第百六十三話 出来る事は多くないけれど
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万所と大妖達の戦いが始まる少し前、空がまだ橙色に染まっていた頃。
万所本部がある町から西へ遠く離れた町。その町の大きな神社では、明るい声が響いていた。
「このお花綺麗!」
「あら、気に入ってくれて嬉しい」
「明子はそれが好きなの?」
「うんっ。お姉ちゃんは?」
「私はこっちかな」
「どっちも綺麗だなぁ」
鳴神家の庭で、四人の女の子が楽し気にしていた。四人の前には綺麗に咲く花々がある。
神来社明子と神来社綾火。二人を挟んで鳴神茜と天城穂華が笑みを浮かべていた。そんな四人を、縁側にから鳴神康心と鳴神諧心が見つめている。
目を細めてその声に耳をたてていた康心は、柱に背を預け息を吐いた。兄の様子に諧心が首を傾げる。
「兄さん…疲れてる?」
「まぁな。流石に強行突破は疲れたが、穂華ちゃん見て見ろ。元気だぞ」
「うん。でも、兄さんがこんなに早く帰って来た事に……吃驚した」
ハハッと康心は諧心の驚きに笑いを返した。
町を出てずっと馬を走らせ、途中の町で馬を替えてまた走ってを繰り返した。康心は最初の頃こそ穂華を気遣い休憩を勧めた。
馬に慣れていない穂華は最初は疲労や身体の痛みに顔を歪めていた。が、日が経つにつれそれを一切見せなくなり、康心も驚く適応を見せた。
『気にしないで急いで康心さん』
穂華の目はまっすぐ真剣で、だから康心はそれに従った。帰って来た時には家族も驚いた顔をしていた。
本当に逞しい子だと思いながら、康心は庭へ視線を向ける。
「みなさーん。お茶だよ」
「少し一息吐きません?」
お盆を手に鳴神凛と鳴神朔慈、神来社浩三郎、そして神来社姉弟の母であり総元の妻である神来社環子がやって来た。
母の姿に明子はすぐに駆け寄る。そんな明子を微笑ましく思いながら、穂華達も縁側にやって来た。
楽し気に話している凛や茜と子供達。それを見守る康心や諧心。
朔慈は集まる面々を見つめた。今では康心達とも神来社家の面々は仲良く過ごしている。凛や茜にはかなり助けられていて、感謝してもしきれない。
『朔慈、頼む』
友の言葉を思い出す。そう言って自分に頭を下げていた友。
久方振りに来てくれないかと呼ばれ、十数年振りに足を伸ばした神社。そこで、かつて総元と呼んだ友は自分に向かって頭を下げた。どういう事なのか、何が起ころうとしているのか、問う事も出来なかった。
切実で痛い程の覚悟が、その姿を見て伝わってきた。
“頭”として現役で仕事をこなしていた頃から、友としてもよく話をした。同じ年頃の息子ができてからは、躾や自慢話も混じっていた気がする。
朔慈にとって総元は、友であり、尊敬する人だった。そんな人の頼み、断る理由はなかった。
そして朔慈はその日、神来社家の面々を連れて家へ帰った。凛や康心も少し驚いた顔をしていた。
が、どうしてと理由を問うてくる事はなかった。
そして朔慈も、ここ最近ずっと帰って来ない一心からの緊急の式で事態を理解した。が、解っても、それは家族には伝えていない。これは秘事だから。
(が、環子さんは解ってるだろうな……)
ずっと、総元を支えてきた人だ。妻とはいえ封じの事は知らないだろう。
それでも朔慈は見た。この家に来た日の夜、一人で泣いている姿を。
考えに耽っていた朔慈は、凛に湯のみを貰い口を付けて思考を振り払った。
「……明子ちゃん…花摘んじゃったの…?」
「これでね、南お兄ちゃんにあげるの」
「押し花にして栞にするのよね」
「うんっ」
茜の補足に康心もほぉっと微笑ましそうに見つめた。
明子は手に持った花をクルクルと回して笑顔を浮かべる。無邪気な姿に全員が心を和ませた。
「南お兄ちゃんはね、難しいご本いっぱい読んでるんだよ」
「明子ちゃんはご本好き?」
「うん。でもね、難しいご本は分かんない」
「それなら一緒に読まない? 難しいご本でも、皆に聞けば難しくないよ」
ホント? とパッと表情を明るくさせる明子と、うんっと頷く穂華。明るい二人の空気が周囲さえ明るくさせる。
「私が難しいご本も分かるようになったら、お父さんも吃驚するかな?」
フッと息を呑むのは見守る中で朔慈と環子だけだったが、穂華は二人の微かな変化を感じ取った。だから明子に笑みを返した。
「そうね、吃驚すると思うわ。あ、でもね、きっと明子ちゃんのお父さんは明子ちゃんが楽しく勉強して、皆と仲良くしてるとすごく安心するの。だからお父さんや皆を心配させないように待ってようね」
「うんっ」
穂華だって明子と同じ立場で、いつもいつも信じて待っていた。皆大怪我しても帰って来てくれた。今回の仕事はとても大変で、とても危険で。今までのようにはいかないかもしれない。
(でも、そうだとしても、私は信じて待ってる。それが皆の力になるって、知ってるから)
皆の帰りを待つ者は、ここに何人もいるのだから。
穂華の言葉に、凛や茜も微笑み、環子は少し瞳を潤ませた。浩三郎もすぐに「俺も!」と言い出して、笑いに包まれる中で、穂華も楽しそうに笑みを浮かべていた。
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