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縁と扉と妖奇譚  作者: 秋月
第十一章 大蛇編

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第百四十六話 標の手

 あやかしが力を増すという状況は非常に厄介なものだ。

 常に落ち着きを見せる雨宮あまみやの表情が、僅か険しいものになる。


 その時、二体の大蛇おろちが身をよじった。



「…?」



 身を震わせ、咆哮を上げる。しかしそれは威嚇や強さを感じさせるものではなく、どこか苦しそうな泣きそうなもの。

 泣きそうに、懇願するように、痛みを訴えるように、大蛇がその喉を震わせる。


 そんな大蛇を見ていると、不意に頭の中で何モノかの手が指し示す。

 それを視て雨宮は悟った。すぐにパンッと強く、拍手かしわでを打った。






♢♢




 誰かが手招いている。誰かが何かを指し示している。誰かが何かを言っている。

 けれどその全て、目に見えるものではなく、頭の中に視えるもの。耳に届くのではなく頭に落ちてくるもの。


 そんな不思議な体験は、私にとって子供の頃から馴染んだもの。


 けれど、恐ろしくはなかった。不思議なものが傍にあるかのようで、落ち着いて、自然と心で受け入れられた。

 私にとってそれはごく普通の事で、誰でもそうなのだと思っていた。


 父は小さな神社の神主。私は物心つく前から、父が神前で祈りを捧げている姿を見るのが好きだった。私も隣で一緒に祈った。


 祈りは己以外のなにかの為のものなのだと、父は教えてくれた。だから私も祈った。

 人々を見守って下さい、と。神様も毎日元気でいて下さい、と。


 父がいない時も私は神前で祈った。


 その時も、私の頭に声が降って来た。無意識にその声をなぞっていた。そして、やって来た父にとても驚かれた。

 それは、神へ捧げるとても長い言葉だったそう。


 どうして知っているのかと問われ、私は正直に答えた。

 頭の中にいる私じゃない人が教えてくれるの、と。視える光景と音。それを知った父はとても驚いて、分からないという顔をした。


 私はそこで初めて、これは誰にでもある事ではないのだと知った。


 そして数日後、私は父に連れられ、万所よろずどころ本部へ赴いた。




♢♢






 パンッと打った拍手が響く。



「地よ、木よ、風よ、水よ、火よ、山よ。太陽よ、月よ。東西南北の神々に申し上げます――!」



 この機を逃してはいけない。神が指し示してくれた、この機を。


 自身の霊力と数珠の力を借り、雨宮は凛然と唱える。為すべき事だけが今、目の前に視えている。その為に神は力を貸して下さる。


 神と共に今も大切な封じを守り続け、身命を賭してその役目を全うする術者を、雨宮はとても尊敬している。



「天に掲げしその御手にて、慈しみ、尊み、安寧をもたらし。の天蓋の向こうよりその御光を降り注がせたまえ」



 町を、森を、覆う妖気を祓わなければ。大蛇だけでなく、妖達の蠢く場になってしまうから。それでは、人々はいつまでも恐怖や不安から解放されない。


 人々に神の光を。安らぎを。



「息吹。この息吹。神の息吹と共に――!」



 雨宮の霊力がほとばしる。着物や周囲の木々を激しく揺らす。その轟音と大蛇の悲鳴が重なり合う。

 衆員達もその激しさを浴びながらも、祓人はらいにん達が束になり、重ねて呪文を唱えた。



「雷神招来…!」



 天を裂く二つの雷神の稲妻が周囲を白く染め、二体の大蛇を貫いた。

 あまりの音に一瞬、耳から音が消える。周囲が徐々に見えるようになり、「あー…」と音を取り戻す動作を繰り返す。


 そうして元に戻った時、雨宮は二体同時に大蛇が祓われている事を確認し、フッと力を抜く息を吐いた。

 妖気も、重苦しかった空気も、神の力により払われた。上々の出来ではあるが、衆員には負傷者も多い。



「軽症者は重傷者をすぐに寺へ。動ける者はどれほどいますか?」



 雨宮はてきぱきと衆員達の状況を確認する。確認しながら雨宮自身も応急手当てをしに回る。

 そうして祓人と退治人の数名を残し、応急手当が必要な者を寺へ戻した。


 今はこの場も空気が澄んでいる。これは徐々に森中に広がっていく。そして今、最も妖気が濃い場所が、虚木うつぎ禍餓鬼かがきのいる場所。

 雨宮は援護に行くため森の奥を見据えた。



「……?」



 瞼が震えた。瞼の裏に視える光景がある。

 だらりと垂れ下がってしまうように、力の抜ける手。同時に耳を震わせる音が聴こえる。



《……………》



 何か、言っている。少し聴き取りづらい。

 雨宮は意識して耳をそばだてた。砂のように零れ落ちる声は時折聞こえる声。尊く、敬い、奉る存在。



《もう……》



 声が耳に届く時の、どこか慣れ親しんだ感覚が消えた。

 雨宮は無性に嫌な予感がした。頭が警鐘を鳴らし、冷や汗が流れる。



(いつもの御声とは違う…。まるで御力を使い果たしてしまったような……)



 威厳に満ちて、活力に満ちた聞き慣れた声。だのに今の声はまるで違う。

 垂れさがる腕も、今の声も、きっと今の神の様子を映したもの。


 それなら――――



「至急、次の仕事へ移ります」



 雨宮は一言だけ告げると、すぐに走り出した。

 消えない不安が、ドクリと心臓を鳴らした。





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