一番強い」
そう聞かされ、愕然とした。
「総兄……俺の事嫌いでしょ」
「? いや? どうした急に?」
「総兄…ずっと勉強してたし……霊力なんて……」
帰って来た総兄に、俺は思わずそんな事を漏らした。
俺のつぶやきに総兄は「あぁ…」って察した声を漏らす。俺は思わずぎゅっと拳をつくった。
俺が子供の頃からずっと総兄は勉強してた。神来社家の者として、必死に勉強して知識を蓄えていた。
分かる。だって俺は、ほとんど総兄に教えてもらったんだから。総兄はいつも言い澱む事無くスラスラ教えてくれた。
それだけの勉強を、してたんだ。
それを、その努力を、霊力という一点だけで俺は総兄を抜かした。嫌われて疎まれて当然だ。
「大好きだよ」
「……! う…嘘だ…」
「嘘じゃない。大好き、大好きだよ。南二郎の事も、綾火の事も、浩三郎の事も。大好きだ」
キュッと唇を噛んだ。
総兄の言葉はどこまでもあたたかくて優しくて、嘘じゃないって心がちゃんと伝わってくるから泣きそうで…。
俯く俺の頭に、総兄は優しく手を置いた。
「霊力が弱いって分かった時は、そりゃちょっと落ち込んだ。でも、お前達を疎んだ事は無い」
「っ………」
「悩んだよ。すっごく。霊力が弱いならどうすればいいんだろう。器を大きくしようと思っても元があまりにも小さいから、経験から大きくしようとしても、その途中に死ぬってすぐ直感した」
本当に器を大きく出来るのはごく一部の人だけ。多くは生まれ持った器で決まる。
器を大きくするなんて経験は、死闘を何度も潜り抜けて、何度も限界を越えるようなもの。
「霊力があればと思った。でもそんな時、父さんに言われたんだ。何の為に学び、何の為に術者を目指したのか。目の前だけに捕らわれるなって」
「……? 何の為に…?」
「そう。そう言われて考えた。俺は何の為に勉強したのか。何を目指していたのか」
総兄に、答えは出たのか。俺は問いたくなった。
でも、そっと見上げた総兄の目が見た事ないくらい優しくて、あったかくて、俺は言葉が出なかった。
総兄は、俺の頭に置いた手を一度だけゆっくり撫でるように動かした。
「大好きな家族と大事な神来社の役目。俺はどっちも護る。そしてお前が父さんの跡を継いだ時、お前と共に戦い、支えになろう」
「!」
「これが俺の結論だ。俺にはやっぱり、この道しかなかった」
「…なに……それ…っ」
役目の為に。神の為に。家族の為に。
長い時間をかけて総兄はその答えを導き出したんだろう。もうちょっと、自分の事を考えてもいいと思うのに…。
でも、それは言わない。言ってもきっと「これが俺の幸せだ」って笑うだろうから。
笑って俺の頭から手を離した総兄に、俺も顔を上げる。
「っ……じゃあ今度、実践面含めて、術と戦い方も教えてくれる?」
「あぁ。いつでも」
家を空ける事が増えた総兄だけど、帰って来れば弟妹達の側に居てくれる。
総兄との思い出も少ない綾火の不満にも笑って、浩三郎の話にもじっと耳を傾けて、明子が生まれた時は飛んで帰って来てくれて。
書物を持って行くと、いつも笑って手招いてくれる優しい兄。隣で一緒に書物を見る俺に、俺が知らない事分からない事を沢山教えてくれる。自分が身に付けたものを惜しみなく与えてくれた。
子供の頃と変わらず、俺は総兄と書物を見るのが大好きだった。
♢♢
そして今、俺は共に戦える。役目の為に。人々の平穏の為に。
そして何より、総兄が見つけた、総兄の大事なものの為に。




