第百四十二話 少しずつ、時をかけて
「水だ。水に関係する場所、恐らく川辺がその場所だ」
「川辺ですか?」
咲光達は総十郎を怪訝に見つめた。
なぜそう言い切れるのか。総十郎の勘を疑うつもりはないが、表情に出てしまった一同に、総十郎は続ける。
が、ここで止まっている暇はないので、走りながら説明する事にする。
「前に、鬼が川を穢していただろう」
「はい」
「その時、奴らのやり方が分かった。奴らは川の水に血や妖気を溶け込ませて流している。しかもそれは神来社家の神社に繋がる川だ」
バサバサと草木の間を抜けて走る。生き物の声もない。走る足音と草木の擦れる音だけが生じている。
「奴らは少しずつ、それを神域に流している。最初は恐らく少量で神域で浄化されていたかもしれない。だが時をかけ徐々に増やし、神域も、そして水を司る神すらも穢している」
「神を穢して、神域を穢して、復活の道にしている……」
「そういう事だ。かなり用心深く周到に長い時をかけて行っていたんだろう」
その声音は悔しさを滲ませる。
長く封じを守ってきて、弱まる封じにも力を注いできた神来社家。悔しさはひとしおだろう。
自然の川の水に身を隠し、悠々と神域を通り、過ぎ去っていく。留まる事なく、沁み込み、そして少しずつ神の威を削いでいく。
訪れる人々にも心に負を持つ人は多い。けれどそれは、神や総元が少しずつ清めていく。
だが、心の負を清める事と場を清める事では、かかる時間も方法も違う。
多くの人が参拝に訪れ、神を信仰する神来社家の神の威は、そう簡単には削げない。だが、完全に削ぐ必要はないのだ。
(負を引き入れるという事は、負を好む妖の力を増強させかねない)
神は負を嫌う。そして負は、他の負を引き寄せる。
今、咲光達が封じに使われていた玉を清めようとするのも同じ理由だ。
少しずつ穢し、濃くさせ、今はもう大胆に動いている虚木と禍餓鬼。かつての国の戦を良い方法だと言ったのは、死が蔓延った事と、今回のように川にも多くの血が流れたからだろう。
(この近辺での川を清めたとして、神来社家までそれは届かない。父さんには前回すぐに文を送ったが、止められるかっ…)
あまりにも後手に回りすぎている。このままではいけない。
だが、今の自分に出来るのは大蛇を倒すために力を注ぐ事。すぐにでも本部に向かいたいのに、虚木と禍餓鬼はそれを阻むように行動を起こす。
これまで奴らが起こしてきた事件も、わざと本部から離れた場所で起こし、目を向けさせないためのものだったのだろう。
ギッと奥歯を噛む総十郎は、走りながら水の音を捉えた。その方向へ急いで向かう。
「嫌な感じ…。まだ上流ですね」
「急ぐぞ」
流れる川を見つけ、すぐに上流へ向かった。
川辺を走りながら、咲光は顔を顰める。
今傍を流れる川の水は、これまで見てきた澄んだ水ではない。茶色い濁りではないが、透明なのにどこか濁っているように視える。近づくのを躊躇わせるような川だ。
川に沿って上流へ走る。走っていれば、大蛇の咆哮が聞こえた。姿は視えないが、霊力と妖気が漂ってくるのが感じられる。
(雨宮さん達も戦ってる)
一筋縄ではいかない相手。急いで封じの玉を見つけ清めなければ。
大蛇にも、そして封じられている大妖にも影響が続いてしまう。
川辺を走り、岩場を飛び越え、滝を上ったそこで、見つけた。
一際強く、重々しい妖気。池のようになった窪みの中に溜まった水は、さらに上流から流れてきている水だ。それが滝となって落ちている。
その傍に、虚木と禍餓鬼の姿があった。
「あら。思ったよりは早かったわね」
窪みに腰掛け足を水につける虚木は余裕な態度だ。禍餓鬼もまた視線はこちらに向けているが、その表情は読み取れない。
咲光達はすらりと刀を抜いた。そんな動きを見て虚木も足を上げ、立つ。その足元がいつも裸足である事に、今になって気づく。
「成程。大蛇は祓衆に任せたか」
「私が前に戦った祓人でしょ。まぁいいんじゃない?」
大蛇の方へ向かう様子はなさそうだ。それとも、大蛇にさして関心はないのか。
二体を見ていた総十郎は眉間に皺を寄せる。
(やはり、封じを解くための手段にしたな…。堂々とここまで動くとは…)
万所が駆けつけても、堂々としている二体。姿さえ掴めなかったこれまでとは明らかに変わってきている。
そしてそれが、事の深刻さを表している。
対峙する両者。虚木がダンッと地を蹴った。それに対し咲光と八彦が動く。禍餓鬼に対しては照真と総十郎が動いた。
虚木が繰り出す強力な妖気を纏う拳と蹴り。一打を確実に避けながら一撃を斬り込む。
咲光と八彦は交互に攻撃を繰り出す。
「チッ…!」
咲光と八彦は持ち前の身軽さを発揮し、虚木の拳と真っ向から刃を交えないよう戦う。受けた拳も流すように対処する。
そんな二人に虚木は鬱陶し気に眉を寄せた。
が、咲光と八彦は必死だった。虚木の一打一打を冷静に見極め、刀を振らなければならない。これまでの戦いで経験を積み実力を伸ばしていても、強力な相手に終始冷静に落ち着いて対処するのは精神的にも疲弊する。
虚木の拳を避けてすぐ、咲光は刀を振り上げた。ガキィッと妖力の障壁に阻まれる。
悔し気な表情を見せる咲光の前で、虚木が驚いたような表情を見せた。
一方で照真と総十郎も、禍餓鬼に対し休む間なく攻撃を与えていた。
瞬時に餓鬼が生み出されても、それとは打ち合わず一撃で切り裂く。
総十郎の求めに、神威が強く反応する。その刃は白銀に光り輝き、放たれる一撃に禍餓鬼も眉を顰めた。
禍餓鬼の手が光る。光る稲妻を近距離で弾く。火花が掠れば皮膚が裂け、一瞬焼けるような痛みが走る。けれど、それによって手が鈍る事は無い。
「っ……いっ…!」
禍餓鬼は常に、照真と総十郎の攻撃を冷静に見ている。動きも俊敏で、総十郎の刀を躱したと思えば照真の刀を雷撃で弾き、神威を相殺させる。
虚木同様、その身には妖力を纏い簡単に傷は与えられない。
(神来社さんの神威の方が、相殺するのに必要な妖力が多い。だからそっちを躱して消費の少ない俺の刀を相殺させてる…)
禍餓鬼の戦いに、照真は僅か悔し気な顔を見せた。
一方で、禍餓鬼は照真を見やり少し不快そうに眉を寄せた。




