第百二十九話 違和感
「気を付けてね」
「うん」
夕暮れも、空は雲に覆われ太陽が沈む姿は見られなかった。今は星が時折雲の隙間に見える程度。
仕事に出る咲光達を穂華は見送る。ぎゅっと両手を握り合わせ、少しだけ不安そうな目をしている。そんな様子に、総十郎はぽんっと穂華の肩に手を置いた。
「穂華。ここは今少し空気が澱んでる。だから、考えまで良くない方へ引きづられがちになる。それは本当に良くないものを引き寄せる」
「うん。信じる方がいいんでしょう?」
「あぁ」
「大丈夫。ちゃんと皆を待ってるから」
パチンっと穂華は気を引き締めるように自分の頬を叩いた。「…い、痛い?」「大丈夫!」と驚く八彦にも笑って返す。天真爛漫な穂華とその逆である八彦だが、最近は穂華のおかげか口数も増えて表情も少しずつ増えている。
微笑ましい二人に咲光も照真も笑みがこぼれる。
「穂華ちゃん。無理に起きてなくていいから、先に休んでてね」
「……うん。でも、前みたいに神来社さんが大怪我したりしたら、すぐに起こしてね」
「俺か…」
もしかするとこの面子で一番心配されてる? と何とも言えない表情を浮かべる総十郎の前では、咲光と照真が総十郎の強さを必死に説明していた。
そんな様子にやれやれと肩を竦める。
「行くぞ」
「はい! じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい!」
元気な声に送られ、四人は仕事へ向かった。
夜の町はまるで何かに怯えているように静まり返っている。所によっては雑鬼達が元気に走り回っている。その様子に、総十郎は怪訝さと険しさの混ざる表情を浮かべた。
闇の中を四人は走る。神主から教えてもらった一連の事件は、全て夜間に起こっている。そして朝に発見されるのだ。
町全体の空気が澱んでいる。妖気を探りながら走るが、不快さが顔に出てしまう。妖退治をするうちに、こういう空気の違いには敏感になっている。
「八彦君。何か感じる?」
「……すごく嫌な感じ。でも…はっきりとは分からない…」
神社を出てから八彦はずっと顔を顰めている。危機的本能が強い八彦は空気の変化に敏感で、今もしきりに周囲を見回している。
このままでは町の人達もこの陰鬱な空気に引きづられていく。何とかしなければならない。
そう思う照真の傍で、総十郎が飛び出した。慌てる事無く咲光達も続く。
どこかへ走って行く総十郎。その足が進むほど咲光達の表情も険しくなった。
(妖気が近い…!)
総十郎が道から逸れ、バッと川辺に飛び出した。
町の水の源だろう少し広い川。その一部が街灯の灯りに照らされていた。
「! 神来社さん、あれは…」
「あぁ…」
その声音が深刻で事の重大さを語る。
本来は透明であろう水。しかし、灯りの下を流れる水の中に赤色が混じっているのだ。
「こ…れ……血…?」
「…うん」
怪我をして洗い流している、というような量ではない。細々だがずっと流れている。
見ているだけでも気分が悪くなる。照真がそっと咲光の手を取ると、咲光の視線が向いた。
「気分悪くない? 姉さん。こういうの敏感だから」
「照真…。うん、大丈夫」
ぎゅっと、握ってくれた手に力を籠める。それに照真もホッとしたように表情を緩めた。
二人の前で、総十郎は川辺に膝をつくとパンっと拍手を打った。
「地に宿る神よ。水を司る神よ。穢れを洗い流し、清めたまえ」
神へ乞い、祈る。この流れる血が悪しきモノを呼び寄せないように。人々が引きづられないように。
祈った総十郎は、不意にズンっと体が重たくなったような感覚を覚え、思わず小石の敷き詰められた地面に手をついた。
「神来社さん?」
「どうしたんですか?」
咲光達が心配して隣に膝をつく。その視線を感じながらも総十郎自身が驚いていた。
(何だ…? 霊力は使ってないし、神威も強めてない)
川を見る。依然血は流れているが、先までの空気の悪さは軽くなっている。後はこれを止めるだけなのに。
神は御力を貸して下さった。それは目の前を見れば分かるのに、胸の内にしこりが残される。
「神来社さん……?」
「いや…悪い。大丈夫だ」
「…本当に?」
「あぁ。一瞬体が重くなった気がしたんだが、もういつも通りだ」
立ち上がる総十郎に、咲光達もホッと安心したような顔を見せる。それに頷き返し、一同はすぐに上流に向けて走り出した。
さして進まず、見つけた。
町の静かな一角を流れる川。その川辺に立つ者と、その足元に転がり上半身が川の中で沈み、ピクリとも動かない人。血を流していたのはその人物のようで、流れていた血はもう止まりつつあった。
鯉口を斬り、柄に手をかける。そんな退治人にやっと気づいたように、その妖は視線をゆっくり向けた。
見た目は人間で二十代の男性。額には二本の角が生え、人とは色彩が逆転した黒目と青い瞳。射貫くような鋭い眼光とは裏腹に、その表情は無である。
「…お前達が…退治人か。…奴から話には聞いていた…」
「…それが誰かを聞いても?」
「…明かせぬような相手ではない。…虚木という妖だ…」
その名に咲光達に緊張が走る。
咲光達を見つめていても妖は表情を動かさず、ゆらりと体ごと向き直る。その手には血に濡れた刀を握り、切っ先からはポタリと血の雫が落ちた。
総十郎は妖を睨んだまま言葉を続けた。
「奴と関わりが?」
「…関わり、か。…ならば最初から。…俺が今人を殺めるも、こうして妖モノになり果てたのも…」
「…………………」
裏に虚木の暗躍がある。つまり何かを企んでいる可能性が高いという事。
咲光達は視線を逸らさず、刀を抜いた。




