第百七話 兄であり夫であり
熱気に包まれ例大祭は無事に終了した。日が暮れひと段落つけば、鳴神家の面々もやっと一息つける。
バタバタとしていた面々に変わり、夕食の支度は咲光と穂華と照真が行った。出来上がったので後は皆を呼ぶだけとなり、咲光と穂華、そして諧心が康心と茜を呼びに向かう事になった。
部屋にいるだろうと向かう。縁側から見える庭には、茜が植えた花が咲いていた。そして、自室の前の縁側に二人はいた。
「……義姉さん」
「あら。諧心君、それに咲光ちゃんと穂華ちゃんも」
「…兄さん。疲れてる?」
やって来た諧心が首を傾げる言葉に、茜は「少しね」と視線を下に戻した。
そこには、肩を上下させ、茜の膝を枕に眠る康心がいた。穂華が恥ずかしそうに咲光の後ろにこっそり隠れる。それに苦笑い、咲光は声量を落としながら伝える。
「夕食が出来ましたが、どうされますか?」
「ありがとう。行くわ。任せちゃってごめんね」
「いえ。お世話になっているので、当然の事です」
茜も凛も、今日は一日中気を張っていただろう。その疲労がどれほどのものかは分からないが、少なくとも、しっかりしている康心が眠ってしまう程。それに付き添っていた二人に代わり夕食を作るくらいはどうということもない。
眼下の康心の横顔を見つめ、茜は僅か瞼を伏せた。
「今回は、お義父さんから引き継いだ事が多かったから、お疲れになったみたい」
そんな茜の眼差しを諧心はじっと見つめた。そんな視線に気付かず、茜は表情を笑みに戻し、康心の肩を叩く。
「康心さん。康心さん」
「………ん…」
切れ長の双眸が開かれる。まるで睨んでいるかのような半眼が茜に向けれるが、茜はニコリと笑顔。
「お夕食です。行きましょう?」
「……あぁ」
身を起こした康心は、咲光達に気付くと一瞬怪訝そうな視線を向けながらも、すぐに合点がいったような表情を見せた。
「呼びに来てくれたのか。悪いな」
「いえ」
「…兄さん。疲れてる…?」
「そんなつもりはないが……かもしれん」
ぐるりと首を回す康心を、諧心はじっと見つめた。そして不意にその傍にストンと腰を下ろした。そんな弟に康心は何かを眉を寄せる。
「兄さん。俺、兄さんの助けに…なれてる…?」
「あぁ。なってる」
「……………」
「どうしたいきなり。そもそも、俺はお前が隣でのんびりしてるのを見てるだけで、充分ホッと息がつける。…あぁ、後は、お前と茜が庭いじりしてるのを眺めてるのは幸せだな」
当然のような回答に諧心が俯いた。そんな弟に、一層に康心は怪訝な視線を向ける。
咲光も茜も、そんな二人を笑みを浮かべて見つめた。穂華は諧心を見て、キュッと咲光の着物を握りしめた。
(諧心さんも一緒なんだ…。お兄さんの力になりたいって)
ここ数日見た諧心は、いつも日向ぼっこをしているようなのんびりした姿ばかりだった。吹けば飛んでいきそうで、必要以上にお喋りでもなかった。
弟が分からないと言いたげな康心だったが、不意に「あぁでも」と俯く諧心を見た。
「俺の助けにって事ばかり考えるなよ。俺はお前がやりたい事をしてくれるのが嬉しい」
「……うん。…でも今は…兄さんの助けになりたい。俺…兄さん好きだから。義姉さんの事も、一心の事も」
「そうか。ならいい」
諧心を見つめる瞳はとても優しい。「飯にするか」と立ち上がった康心に諧心も続き、康心はそっと茜に手を差し出した。
「足、痛くないか?」
「はい。大丈夫です」
優しい兄弟と優しい夫婦。兄として、夫としての両面を持つ康心に、咲光も好ましさや羨ましさを持った。それは穂華も同じだったようで。
「康心さんって、素敵なお兄さんだし、素敵な旦那さんですね」
「そうか? 普通だろ?」
「兄さんは……すごく優しくて立派な人…」
「そうか?」
「……はい」
「そうか? 茜? 何で顔隠す?」
諧心はどこか誇らしげに、茜は顔を真っ赤に言った。羞恥には勝てなかったようで茜は少しオロオロとしているが、それも微笑ましい。
見ているだけで幸せを分けてもらえるようだが、穂華はぽむっと自分の頬を手で包んだ。
(康心さんって、鳴神さんの時もそうだったけど、言ってて恥ずかしいとかないのかな?)
あまりに堂々と言ってのける康心を見やり、穂華は疑問解消とほんの少しの好奇心から、咲光の後ろから問うてみる。
「康心さん」
「何だ?」
「茜さんの事す……どう思ってますか?」
「? 愛してる。これ以上ない最良で最愛の人だと思ってる」
なんだ急に、と言いたげな視線を穂華に向けながらも、一切合切羞恥など欠片も見せずさらりと返って来る返事に、聞いた穂華が恥ずかしい。咲光の後ろに隠れる穂華にどうしたと首を傾げていれば、「義姉さん…」と諧心の声が聞こえ、康心も手を繋いだままの隣を見る。
俯いて表情は見えないが、耳まで真っ赤にする妻がいた。
「茜?」
「……は…恥ずかしい……です…」
「? そうか?」
至極当然、思った事を言っているだけなのに…と少々納得いかないというような康心の表情を見て、咲光も苦笑う。
仕方ないので「ご飯にしましょう」と一同を食卓に誘導する。その短い中で、茜と穂華が「何で聞いちゃうの?」「えへへっ」と照れくささと笑みを交えていた。
「諧心。俺はおかしな事言ったか?」
「言ってない……。兄さん…いつもはっきり言ってくれるし…兄さんが義姉さんを大事にしてるの…知ってるから」
「だよな?」
後ろの会話に、咲光は苦笑うしかなかった。




