第百五十九話 言葉の力
(どうする…どうすれば……)
この足では逃げきれない。では戦うか。またあの雷撃を喰らえば、今度は身体を貫かれるかもしれない。
つらりと頬を冷や汗が流れる。刃のない鞘に、咲光はそっと手をかけた。
そんな様子を見つめ、大妖は嘲笑う。
「それで戦うか? 我らを倒すと? 出来まいよ」
「……………」
「禍餓鬼。それを閉じ込めておけ」
「よろしいのですか?」
波打つ髪を靡かせ、大妖は身を翻す。虚木が嬉々としてその後ろに続いた。
「構わぬ。使い道もあるが…殺すならば彼奴らの眼前にしてやろう。せっかくの退屈しのぎだ」
「御意に」
主の言葉に禍餓鬼は恭しく頭を下げると、咲光をむんずと掴み上げた。
ここで抵抗するよりは何か策を考えようと、ひとまず咲光も大人しく連行される事にする。
社の奥へ向かう大妖をちらりと見ると、ひどく退屈そうな、つまらなさそうな顔をしていた。
「いっ……」
咲光は暗い地面に身体を打ち付け痛みに顔を歪めた。そんな様子を見る事なく、禍餓鬼はすぐに去って行ってしまう。
遠ざかる妖気を感じながら、咲光は身を起こして周りを見た。
放り込まれたのは石の牢。その入り口になる所には、一際大きな岩が扉代わりになるかのようにドンッと佇んでいた。奇妙な事に、その石扉は開いている。
(これは……逃げれる…?)
牢と外は開け放たれた状態。一見すれば出入りは自由な状況だが、咲光はそっと牢と外の境界に手を伸ばす。
案の定、ビリッと稲妻が走って拒まれた。引っ込めた手の指先の皮膚が裂ける。
(妖力が扉代わりになってるんだ…。なんでこの岩を使わなかったんだろう…)
そんな事を思うが、今考える事ではないと頭を振り払う。
妖力の扉。出るにはその妖力が尽きるのを待つか、大妖に連れ出されるかのどちらかしかないだろう。
刀があれば神威で妖力を削る事が出来たが、無いものは仕方がない。
「とりあえず、状況を確認」
声に出せばそれが僅か反響する。勾玉のおかげか、窓のない空間でも物の形くらいははっきりと視えた。
周囲は石で囲まれ出入りできそうな所はない。窓もない。独りには少し広い程度の空間でしかない。
周囲を確認していた咲光の視線が、一点に縫い留められた。
「……………」
他に誰もいない空間。その中に物言わぬ先客がいた。咲光はゆっくりとその傍に膝をついた。
そっと震える手で触れるのは、人骨。頭の形もそのままに残っていて、骨が散らばっている。
何故、誰の。そんな事が脳裏をよぎる。触れて分かる硬い質感。
(まさか、連れて来られた人の…? ここは食糧庫にされてた…?)
考えたくもない。だが、よぎった考えと人が押し込められる様が浮かんでしまい口元を覆った。
死を選ばせようとしていた虚木の笑みが浮かんでしまう。
(駄目……駄目駄目! 悪い方に引きづられない…!)
頭をブンブンと振り、悪い考えを振り払う。そして意識して声を出す。
「ここを出る! 皆と合流! しっかりしろ!」
感じる寒気も、身体の震えも、考えない。自分で鼓舞しなければ、他の誰もしてくれない。自分で自分を叱咤する。
闇の中の不安も、動かない足の心配も、今はしない。代わりに力をくれる存在を胸に想う。
「照真、神来社さん、八彦君、穂華ちゃん。力を貸して…。帰るから、絶対に。言葉には力がある。よし!」
かつて総十郎は教えてくれた。それをこれまで実感してきた。だから今度は、自分に力を与える。
心が前を向けた咲光は、よしっと前を見据える。
「………?」
不意に、一人のはずの牢の中で誰かがクスリと笑う吐息が聞こえた気がした。
(気の所為…?)
周りを見るが当然誰もいない。空耳かと思っても何かが引っかかる。
誰もいないと分かっていても、咲光は周りを何度も見回した。心の隙間を何かが入り込んでくるような感覚がして、思わずぎゅっと胸元を握りしめる。
(でも、恐くない。温かくて、優しくて、見守ってくれるような、けれどとても頼もしくて…)
頭に浮かんだのは総十郎だった。いないのにと思った瞬間、視線を感じてがばりと振り返った。
そしてすぐ、総十郎が浮かんだのは当然だと思った。だってこの人は――
「………総元」
大柄なのに威圧感を感じさせない。気迫とぬくもりの混ざる優しい瞳。穏やかな雰囲気はその笑みと同じ。
けれどその姿は、透けていた。
目が確かに合い、総元は咲光を見て微笑んだ。
「君は空気に敏感な子だから、波長を合わせればすぐに解ると思った。上手くいったね」
そう言って微笑むのは、かつて見た姿のまま。
だから余計に咲光は混乱した。思わず額に手を当てる。
(ちょっと待って、何で総元が…。本陣で指揮を執ってるんじゃ…。ずっと居た? なんで視え…透けてる…?)
そう考えてピタリと思考が停止した。
そう。かつて同じモノを視た事がある。陽炎のようにそこに現れ、透けていて、視える存在。
まさかと思う結論を否定した咲光の視界に、あの人骨が映った。




