第百二十七話 一息
総十郎の回復力が凄いのか薬の効果なのか、傷はみるみるうちに回復していった。
完全に回復し旅に戻るまでの間、照真は八彦と手合わせをする。森で暮らしていた八彦は身軽で俊敏で、跳躍力も速さも目を瞠るものがある。照真も慌てる事無く冷静に対処する。
そんな手合わせを咲光も見つめていた。
それからまた日も経ち、総十郎が回復した頃に式が飛んで来た。
「次の仕事だ。行くか」
「はい」
一行は寺を後にし、次の目的へ向かう事にした。
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空は厚い雲に覆われている。夜の空でもそれははっきりと分かる。ここ数日は生憎の曇天続きで太陽を拝んでいない。
そろそろ太陽の光を浴びたいな…と咲光は空を見上げた。今見えるのは夜の空だが月も見えない。
今、一行は次の目的地までの道中。今日は旅館で一泊。
咲光は今、穂華と露天風呂でまったり寛いでいた。岩の風呂に周囲は木々がある。自然の中に入っているようで心まで落ち着く。
ふぅっと息を吐き、咲光は隣で同じようにまったりとする穂華を見た。
「今日もかなり歩いたけど疲れてない?」
「大丈夫。でも、やっぱり皆すごい体力だから、私も負けられない」
長く旅をしている総十郎に、ずっと森暮らしだった八彦も体力がある。町で穏やかに暮らしていたのだから当然だとも思うが、頑張ろうと心にする穂華の姿は元気をくれるし、とても嬉しい気持ちにしてくれる。
穂華はそう言うが、少しずつ体力はついてきていると咲光達は感じている。穂華は自分達と比較してしまうから、もしかすると気付いていないかもしれないが。
(でも、本当に穂華ちゃんは頑張ってる。いつも一生懸命で、私達も頑張ろうって思わせてくれる)
自分の足で頑張ると、一緒に旅をするようになった穂華。少しずつその成果は出ていると思っている。
「穂華ちゃんのおかげで野宿でもてきぱき準備は進むし、とても助かってるよ。ありがとう」
「ううんっ! 皆だってやってくれるもん。それにね、八彦君が食べ物採ってきてくれたりするし。木の実とか魚とか。兎獲ってきた時は吃驚したけど」
「私も吃驚した」
思い出して揃って笑った。
野営地を決めて火を起こして、ご飯の準備をしようとすると八彦がいなくなっていた。周囲に視線を向けてから探しに行こうかとすると、どこからか八彦が戻ってくる。その両手に木の実や獲った動物を持って。
当初は咲光達も目を点にした。そんな反応に八彦がオロオロとした。
狩猟の成功率は決して高くない。咲光も照真も挑んでみたことはあるが、成功はあまりにも少なかった。が、八彦は上手かった。体づくりの為にも肉が食べられるのはありがたかった。
旅の話に花を咲かせる中、咲光はまた別の笑みを穂華に向けた。
「先日、手紙の返事が来たんでしょう?」
「うん!」
穂華も笑みの花を咲かせて頷いた。
家族に心配されながらも背を押してもらい家を出た穂華は、月に一度ほど手紙を書いている。どの場所を旅した、どんな物を見たなどと旅の事を綴っている。
勿論、手紙に関しては出してもいいかと総十郎に確認を取り、「妖の事と仕事の事は書かない事」を条件にしている。人々、特に家族の不安を煽るような事はしない為に。
咲光はその手紙を出す穂華をこれまでに何度も見た。胸がほわほわとあたたかくなった。
定住していないので返書はいらないと伝えてあったが、先日、式を使った返書が届いた。
「式だったから、最初は神来社さんも何事だって顔してたね」
「うん。私宛だって分かって笑ってくれた」
「智世さんも思い切った事したね。鳴神さんに返書が送れないか相談するなんて」
「鳴神さん、管轄回りで町に来てくれてるみたい。それで時々顔見せに来てくれて、その時に相談したら、任せろって言ってくれたって」
「ふふっ。鳴神さんらしい」
「うんっ。でも毎月は申し訳ないから、何通かに一回だけにするって」
それでも、穂華は嬉しさを隠し切れず笑みをこぼした。咲光もその嬉しさを感じて同じ気持ちになる。
家族を大事にして欲しい。離れ離れでも、こうして時々には言葉や文字を交わしていてほしい。いつまでも、いつでも、続くとは限らない些細な幸せ。
「…ねぇ咲光さん」
「ん?」
無意識に伏せがちになっていた目を開き、自分を見る穂華の視線に首を傾げた。
穂華は少しだけ落ち着かなさそうに前髪を弄って、視線を動かして、そして咲光を見た。
「その…咲光さんのご家族はどんな人だったの…?」
穂華には旅を始めた頃に、「どうして妖退治をしてるの?」と聞かれて照真と共に答えていた。だから、家族がすでにいない事は知っている。
躊躇うような声音に、咲光はふわりと笑みを浮かべた。
「大丈夫よ穂華ちゃん。私も照真とはよく話すし」
「うん。時々聞こえる。咲光さんと照真さんには弟さんがいるの?」
「うん。特に照真は可愛がっててね、お兄ちゃんだって昔は張り切ってたよ」
家の前の広い庭。かつてそこで二人で遊んでいたのを思い出す。足取りも覚束ない弟と照真は風に吹かれて楽しそうだった。
そんな光景を見つめていた父。そこには居なかったけれど、記憶にある母もいつも笑っている人だった。
咲光は穏やかで優しく、幸せな日々の事を、穂華に一つずつ話していった。
その頃の男湯では、照真達が露天風呂で足を伸ばしていた。
三人並ぶと、明らかな体の逞しさも体つきも違うのが分かる。長く戦ってきた総十郎の身体には傷痕も多く、先日の傷も脇腹に痕を残していた。そんな総十郎を見つめ、八彦は少しだけ表情を曇らせる。
「…神来社さん…痛くない…?」
「え? …あぁ、この傷痕か? 平気だ、痛くない。もう痕だしな」
八彦の表情に総十郎は笑って答える。それなら良かったと、八彦の表情もホッとしたものに変わる。
八彦はいつも仲間の心配をしてくれる。些細な事も、辛そうな表情や痛そうな表情も、八彦はすぐに見つける。それが八彦の優しさの表れであり、照真は胸があたたかくなった。
総十郎は思わず自分の身体を見回した。脇腹の傷痕、肩や背にある傷痕、腕にある傷痕。濃いものも薄まったものも色々だ。
「うーん…まぁ確かに見ていて気持ちの良いものではないな…。こんなにあったかな? かなり昔のもあると思うけど…」
「そうなんですか? でも、それ全部神来社さんが戦ってきた証で、色んなものを背負ってきたんだなって感じるから、気持ちが良いとか悪いとか、そんな事ないですよ」
「……うん。神来社さん…ずっと…戦ってきてくれた…から…」
両隣の少年達もまた、身体や心に傷痕をつくり、今を戦っている。
総十郎はふわりと柔らかな視線を刹那浮かべると、いつものように「ありがとう」と笑った。
「ところで照真。前にふと思った事を聞いてもいいか?」
「何ですか?」
「お前と咲光は似てるけど、ご両親もお前達と似た性格の方だったのか?」
「? 俺と姉さんは似てないですよ?」
総十郎の問いに照真がコテンと首を傾げた。が、「いや似てる」と総十郎に言われ八彦にも頷かれ、余計に「そうかな…」と首を傾げた。




