第百四十話 一撃の違い
波のように、真っ黒な影が周囲を覆い尽くすように押し寄せて来た。
(餓鬼の波!)
周囲から押し寄せて来る黒い波は、一体一体の餓鬼。
虚木のみを避けて向かって来る。迫る数に全員が背中を合わせた。
一体一体斬っていても間に合わない。つらりと冷や汗が流れる中、総十郎は雨宮を見た。こんな時でも、雨宮は少し眉を寄せるだけ。
「問題ありません」
「頼む」
雨宮は構え、目を閉じる。
必要なのは願う事。想う事。その力を貸していただく代わりに、己に出来る最大限の事をする事。
この心は、幼い頃から感じ、祈り、恥じぬよう精進してきた。
「空を裂き、地を裂く剣を。雷神招来」
堂々たる静かな言葉。その声音とは裏腹に、天より落ちた雷神の一撃は太く鋭く荒々しい。
地に落ちた一撃の眩しさに咲光達も目を塞ぐ。一瞬耳から音が消えた。
周囲の眩しさが消えた頃、何とか目を開けることが出来た咲光と照真は、周囲から餓鬼が全て消え去っているのを見て呆然とした。
「凄い……」
「あんな強力な一撃…視た事ない……」
「これが…“頭”の力……」
祓衆の面々も呆然と雨宮を見つめている。が、当の雨宮は気にしていないのか気付いていないのか、視線を返す事無く総十郎を見た。
「雷神の一撃で浄化はされていますが、今はどこも気が悪いです。加えて浄化をしておきましょう」
頷いた総十郎と雨宮は、共に拍手を打ち浄化を乞う。それを見た咲光達も慌てて倣った。
また少しだけ空気が軽くなったのを感じ、咲光は周囲を見る。
虚木の姿はない。餓鬼の群れに紛れて逃げたのだろう。大蛇は二体とも変わらず結界の中に閉じ込められているまま。
(虚木だけじゃない、禍餓鬼もここにいる。やっぱり大蛇は奴らの仕業…)
照真もグッと拳をつくった。その想いは咲光や総十郎も同じ。
「こうも何度も逃げられるとは情けない……」
「それは俺達も同じです! 神来社さんだけの所為じゃありません!」
「そうです。それに、前程虚木の妖力に飛ばされる事はありませんし、今度は破れるように頑張ります」
「…うん。俺も……前程…恐くない」
次は勝つぞ! 何度も逃亡させん! と漲る三人に総十郎も思わず力が抜ける。赤羽や山本達他の面々も「凄いな」「あの妖気にビビらないのか…」と自分達との違いに言葉も出ない様子。
「そうだな。何度も次々言えないな」
「はい!」
後悔も反省も一瞬で終わらせ次を見る。目の前の四人に雨宮も僅か目を細めた。
総十郎はすぐに大蛇を見やり、その視線を雨宮に向けた。
「雨宮さん。結界はどれくらい持つ?」
「二日は持つと。ですがそれも、大蛇が暴れず、かつ、外部からの攻撃がなければです。以降は場の状況を見ても今よりは破るのは容易になっていると想定されます」
「なら、二日以内の終わらせよう」
具体的に出て来た数字に、咲光達にも緊張が走る。
強力な大蛇、それ以上の虚木と禍餓鬼。その相手に二日以内に事を終わらせる。
「俺達は引き続き、奴らが結界を破りに来ないか見張りを続ける」
「では私は、町及びこの近辺で奴らへの警戒網を敷きましょう」
「重々気を付けて」
「えぇ。非常時には式を飛ばします。そちらもお願いします」
雨宮はすぐに、共に応援に駆け付けた班と共に一旦町へ戻って行く。
それを見送り、総十郎は残った自分の班員である咲光達を見た。
「夜明けまで警戒を続ける。気を抜くな」
「はい!」
結界内の異変も、結界外の異変も。どちらも見逃さないよう警戒する。
大蛇を恐れているのか、それとも別の何かを恐れているのか、森からは生き物の声すらしない。そんな森を八彦は少し寂しそうに見つめた。
結界内の大蛇は、それぞれ回復に努めようとしているのか動き出す気配はない。が、油断は出来ない。いきなり、という事もありえる。
咲光も照真も周囲を見やる。
夜明けが近づけば妖の動きも鈍る。それまでまだ少し。
夜明けが近づく空は、今日もまた曇天模様。太陽の光が欲しいなと咲光は空を見上げた。
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「ムカつくムカつく!」
森の奥、癇癪を起こした子供のように苛立ちを吐く虚木に、禍餓鬼は何も言わない。
虚木は幾つも傷を負っているが、どれからもすでに血は止まっている。少々の傷ならばすぐに癒えるし、深い傷でも他の妖の妖力や人間を喰らえば、それが力になり治る。腕を斬られても突き刺されてもそれは同じ。
それに加え、今この森は負の空気が強い。人が薬で傷を治すなら、妖は負の空気が治療薬になる。あくまで補助的なものだが。
「…虚木」
「何よ!」
「…………かつてない濃い流れが出来ている」
眉を吊り上げている虚木に、禍餓鬼は一瞬だけ呆れも混じって言葉が遅れる。
宙に怒り出しそうな虚木だったが、禍餓鬼の言葉に怒りの形相のまま振り返った。
「後どれくらい?」
「正確には分からんが、すぐだろう」
虚木は機嫌が悪いような表情のままだが、禍餓鬼の言葉にフンッと大きく息を吐いた。
「すぐってどれくらい? 明日? もう一年も待てない」
「そうはかからん。もう、気付いても遅い事態になっている」
「早い会いたい」
「弱っている神威だ。明日であっても不思議ではない」
禍餓鬼の言葉に、虚木はストンっと座り込むと、封じの玉が沈む池から滝の流れを見つめた。
「……会いたい。我が主。明日にでも。今すぐにでも」
乞い願う、まるで小さな子供のような声が闇に溶ける。ただただ、会いたいという想いを乗せて。
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