第百五十三話 この手が助けになれるなら
宿の部屋に腰を落ち着け、康心は説明を始めた。
「分かってると思うが、俺が迎えだ。鳴神家まで送る」
「じゃあ神来社…」
スッと康心が穂華の言葉を手で制止した。その動きに穂華も口を閉ざす。
「どこで妖が聞いてるか分からない。それは言わないように」
「分かりました」
「俺は連絡を受けてすぐ家を出た。馬で連日連夜走ってかなりの強行突破だったが、ちょうど良い時だったな」
「あ、ありがとうございます。私の所為で……」
「謝る事じゃない。それに鳴神家と神来社家じゃ、どうしても暗くなりがちで良くなくてな、穂華ちゃんが来てくれるのは助かる」
康心の言葉に穂華もホッと息を吐いた。緊張を解けてもらえたようでありがたい。
その表情の変化に康心も安心したように口端を上げた。
「悪いが、穂華ちゃんにも強行突破させる事になる。付き合ってくれ」
「はい! 私も皆さんに早く会いたいので大丈夫です!」
キッと前向き元気な言葉に康心は思わず吹き出した。
鳴神家に来た時もそうだった。家の雑事や家事を率先して手伝ってくれた。例大祭はとても楽しんでいたと諧心や一心に聞いた。
それと同時に、よく笑う子だと思った。茜ともよく笑っていたのを康心は見ていた。
一心と小突き合いしている時には、遠慮しながらも本音を言ってくれたりして、少し驚いたけれど素直な子だと感じた。
だから何となく分かった。
(素直で元気で笑みを絶やさない。けれど危険に鈍感という事は無い。だから一緒に旅をできるんだろう)
元気の源のような子。その笑みが一心と重なって、康心は少し頬が緩んだ。
底抜けに明るくて、どうしてかこちらにまでそれをうつしてくる笑顔。
「出発は明朝。早いが大丈夫か?」
「はい」
今はその頷きも頼もしい。勿論、康心が一人で走って来た時よりも少し遅くはなるだろうが、かける時間よりも穂華の事を優先するつもりでいる。
そんな事を考える康心の前で、穂華はあっと思い出したように、がばりと頭を下げた。
「先程は助けて頂いて、ありがとうございました」
「ん? あぁ。どういたしまして」
「康心さんすっごく強くて吃驚しました」
「俺も吃驚した」
お互いにフッと笑ってしまった。
馬で走って来ればどうして人だかりができていて、馬上から穂華の姿を認めた時には驚いた。すぐに滑るように馬から降り、近くの人に手綱を預け、慌てて入り込んだのだ。
あと一歩遅かったらと思うとぞっとする。責任をもって預かると言ったのに、何かあれば取り返しがつかない。
そう思ったと同時に、康心は数年前の事を思い出した。
(あの時も、あんな感じだったっけな…)
妻である茜と初めて出会った時もそうだった。茜が働いていた花屋に面倒くさそうな男達が居て、花を買いに行ったのに肝心の花をすぐに買えそうになくて、何よりも嫌がる茜を見て心底男達に嫌悪感を抱いた。
生来、人を傷つける奴は好かない。ゴロツキ相手にはすぐ手が出てしまう事が多くて、その時も一発二発殴って追い返した。
「道中も危ないから、離れてくれるなよ」
「はい。安心ですね!」
「そりゃよかった」
表情は言葉の通りで、康心もクスクスと喉を震わせた。
今、鳴神家で茜はどうしているだろうと思いながら、康心は穂華にしっかり休むように伝える。
そして二人は、翌日の朝早く、鳴神家へ向けて馬を走らせた。
♦♦
穂華が康心と共に馬に乗り、鳴神家へ急いでいる頃、咲光達は万所本部へ辿り着いた。
「………………」
町に着いて言葉が出なかった。
空を覆い太陽を遮る厚い雲。澱む空気。生気のない人々の目。漂う妖気。雑鬼達の姿さえ視えない。ピリピリと肌を刺す空気が痛い。
周囲の異様な空気に、敏感な八彦が俊敏に警戒する様子を見せる。全方位から敵意が飛んでくるような感覚に落ち着かない。
その中で、総十郎の視線が動いた。すぐに駆け出す総十郎に、同じように咲光達も続く。
町の中を駆け抜け、その足は万所本部の方向へ。町の境界を超え、本部敷地内がすぐ前に見える場所でその光景が見えた。
「…!」
眼前で妖力が爆発した。
土煙から飛び出す虚木の姿。それに対峙しているのは、数名の衆員と退治衆“頭”である日野天音、そして祓衆“頭”である雨宮蓮。
宙へ跳んだ虚木の蹴りが日野へ向けて振り下ろされる。それを飛び退ければ、蹴りはドゴォッと地面を砕いた。
日野は素早く反撃に移る。すでに長く戦っているのか、日野はあちこちに傷を作り、息が上がっている。その刃の輝きがいつもより薄いのを見て総十郎の眉間に皺が寄った。
日野の攻撃の合間には雨宮の術が虚木を襲う。霊力と妖力がぶつかり合り吹き荒れる。
間を開けず、虚木の妖力の塊が雨宮達に打ち下ろされた。強力な妖力ほど、防ぐにも強力な力が必要になる。
共に並ぶ日野と雨宮の眉間に皺が寄った。
「!」
が、それは眼前に現れた青と白を見て驚きに変わった。
ドンッ…と空気が一層重たくなって体に圧し掛かるような感覚が襲って来た。それでも照真は精一杯刀を握った。
「っおりゃぁあ!」
気合と共に妖力の塊を相殺させた。ぶわっと、まるで風が断ち切られたように羽織りが一瞬強く揺れる。
援護にやって来た総十郎と照真に、虚木の表情が歪んだ。
「日野さんっ…!」
「! 八彦君!」
「日野さん、雨宮さん。代わります」
「村雨さん…」
自分を見て心配そうに声をかけてくる弟子。八彦の姿を見て日野は目を瞠った。
久方の再会を喜ぶよりも、その表情とまとう空気に驚かされた。なんだか頼もしくなって見える。
八彦と共に来た咲光は、雨宮を見て強く頷く。その様子に雨宮もしかと頷いた。




