第百四十八話 最悪の事態
虚木は、仕方ないと言いたげに臨戦態勢を取った。
来る、と咲光達も構えた。
「…え。…!」
が、戦闘が始まる事はなかった。
構えていた虚木の表情が突如、驚きを見せて、バッとどこか視線を向けたのだ。
何だと訝しむ咲光達の前では、禍餓鬼も同じような動きを見せる。
「あ…あっ……あ…あははは!」
戦闘なんて忘れたように、虚木が体ごと視線を向けていた方へ向き直り、笑い出した。
何だと照真も八彦も一層に警戒心を持つ。
それに対し、総十郎はゾクリと全身が総毛立つような、頭を殴られたような、そんな感覚を覚えた。
雨宮がバッと耳に手を添える。その目がだんだんと瞠られた。
「終わりよ終わりよあんた達! やっと…やっとこの時が来たの!」
空を覆っていた雲が少し、濃くなったような気がした。まるで、今にも雨が降り出すかのように。
拳を震わせ歓喜に打ち震え、虚木が笑いながら空を仰ぐ。
「こうしちゃいられない…! 禍餓鬼すぐ行くわよ!」
「無論だ」
「! 待て…!」
空から一陣の稲妻が落ちた。空を裂くように落ちたその稲妻は、不気味な赤色。
周囲がその光から解放された時、すでに虚木も禍餓鬼も姿を消していた。
周囲にすでに気配もない。咲光と照真も刀を鞘に納めた。
「神来社さん、今……神来社さん…?」
返事がないので、咲光は総十郎に視線を向けた。が、すぐに目を瞠る。
総十郎が顔を青くさせていたのだ。照真も八彦もギョッとして、慌てて駆け寄る。
「かっ……どうしたんですか?」
「もしかして神威が強かったんですか!?」
「か…神来社さん…大丈夫…?」
目の前で三人がオロオロしている。いつもなら笑って、安心させるように声をかけてくれるのに、目の前の総十郎からは返事もない。
口元を手で覆い、地面に膝をついた。心配する咲光達も同じように膝をついた。
雨宮は、念のためにと衆員達に周囲の警戒を命じ、彼らをこの場から離れさせた。それに従い衆員達が離れていくのを見届け、雨宮は視線を総十郎に戻した。
その視線の先で、心配そうにしていた咲光がスッと総十郎の手に自分の手を添えた。
「神来社さん。一度ゆっくり呼吸しましょう」
ハッとなった総十郎が咲光の言葉に従い、ゆっくり息を吸って吐く。思わず照真と八彦も同じようにしていて、雨宮は微笑ましそうに目を細めた。
落ち着いた総十郎は「ありがとう」と咲光を見た。そしてすぐに立ち上がり刀を納める。それを見て雨宮は声をかけた。
「先程の赤い稲妻、一般的な雷ではありません。明らかに妖力を纏っていました」
「あぁ……。奴らの様子と文献に記載されていた内容、それにさっきの感覚……多分間違いない」
「ではやはり……。先程、私にも“声”が聴こえました」
総十郎と雨宮に、咲光達の視線が交互に向く。
何の話か分からない。ただ心臓がいやに煩くて、嫌な予感ばかりして。
(違う。この感覚を否定して欲しいんだ…)
そんな事ないと。心配ないと。そう言って欲しい。
咲光達の目に、総十郎は真剣なまま、辛そうな目を向けた。
「封じが破られたと、考えた方が良い」
「!」
「以前の会議の前に、総元より話がありました。お二人はご存知ですから、解りますね?」
これが、どういう事態であるか。
(え……今…? こんなにあっけなく…?)
(違う。それだけ奴らは手を打って、動いていて……)
これまでに積み重ねられた負の山が、今やっと天へと通じ、事を為した。
防ごうと誓ったのに、あまりにも早くてあっけなく思えてしまう。そして同時に、防げなかった無力感が沸き上がる。
言葉も出ず、全身の血の気が引く。そんな二人を八彦は心配そうに見つめ、総十郎を見た。
「ま、前に言ってた……奴らの主…?」
「あぁ。封じが解けたと思う」
「神来社さん、彼には……」
「大丈夫。総元に許可は貰ってる」
「そうでしたか」
なら言う事はないと雨宮はそれ以上止める事はしない。
八彦もまた起こった事態に拳をつくった。が、そんな中急に咲光がバンッと頬を自分で打った。一同の驚きの視線が向く。
「大丈夫。引っ張られちゃ駄目」
「さ…咲光…痛くない?」
「大丈夫。それに、日野さんや鳴神さん、万所の仲間がいるから、大丈夫!」
「姉さん…」
ね? と顔色が悪くても気丈に笑みを浮かべる咲光に、照真もうん…と頷いた。
互いの手を取り体温で温める。ぎゅっと強く、握りしめる。
そんな二人を見つめ、総十郎は雨宮も八彦も一緒に引き寄せて皆をぎゅっと抱きしめた。
皆をくっつける優しい力に咲光達も驚く。頭の上には、優しくてニッと浮かべられた笑みがあった。
「そうだな。皆いる。弱気になってる場合じゃなかったな」
「はい!」
「弱気になったら、姉さんに平手打ちしてもらったらいいですよ。多分、弱気なんて一発で吹き飛びます!」
「照真っ……」
「それは勘弁」
「……俺も」
「八彦君までっ……」
ぬくもりと信頼の優しくて柔らかな空気に、雨宮も少し驚いて、そして自然と頬が緩んだ。




