第百六十四話 決戦、開始
厚い雲に覆われ、空の様子が分からない。それでも時計を見て、万所は動く。
鳴神と南二郎。日野と雨宮。二組にそれぞれ衆員も付き、神社の敷地のすぐ外で陣を構える。町までは少しだけ離れているので、被害は抑えられるはず。
そして、照真、総十郎、八彦は神社のどちらでもない場所から機を窺う。
夜のこの場所はとても静かで、闇夜に神社が不気味に映る。少し前まではそんな事は微塵もなかったのに。
生き物の声すらもない、静かすぎる中で、別々の場所で南二郎と雨宮がパンッと強く拍手を打った。
「地よ、木よ、風よ、水よ、火よ、山よ。太陽よ、月よ。東西南北の神々に申し上げます――!」
ぶわりと霊力が膨れ上がる。その声に答えるように空気が震える。
術を唱えながら、南二郎と雨宮の瞼が震えた。術を通して、神に乞うて、ヒシヒシと感じる。
(神々も抗っている…)
この事態を看過できぬと、応じてくれている。弱まった神威でも力を貸そうとして下さっている。
応えなければ。封じを守る者として。万所の術者として。
「天に掲げしその御手にて、慈しみ、尊み、安寧をもたらし。彼の天蓋の向こうよりその御光を降り注がせたまえ」
渦巻く神の威が立ち昇り、中心地にさえ牙を剥く。
少しずつ妖力が浄化されていく。けれど、妖気が強すぎて浄化しきれない。
神の威は、それほどに弱まっている。
「息吹。この息吹。神の息吹と共に――!」
今これより戦う者達へ、どうかご加護を――
ブワリと風が巻き起こり、重い空気を絡めとる。少しだけ軽くなった空気に誰もがふぅっと無意識に息を吐いた。
そしてすぐ、南二郎と“頭”の視線が鋭く細められた。中心地から禍々しい妖気が噴き出すと、それは自分達の元へやって来る。
「来たわね。そろそろ決着つけましょう」
南二郎と鳴神の前に虚木が、
「我が主の御為に、消えてもらおう」
雨宮と日野の前に禍餓鬼が、降り立った。
♦♦
「分かってるのよ! 祓人は近接戦を得意にしてるわけじゃないって!」
ドゴォッと虚木の拳が地面を穿つ。トトッと足踏み、それを何とか避けた鳴神の頬に冷や汗がつらりと流れた。
妖力をまとった蹴りが向かって来る。直撃すればひとたまりもない。障壁を築いても気を抜けば一瞬で砕かれる。
(一段と妖力も増してるな……。懐に入られると厄介だ)
祓人は、退治人程に近接戦に慣れていない。
体術は学ぶが、虚木相手にそれは通じないだろう。逆に骨を折られるのが目に見えている。
退治衆が挑むが、やはりその妖力の壁は砕けない。逆に蹴り飛ばされ、拳を沈められ、その多くが倒れ伏す。それを見て鳴神も南二郎も唇を噛んだ。
「砕波!」
霊力の波が虚木を襲う。
“頭”の術に虚木は僅か顔を顰めると、タンッと飛び跳ねた。避けきれないと判断した部分にのみ妖力をぶつけ、相殺させる。
が、その攻撃をした虚木は眉を寄せた。
(やっぱり“頭”くらいになると面倒だわ。相殺させる分にも妖力を消費される)
“頭”が持つ霊力は多い。ひとつの術でも他の術者とは威力が違う。
いくつもの死線を掻い潜り、経験を積み、少しずつ霊力を伸ばして来た猛者達。
元々持つ霊力に差はあれど、己の限界を越え、己の力を伸ばす事は決して不可能な事ではない。成功者は少ないけれど、確かに居るのである。
「光をまとい、射ち止めよ!」
南二郎の霊力が無数の光の矢となり、降り注ぐ。その数の多さと矢尻の鋭さに虚木は苛立ち舌打ちした。
バッと降り注ぐ矢の雨に、虚木はすぐに避ける事を選んだ。が、全ては避けきれない。体を貫こうとする矢は妖力の障壁が弾き飛ばす。
が、強い霊力で作られた矢は馬鹿に出来ない。防ぐために思った以上に妖力を削られた。
最後の矢を手で鷲掴みバキリとへし折ると、虚木は南二郎を睨んだ。
「そう……あんたが後継ね…。ほんっと…霊力だけは強くてムカつく」
万所の祓衆には滅多といない霊力の持ち主。“頭”はすでに二人いる。そしてこの場にいる事を考え、虚木はすぐに南二郎の正体に辿り着いた。
南二郎の睨み返してくる目に、虚木は馬鹿にしたようにハッと笑った。
「何? 無様に死んだ父親の仇討ち? 主様に楯突いたんだから当然でしょ」
「…………………」
ただグッと、南二郎は拳をつくった。その身から放たれる殺気も熱も、虚木は鼻で笑う。
南二郎は、意識して大きく長く息を吐いた。
『術は、何かのために、誰かのために、使いなさい。神への祈りと同じ。決してそれを、忘れてはいけない』
(…うん。大丈夫だよ父さん)
怒りが湧く。侮辱する相手は許せない。
だけど、私情でこの力を使ってはいけない。それは昔から教わった事。この力は決して自分の為にあるものではない。役目の為に、神が授けてくれたものだから。
「裂波!」
気迫と共に放った術が虚木を呑みこんだ。が、すぐに術は霧散する。
余波で髪を靡かせて、虚木が南二郎達を見やる。冷たくも、呆れているような目だった。
「あんた達の役目はもう終わったの。何でまた戦おうとするの?」
「何も終わってない」
「終わってるわよ。主様が復活された今、その御力はこれからも広がり続ける。国中の妖に力を与えて人間なんてすぐに消える。あんた達に出来る事なんてもうないの。全部防げるとか思ってるの?」
冷ややかな眼差しに衆員達の身が強張る。虚木の言葉がじわじわと心に侵入してくる。
こうして戦う意味が、あるのか……。
「いいや終わってない!」




