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縁と扉と妖奇譚  作者: 秋月
第十二章 雷の大妖編

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第百五十八話 美しいモノ

「それとも、神来社からいとと…あんたの弟は助けてあげようかしら? あんたが死ぬならそれでもいいわよ」


「っ……こ…のっ…!」


「アハハ! 怒っておっもしろーい!」



 遊ばれている。頭の片隅でそれは解っているけれど、感情は制しきれない。

 肺に入り込む空気まで体中で暴れているようにすら感じた。



「……!」



 不意に、地面を掻いた右手がじんじんと痛んだ気がした。その感覚と同時に思い出した。



『いい加減にしなさい。何の為に戦ってるの。どんな力を借り受けてると思ってるの』



 自分が言った言葉が、自分に返って来る。

 忘れた事のない痛み。手よりも痛んだ心。

 思い出して、スッと頭の熱が引いた。



(あぁ……私の馬鹿…。神来社さんにそう言ったのに…)



 逆に、総十郎そうじゅうろうに平手打ちでもされたかのように、頬が痛んだ気がした。

 急に俯いた咲光さくやに、虚木うつぎの笑い声も途切れる。



「虚木、何をしている」



 虚木が咲光に言葉を投げるより先に、もう一体の聞き知っている声が聞こえた。


 暗闇の向こうからにじみ出て来たその姿に、咲光と虚木の視線が向く。禍餓鬼かがきは視線の先に咲光を見つけると僅か眉を顰めたが、すぐに察したようにはぁとため息を吐いた。



「お前は……」


「いいじゃない。遊びになるか、主の食糧になるくらいだし」


「否定はせん。だが、よりによって万所よろずどころの者など……。主の意も伺わずに…」


「なんじゃ。我の退屈しのぎか?」



 ゾッと全身が総毛立ち、血の気が引いて行く感覚がした。


 ヒタヒタとゆっくりとした足音が暗闇の向こうからやって来る。その足音が聞こえる度、心臓が悲鳴を上げるかのように煩く響く。

 近付いて来る妖気。手が、足が、全身が震える。



(か……体が…動かない…。逃げないとっ逃げないと…!)



 本能が逃げろとばかりに警鐘を鳴らす。生存のみを求めている。

 なのに、思うばかりで身体が動かない。震えて震えて言う事を聞かない。


 近付いて来る妖気に身が竦み、視線を向けないよう下へ下げた。そんな咲光とは逆に、虚木は近づいて来る妖気に「主!」と嬉々として呼びかける。


 タンッと近くで足音が止まった。頭を上げられそうになかった。



「虚木。それは?」


「万所の神来社で面白く遊ぶための人間ですっ」


「神来社の弟子です。以前から弟と揃って生意気にこちらの邪魔をしていて……」


「ほぉ…」



 説明を加えた禍餓鬼をちらりと見やり、大妖は視線を咲光へ向けた。


 正面にある圧倒的で威圧的な妖気。頭が真っ白になってしまう中、突然視界に入った足に、咲光は身体が動いた。

 これまで潜り抜けた戦いのおかげか。鍛えてきたおかげか。虚木や禍餓鬼で妖気に対し多少耐性が出来ていたおかげか。理由など分からないが、それまで震えていた咲光の体は、戦闘となって瞬時に言う事を聞いてくれた。



「っ……!」



 痺れが完全に抜けていない体では完全に避けきる事は出来なかった。

 蹴られた勢いのまま、咲光の体が地面を転がり樹にしたたか体を打ち付けた。ゲホゲホッと何度か咳き込む。



(虚木と同じだ。妖力を纏ってる。でも……その強さが全く違う。危なかった…)



 一瞬、痛みのおかげで痺れを忘れたほどだ。

 咳き込みながら、咲光はそこで初めて顔を上げた。



「ほぉ…。よく動けたな。経験値はそれなりにあるらしい」



 視界に収めて、頬につらりと冷や汗が流れた。一瞬、蹴りを避けた後とは言え頭を上げなければ良かったとさえ思った。


 長く黒い髪がふわりとうねりを作っている。艶やかで美しいのに、冷たい雷の色の瞳。身軽な装束を纏っているが、袖や裾はゆらりと空気の流れで揺れ動く。

 視界に収めてはっきり分かる。甚大で苛烈な妖気。虚木や禍餓鬼よりも強い、痛い程に肌を刺す、貫いて来ると言っても過言ではない妖気。



「………ふぅ」



 咲光は、努めてゆっくり深呼吸をした。この場の空気を肺に入れたくないが、そうしなければ体の震えも冷静さも欠いてしまいそうだった。

 一度視てしまうと、今度は目を逸らしてはいけないと思う。野生動物と遭遇した時のような、本能的な勘に近い気がした。


 咲光の視線に、大妖は妖しく笑みを浮かべる。ゾッと背筋を氷塊が滑り落ち、反射的に腰に手を当てた。



「!」



 が、そこには刀はない。雷撃を受けた時に離してしまったのを思い出す。



(刀……何か武器を…何かっ…!)



 丸腰でこの相手には挑めない。得物が無い事に心臓が跳ねた。


 かつて、日野は言ってくれた。強大な相手には遠慮なく“とう”を呼びなさいと。一緒に戦ってもらえばいいのだと。

 そう言ってもらって、頼って良いのだと思えた。それが嬉しかった。


 だから咲光は、痺れの薄まった今、ここから逃げる事を選んだ。



(ここを出れば、きっと誰かが居てくれる…! 神社の外に…!)



 ふらつきながら走り出す咲光を、虚木はすぐに追いかけようとした。が、その動きが制される。

 喉を震わせ見つめていた大妖が、スッと手を咲光に向けて伸ばす。その掌がバチバチを光り、雷撃の光が走った。



「!」



 放たれた細く鋭い雷撃が咲光に向かって走り、その右足首を貫いた。

 ドサリと音を立てて倒れる咲光は、痛みを堪えながらも反射的に地面を転がった。立て続けに雷撃の雨が降って来る。

 髪が数本焼き切れ、着物が焦げる。わざと逸らしているのか遊んでいるのか、大妖の笑い声が耳を衝く。


 やがて雷撃を止めた大妖は、転がる咲光を見下ろし笑みを崩さない。



「うんうん。虚木や禍餓鬼が面白がるのも頷ける。みっともない姿よなぁ」


「もーっ! 面白いんじゃなくて嫌いなの主!」


「虚木」



 両の手を突き上げて不満を表し、怒っているようにも見える虚木に、禍餓鬼はピクリと眉を跳ね上げた。そんな二人にも大妖は声を上げて笑う。


 咲光は痛みをこらえながら、何とか身を起こす。が、痛みが強くて立ち上がる事が出来ず、グッと奥歯を噛みしめた。



(どうする…どうすれば……)






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