第百二十二話 知らない弟子、知ってる師匠
「無様に死んだお前の弟子の話でもしてやれば、もう少し本気になれるか?」
学舎内の餓鬼を一掃し、咲光達は広場へ着いた。
そこでは、禍餓鬼と総十郎が入り込めないような圧迫感を持って戦っている。両者の距離が開き、咲光達は駆け寄ろうとした。
「神来社さっ…」
「下がってろ!」
聞いた事のない怒声に遮られ、三人の肩がビクリと跳ねる。総十郎は気付いてもいないようで振り返る事もない。
咲光達から見える後ろ姿は、今までに見た事がないくらい殺気立っている。その空気を敏感に感じ取った八彦がごくりと唾を呑む。咲光と照真も足が動かなかった。
知らない。見た事ない。いつも優しく笑っているのに。厳しく自分達を指導してくれるのに。
後方で立ち尽くす三人と総十郎を交互に見やり、禍餓鬼は総十郎を見た。
「そうか…。あれもお前の弟子か。愚かだな神来社。また同じ事を繰り返すのか」
静かな広場で、禍餓鬼の声は咲光達の耳にも届いた。
また…と音に出ず口が動く咲光は総十郎の背を見つめる。刀を握る手が強すぎる力に震えているのが見えた。
「“頭”としてその役目を果たしているようだが、実に滑稽だ」
「…………………」
「お前の弟子が死んだのは、実力を弁えなかっただけの事。俺のどこに恨みを抱く?」
呆れているような声音でため息すら吐く禍餓鬼に、総十郎が距離を詰めた。ただ強く刀を振り下ろす。
「それ以上アイツを侮辱するな」
怒りを滲ませる低い声にも禍餓鬼は面白そうに笑った。
禍餓鬼から稲妻が飛ぶ。近距離の攻撃に皮膚が裂けるが、総十郎は流れる血など気にしない。
そんな凄まじく立ち入れない戦いをじっと見つめ、咲光は総十郎を見つめたまま照真と八彦に静かに告げた。
「照真。八彦君。行くよ」
「えっ…」
二人は思わず咲光を見る。咲光の目はまっすぐ強く、けれど少し悲しそうに戦いを見つめていた。
迷うような八彦と、咲光を見て覚悟を決める照真。よしっと戦いを見つめる二人に、八彦も迷いを断ち切った。
「まずは、禍餓鬼を倒すより、神来社さんを止める」
「…止める?」
「駄目なの。あれは。神威の刀をあんな風に使っちゃいけない。……神来社さんは特に」
「!」
咲光の言わんとする所を照真も理解した。目の前では変わらず両者が戦っている。
(そうだよ。神来社さんは衆員と別に、大きな役目を担う家の人で、時には扱える以上の神威を授かる人。俺達とは神威も違う)
それに…と戦う総十郎を見る。
(見たくないよ。あんな戦い)
咲光と照真の胸に同じ想いが込み上げる。
禍餓鬼は先程「お前の弟子が死んだのは…」と言っていた。それはつまり、自分達ではない別の弟子が居たという事。そして、その弟子は恐らく禍餓鬼に敗れている。
総十郎は今、弟子の仇を前に怒りと殺気に満ちている。
「…照真。前に神来社さんの傍で言った言葉、覚えてる?」
「勿論。忘れるわけない」
だから…と咲光と照真は顔を見合わせて頷いた。
「行こう」
「うん」
照真と八彦も頷き、三人は地を蹴った。大切な人の為に――
総十郎の剣戟は傷を与えても致命傷には至らない。しかし確実に、互いの体力と妖力を削っていく。
出て来た二体の餓鬼を斬り捨て、流れのまま狙いを定める。眼前に現れた餓鬼を斬り捨てると、脇腹を灼熱の痛みが貫いた。餓鬼ごと稲妻で貫かれたのだと理解すると同時に、呻きを漏らす事はなくとも僅か動きが鈍る。
そこを見逃さず追撃を加えようとした禍餓鬼だったが、急にその視線が動いた。
「!」
目を瞠る総十郎の前で、三方からの攻撃が総十郎と禍餓鬼を引き離した。
総十郎との攻防で傷を作り、所によっては深そうな傷も見受けられるのに平然と立つ禍餓鬼。その目がじっと睨んでくる。
総十郎の両隣で刀を構える照真と八彦、すぐ傍に立つ咲光。三人の姿に総十郎は言葉を失ったが、すぐにグッと唇を噛んだ。
「神来社さん。そんな風に戦うのはやめて下さい」
そっと、刀を持つ手に添えられた咲光の手。静かだけれどどこか悲し気な声を、耳に入れたくなかった。
だから総十郎は、その手を振り払った。視線も向けず一歩前に出る。
「アイツは俺が倒す。だから……邪魔しないでくれ。…放っておいてくれ」
涙はないのに、まるで泣いているような、辛そうな、寂しそうな声だった。そんな総十郎に照真も八彦も視線を向けるが、視線が返される事は無く、俯いている総十郎の表情も分からない。
振り払われた手が少し寒い。咲光は総十郎の背をじっと見つめると、払われた手をグッと握った。
ずんっと総十郎へ足を進めると、思いっ切りその腕を掴んで引いた。いきなりの事に総十郎が驚いて振り返る。
パンッと澄んだ音が広場に響いた。
「え………」
「…ね…姉さん…?」
総十郎もまた呆然とした。左の頬を走る痛みはじんじんと痺れ、現実だと突き付けてくる。どんな事態でも冷静に考えすぐ理解するのに、今は理解が追いつかない。
眼前には、痛そうな、怒っているような、辛そうな、そんな顔をして唇を噛んでいる咲光がいる。
「……さく…」
「いい加減にしなさい。何の為に戦ってるの。どんな力を借り受けてると思ってるの」
「…………………」
「怒り任せで冷静さもない。相手は強力。自分一人でどう戦うつもり。貴方には貴方にしか分からない想いがあるんだと思う。だけど、このままやるつもりなら、その刀奪ってでも止める」
声が震えないように最大限気丈に振る舞って言い放つ。手の痛みも震えも、すぐに消し去るように左手で包んだ。
(痛いなんて思うな。神来社さんの方が、何倍も痛いんだから)
瞳を揺らすな。視界を滲ませるな。声も手も震える事を許すな。気丈に、毅然と言い放て。




