第百六話 人も神も
ワッと観客から歓声が上がる。その歓声に包まれ、悠々と馬に乗り進んでくる二人。
「!」
コソコソと何か話しているのか、笑っている鳴神と苦笑する総十郎。二人の姿に咲光は目を瞠った。
神事だからか、神の領域だからか。二人の姿がとても眩しく見えた。
馬は歩いて進み、走り出す位置についてから駆け出すのだ。その最中、総十郎の視線が咲光達をちらりと見た。
「格好いいなぁ!」
「全然緊張してないみたい。鳴神さんなんてすごく楽しそう」
「師匠が緊張する所なんて見たことないですね」
「一心は……なんでも楽しく出来るから…」
「…それ凄いですね。でも、一緒にいる神来社さんも緊張してないみたい」
「鳴神さんが一緒だと、自然と安心できるからじゃないかな?」
「確かにね」
咲光と照真も、仕事の時の事を思い出してクスリと笑みがこぼれた。
姿が見えなくなったと思えば、ダンッと力強い蹄の音が響いて来た。駆ける馬を脚で御し、矢を構えるのは鳴神。キリッと的を睨む視線と力強く引かれた弦。
バッと放された矢は、ビュンと風を切り、ダンッと的に命中した。「おぉ!」 と上がる歓声の中、鳴神は笑みを浮かべて馬で駆け去る。
そんな鳴神に、総十郎が続いた。馬を上手く制御し安定した走りを見せると、真剣な眼差しから矢を放つ。ダンッと命中した矢に、観客がさらに活気づいた。
「すごい……!」
感動した穂華もパチパチと惜しみない賞賛の拍手を贈る。総十郎と鳴神が走り去った方向を見て、咲光はホッと息を吐いた。
「……心配だった?」
「え……はい、少し」
諧心が咲光を見て首を傾げる。隣の咲光は少し心配そうな顔をしていて、今やっと安心したようだったから。
正直に答える咲光に、諧心はじっと咲光を見た。
「…大丈夫」
「?」
「一心は、あぁ見えて…すごく周りを見てるから……。だからきっと…君が心配してる事も分かってる。だから絶対に…怪我しないように…してると思う。神来社も…心配する君を馬上からずっと見てた。一心と同じ気持ちだった…と思う」
「諧心さん……。ありがとうございます。私が逆に心配させちゃ駄目ですね」
フッと力の抜けたような咲光に、諧心も少しだけ目を細めた。優しい瞳は少し康心に似ているように見えた。
それからも例大祭は滞りなく進んでいく。
行列が通ったり。大歓声と熱気の中で神輿が通ったり。神楽や舞が奉納されたり。そして競い馬の番になった。
再び総十郎と鳴神は歓声で迎えられる。今度は神事用の衣装でなく、総十郎はいつもの着物に青い羽織を、鳴神は馬に乗りやすいよう袴姿だった。
「これは衣装はいいの?」
「はい。この競い馬は、祀る神が地上にいらした頃にしたという勝負を再現し、かつ、武勇を好む神への余興のようなものらしいです。なので、形式よりも勝負! って感じですかね」
「そういうものもあるんですね……」
「…例大祭や神事は、神を祀り、敬い、贈るもの…だけど……人々の楽しむ気持ちとか笑顔とか…神が好まれるし、神の神威が強められるのも、大事な事だから」
「神にも人にも、良い空気を持っていただくためですね」
咲光の言葉に諧心は頷いた。
人々の楽しむ気持ちや笑顔は神の好むもの。良いものを好み、悪いものを嫌うのが神。そして、神の領域内でそれは大きく影響する。
今、この場で人々が楽しんでいるのも、神にとって好ましい事なのだろう。
(この神社は武神を祀ってるって言ってたから、こうした勝負事みたいなのは、神も楽しまれるのかな…?)
そう思ってそれを想像した照真は、思わず笑みがこぼれた。
その傍では、「奉納の神楽でも剣が使われるんですよ」「そうなの?」と、菅原に教えてもらった穂華がへぇと驚きを見せていた。
話をしていると、すぐに総十郎と鳴神は見えなくなった。
二人は一斉に走ると言う。広さは申し分なく、危険がないよう監視の目が行き届いている。全力で走ると言っていた言葉を思い出し、穂華は少しドキドキした。こんなに近くで見た事がないのだ。
固唾を呑んで待っていると、すぐに走り出しの合図の笛が鳴った。人々の視線が一斉に動くと、ダンダンッと重い振動が伝わって来た。
「!」
「わっ……!」
羽織が風にはためく。地面を振動させるほどの音。全力疾走の馬上で腰を上げ、互いに真剣ながらもどこか不敵に笑い合う二人。
駆け去った二人に惜しみない拍手と賞賛が贈られ、その熱烈な要望に応えるように、二人は二度目の勝負をする事になった。
「凄かった! あんなに速くてダンダンッて音も振動も凄くてあっという間! 馬って凄い!」
「穂華ちゃん穂華ちゃん、乗り手は?」
「すっごく格好良かった!」
「だろぉ?」
穂華の興奮冷めやらぬ賞賛に、鳴神はフフンッと胸を張る。そんな姿に咲光も笑い総十郎を見た。
「お疲れ様でした。神来社さん、あんなにも馬を駆るのお上手なんですね」
「旅の中じゃ、偶に馬を使う事もあったからな」
咲光も照真も馬には乗れない。ずっと徒歩で旅をしてきた。旅に馬を使うならば荷物も運びやすいだろうと考える。実際に使うつもりはないけれど。
「それじゃあ、後は楽しむぞ!」
「はいっ!」
鳴神の掛け声に、照真と穂華が賛同の手を上げた。




