第百十一話 勘違い
「結婚は出来ません。私には、しなければならない事があります」
男性を見て、一切視線を逸らさず咲光は告げた。
その視線を男性もまた逸らさず受け止める。そしてグッと握る手に力を籠めた。
「では! そのしなければならない事が終わったら、結婚してくれますか?」
「………………」
言い返す言葉も出なかった。
「諦めないのね…」
「……みたいだね」
完全傍観者の立場を取った声が耳に届くが、それに言い返す力もない。
これはどうしたら諦めてくれるのか…思わず内心ため息を吐くと、やんわりとだが強く、男性の手が咲光から引き離された。そして割り入ってきた総十郎に、咲光は驚いて反射的に一歩足を引く。総十郎の身体が完全に間に入った。男性もまた突然乱入者を見る。
「申し訳ないが、彼女は困ってる上、了承しないとはっきり言っている。諦めてくれ」
「あ、諦めません! 彼女こそ、占いが示した僕の運命の人です!」
「…占いか。だが、彼女とは初対面で、彼女がそうだと言い切れるか?」
「言い切れます! 一目見て分かります!」
クッと眉を上げて力説する男に総十郎も困った。後ろで咲光が困惑している証拠に、自分の羽織をキュッと掴んでいる。
(これはすんなりとはいかないな…)
言葉での説得が無理なら逃亡という手もあるが、ここはさして大きくもない町だ。すぐに見つかるだろう。それに穂華の休息の為にも一晩だけでもゆっくり休める場所が欲しい。
ちらりと後ろの咲光を見れば、困ったという表情をしている。
(怒らないんだなお前は…)
こういう場合、怒る者は少なくないだろうに咲光はそんな様子は見せない。困った、どうしよう。という表情だけで、総十郎はそんな咲光に眉を下げた。
きっぱりと断った咲光なので、押し切られるという事はないだろうがずるずるとは引きづれないので、総十郎はやれやれと思いながらも男を見た。
照真達はなぜかスススッと数歩下がっている。おいこらお前の姉の問題だぞ、と言いたくもなるが、仕方ないのでとりあえず男に対処する。
「ならはっきり言おう。彼女にはすでに相手がいる。君には渡さない」
「! それって……! それなら俺と勝負して……」
「そういうことだ。はい、諦めてくれ」
勢いを削げた一瞬を逃さず、総十郎はクルリと振り向いて咲光の背を押し立ち去る。うぐぐ…っと悔しがりながらも追って来る様子はない男に、総十郎も疲れたように息を吐く。
照真達もそそっと合流し、隣の総十郎を咲光は心配そうに見上げる。
「神来社さん。すみません。大丈夫ですか…?」
「あぁ。それよりあんな嘘言って……」
「諦めませんから!」
はい? と後ろから飛んで来た声に、ピタリと足が止まって体も固まる。
「負けませんから! その人が貴方のものだとしても! 俺は諦めませんから!」
「………え?」
とりあえず手頃な宿を見つけ部屋を取った。その部屋で一息つくより先に総十郎は咲光に頭を下げていた。
「すまない。本当に」
「いえ。気にしないでください。神来社さんの所為じゃありませんから」
照真達も羽織を脱ぎ、荷物を置く。八彦も一緒で、穂華は部屋に置いてある急須で茶を淹れ始めた。
「盛大な勘違いだったな。姉さんと神来社さんが、なんて…」
「勘違いされるような事は言ってない」
憤然とした面持ちの総十郎だが、穂華から向けられる視線には気付いていない。
謝ってくれる総十郎にありがたい気持ちと申し訳ない気持ちを抱きながら、眉を下げる咲光の傍に八彦が腰を下ろした。
「……咲光は…困ってた…けど……大丈夫…? ごめん…俺が……最初にちゃんと…出来てたら…」
「ううんっ! 吃驚したけど、八彦君が謝る事じゃないよ」
吃驚したねと笑う咲光に八彦も微か笑みを浮かべて頷く。
「まぁ、とりあえず何事もなかったので良いとしましょう。それより、穂華ちゃんに八彦君の事紹介しないとね」
「あ、本当だ」
パンっと手を打った咲光の言葉に照真も頷き、総十郎も「そうだな」と空気を換えた。
淹れたお茶を全員の前に出してくれる穂華と、少しオロオロとする八彦を咲光は交互に見た。
「穂華ちゃん。彼は朝緑八彦君。前の仕事で知り合った友達で、今退治人をしてる。八彦君。彼女は天城穂華ちゃん」
「初めまして。穂華です。私は戦わないけど、皆が戦いや稽古に集中出来るように色々やってます」
「…お……れは……八彦…」
「? 何でそんなにオドオドするの?」
気持ちが良いくらいの挨拶と下げた頭。だが反対に八彦は視線を彷徨わせる。そんな様子に穂華はコテンと首を傾げた。
初対面の人とはどうしても上手く喋れない八彦に、照真はすぐに穂華に告げる。
「穂華ちゃん。八彦君は人といきなり話をするのが少し苦手なんだ。だから、ゆっくり関わってあげてくれるかな?」
「そうなの? 分かった」
照真の言葉とすぐに頷いた穂華に、八彦もホッと息を吐いた。照真に「ありがとう…」と言えば、微笑ましそうに笑う照真は「どういたしまして」と両者を見つめた。
「八彦君はどうしてこの町に?」
「…日野さんが……行ってらっしゃいって…。総元…から……二人がどの辺りにいるって…聞いたからって…」
「そうなの? 総元ってそういうの分かるんだ…」
「…うん。…と……友達の力に…なりたいって……日野さんは知ってたから…」
友達と、少し恥ずかしそうに告げられた単語に、パァッと咲光と照真の表情は輝く。それを見て八彦はさらに照れくさそうに俯いた。
そんな三人に総十郎も微笑む。総元には事前にどちらの方向に行くと告げていたので、それを日野に伝えたのだろう。それに総元は、神威を纏う刀を持つ者の位置を、その神威を授けた神の力を借りる事で知る事が出来る。古くから続く術者の力は伊達じゃない。
「神来社さん、神来社さん」
「ん?」
少し考えていた思考が呼び戻される。
目の前にはニッと笑みを浮かべた四人がいた。
「これから五人旅です!」
「仲間がまた増えました!」
嬉しそうな咲光と照真。元は二人で手を取り合って旅をして。そこに総十郎が加わって、穂華と八彦が加わった。
一人の旅とは違い、笑顔と明るい声に囲まれた旅。
だから総十郎も自然と、嬉しそうな、楽しみを待つような、泣きそうな、笑みを浮かべた。
「あぁ! これからの旅も楽しいな!」
この時の五人は、問題がまだ解決していない事、そして翌朝訪れる悪夢を知る事はなかった。




