第百十二話 恋人(仮)
旅の疲れもあってぐっすり眠った翌朝。
「ご馳走様でした」
手を合わせて朝餉の終わり。食べ終わった膳は廊下に出しておくと宿の人が回収してくれる。
食後のお茶を飲みながら、一同ホッと息を吐く。
「この後どうする?」
「久しぶりの町だしゆっくり見て回るか?」
「小さいけどお店も色々あったみたいだし、私は賛成」
「私も。八彦君はどう?」
「…うん。俺も…」
これからの予定を決める一同の耳に、「失礼します」と襖の向こうから声がかかった。「どうぞ」と入室を促せば、そこには宿の人の姿。正座して少し困ったような顔をしているのを見て、照真は首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「実は…表に娘さんを訪ねて…男性が…」
「男性?」
「はい。その…黒くて長い髪の…赤い羽織の旅の女性を探していると…」
「………………」
あー…。ありますね、心当たり。
全員の胸中は同じ。困った様子の宿の人に加え、照真や穂華、八彦の視線まで突き刺さり、咲光はガクリと肩を落とした。
「えーっと…。心当たりがないわけではないので、私が行きます…」
「ありがとうございます」
ホッとした様子で立ち上がる宿の人に続き、咲光も立ち上がった。そして部屋を出る前に照真達を振り返る。
その表情はいつもと変わらない笑みだった。
「ちょっと行ってくるね。皆は先に町の散策に行ってて」
そう言い残し、咲光は行ってしまう。何も言わず見送るしかなかった照真達は、そそっと身を固めた。
「……昨日の人?」
「だよね。やっぱり姉さんの事諦めてくれないのかな?」
「なんだかすっごく、この人だ! って顔してたもの。咲光さんどうするのかな?」
「…咲光……昨日もすごく困ってた…」
「うーん…。結婚はしないだろうけど、断るの大変そうだし…」
八彦は少し心配そうな顔をしている。この事態をどうすべきか悩む三人の前を、スッと何も言わず横切る人物。
それまで何も言わなかったその人の行動に、三人は顔を見合わせると、こそこそと隠れるように後を付いて行った。
「朝早くにすみません。どうしてももう一度逢いたくて探しました」
「いえ…。えっと、どういったご用件でしょう?」
深く頭を下げると、次に頭を上げた時にはパッと笑顔を見せる男。少し戸惑いながらも、店の邪魔にならないよう入り口の端で応対していた。
男がズイッと咲光に身を乗り出すと、自然と咲光は少し後ろに身を反らす。
「改めまして、俺は猪山誠と申します。貴女のお名前は?」
「…村雨咲光です」
「咲光さん…! 咲光さん。俺と町を一緒に歩きませんか? 小さな町ですが是非案内させてください!」
たった今それを仲間と計画していた所なんです、なんてとても言えない。
えーっと、えーっとと考える。こういう状況は馴染みがないし慣れない。猪山は純粋な好意を持ってくれている。それを、相手を傷つけたり気分を害するような方法で拒みたくなかった。
だから余計に困る。なにせこうも好意を向けられた事がない。
「えーっと、それなら、私の仲間も一緒でもよろしいですか?」
「一緒にいた男の子や女の子ですね。はい勿論。ですが! あの男性にはご遠慮して頂きたい」
最後はやけに強調された気がした。
猪山が言う男性が誰なのかはすぐ理解した。総十郎の事だ。
(どうしよう…。勘違いしたままなんだ)
ここで、実は違うんですと言ってしまうと事は振り出しに戻る。もう戻ってるかもしれないが…。実は相手はいませんというのも同じ事を招く。生憎ここですんなりと別の人物は思い浮かばない。いない人をつくりだすのは難しい。
だから、総十郎が恋人だというフリをするしか思い浮かばない。
「だ…駄目なんですか…?」
「はい。俺はあの人には負けられないんです。咲光さんには、まず俺の事を知ってほしいんです」
「そういうのは俺を通してからにして欲しいんだが?」
「!」
聞き慣れたはずの声が、少し低く聞こえた気がした。
ハッと咲光が振り向けば、こちらに来てくれる総十郎。その姿に無意識にホッと安堵の吐息がこぼれた。が、総十郎はどこか不機嫌そうで、その表情はあまり見た事がない。
「すまない、遅れたな」
「いえ……」
総十郎はそのままやって来ると、咲光の肩に手を置き少し下がらせた。
自分と咲光との間に立つ総十郎を、猪山はまっすぐ見上げた。
「いい加減諦めたらどうだ。咲光はすでに断ってる。それも無視か」
「いいえ。昨日はいきなり過ぎたんです。俺はまず俺の事を知ってもらう事にします。何か問題でも?」
「咲光はそんなにほいほいと気持ちが変わる女じゃない。大体、お前の事を知る必要もない。俺がいる」
「さては、彼女を取られるんじゃないかと不安なんですか?」
「なわけあるか」
「俺は帰りません。今から咲光さんと町に行くんです」
「そうか。俺も行こう」
「ご遠慮願います!」
…ごめんなさい。口を挟めないです。
困る咲光はとりあえず二人を止めようと、総十郎の着物を掴んだ。
「……神来社さん」
「あぁ…。すまない、困らせたな」
すぐに気づいた総十郎は振り返って申し訳なく眉を下げた。そんな見慣れた様子にホッと息を吐く。
が、総十郎はすぐに表情を変えた。
「俺も行く」
「………はい」
総十郎が引かないだろう事は何となく読み取れた。それに、一緒に来てくれる事は心強い。




