第百五話 お前は俺達の…
わざとらしく笑みを浮かべる穂華にも、康心も「正確な報告じゃねぇか」ととっても悪い笑みで鳴神を見ている。
あらやだーと思っていると、すぐさま康心から「悪かったな怖い面で」と怒りのお言葉と、額にコツンと拳を当てられた。
そんな兄弟を穂華はちらりと見つめた。そんな視線に、台所へ視線を戻した康心が気づく。
「何だ?」
「あ、いえ……」
「そんな見られると、言ってくれた方が気が楽なんだが?」
「え…えーっと、康心さん、鳴神さんによく怒ってるから、仲良くないのかなって思ってました。ごめんなさい…」
「? いや? 別に謝る事じゃないだろ。実際にコイツにはよく腹立たされてる」
「……兄貴、そんなズバッと…」
「でもまぁ……」
康心は隣の鳴神を見ない。その視線は茶を用意してくれている茜と、夕食の準備をする凛を見ているようで、その実何を見ているのかは穂華には分からなかった。
「人の為、大変な事してる弟だからな。誇りにこそ思えど、厭う事は絶対にない」
「…………………」
兄の言葉に、鳴神が目を瞠った。無反応な弟に康心の視線が鳴神を見る。
「何だその面」
「…い……や……っと…。まさか…そんな事言われるとは思ってないし…。穂華ちゃんの前とは言え…嘘でも嬉しい…」
「あぁ? 誰が嘘言うか阿呆」
「!」
カリカリと頬を掻いていた指が止まる。世辞かと思っていた言葉に嘘はないと言い切られ、今度こそ言葉を失った。
そんな鳴神の目に、康心がやれやれと頭を掻いた。
「まぁ……確かに言った事は無いな。言わないと伝わらないとはよく言ったもんだ。お前の反応見てよく分かった」
「…………………」
「二度は言わん。お前は、俺や諧心にとって誇りだ。大変な事をしてると思う。あの時からずっと……。だから、家では阿呆してろ。笑ってろ。それでいい」
「……………………」
変だな。少し視界が滲んでる気がする。目許に手を当てる鳴神に、康心はそっと口元を緩めた。
優しい兄と、その想いを知った弟の姿に、穂華も少し胸が苦しくも嬉しさが溢れた。
「康心さん。お茶が入りました。あら? 一心君どうしたの?」
「いやっ……」
「昔っから泣き虫なんだ。気にするな」
鳴神を見て首を傾げながらも、康心が何だか少し機嫌良さそうで、茜は「そうなんですか」とそれ以上何も言わず笑みを浮かべた。そんな子供達に、凛は何も言わず優しい笑みを浮かべて黙々と料理を作っていた。
♦♦
それから例大祭の日まで、咲光達は実に有意義に過ごした。
稽古をしたり、準備に勤しむ朔慈や康心を手伝ったり、茜と庭の花の世話をしたり。花を愛でていると時折康心がやって来て、仲睦まじく茜と話をしていて、そんな二人に胸がほわりとあたたくなった。
菅原も、例大祭の準備と自身の勉学に精を出していた。ちょこっとお邪魔して、術に関する書物を見せてもらったり教えてもらったりもしたが、さっぱり分からなかった。
そして、例大祭当日がやって来た。
朝から多くの人が参拝にやって来る。境内には旗が上がっていたり、露店が出ていたりしていて、とても賑わっている。
朔慈と康心は朝早くから本殿で神事を行っている。凛と茜はその傍に控え、諧心は痛めた足に支障が出ない範囲で手伝いをしている。
「……………」
そして、咲光達は控室にいた。咲光も照真も穂華も、目の前の二人を思わずじっと見つめる。
見つめられても平気どころか「どう?」と胸を張る鳴神と、少し居心地悪そうな総十郎。二人とも、普段とは違う神事用の衣装に身を包んでいる。明るい色の着物と袴。細やかな刺繍が施されているが、ただ煌びやかなお飾りには見えず、どこか勇猛さを感じさせる。
総十郎もいつもとは違う格好には少し違和感があるようで、何度も袖を捲ったり、足を動かしたりしている。
それは見ている側も同じようで、照真も穂華も無意識に眉を顰めた。
「……なんだか神来社さん。すごく形式ばって見える」
「……うん。似合ってるんだけど。なんだろう」
二人の言葉には総十郎も苦笑い。
こうした形式的な格好は正直馴染みがない。家での神事は主に、父と弟達がやっているので、万所に入所してからこういう事はかなり久方振りなのだ。
咲光は総十郎を見上げた。
「まずは流鏑馬をするんですよね?」
「あぁ。走りながら矢を射る。的は二つあるが、それぞれが一本だけ射って二人で二つの的に当てる。っていうのがここのやり方らしい」
「どちらの的を狙うかは決めているんですか?」
「いや。初手の鳴神がどっちを狙うかによるな」
事前に打ち合わせてはいないらしい。楽しんでいる様子の鳴神らしいが、少しだけ不安もある。
ただでさえ、馬で走る事には落馬の危険が付き纏うのだ。勿論、そうならないよう二人はきちんと練習を繰り返した。が、咲光達はその練習を見せてもらえなかった。
『どうせなら、本番でビシッと決める所を見てくれ』
と、鳴神に言われたのだ。なので、初めて見る照真や穂華は今からワクワクしている。そんな二人の気持ちも分かるので、咲光も笑みを浮かべた。
「鳴神さん、神来社さん。気を付けて下さいね」
「おぅ!」
「あぁ。大丈夫だ」
ニッと浮かべられた鳴神の笑みと、総十郎の安心させようとする微笑みに、咲光もゆっくり頷く。
その直後、菅原が部屋にやって来た。
「師匠。神来社さん。そろそろです」
「よっしゃ」
やる気満々な鳴神に苦笑いを浮かべながら、総十郎も弓と矢筒を手に取った。
向かう総十郎と鳴神を見送り、咲光達は菅原の案内を受け、観覧席へ移動した。そこにはすでに諧心が居て、咲光達を見て手を上げた。
「一心と…神来社は、もう行った……?」
「はい。先程」
「そう……。ここ、特等席だから、よく見えるよ…」
諧心の言葉通り、案内されたその場所は、駆ける馬も、的も、矢を射る乗り手もよく見える場所だった。
「昨年は、諧心さんが乗り手をしたんですか?」
「…した。…でも、俺は上手くないから……兄さんと一心が上手だから…任せてる」
「康心さん、大変なんですね。乗り手に神事もしていたなんて」
「うん……。でも、兄さんはやるって決めたら…やる人だから……。俺は…あんまり助けにならないけど……」
「そうですか…? でも、諧心さんと一緒の時の康心さんは、なんだか一息ついてるって感じで、すごく柔らかい空気ですよ。茜さんとの時は、守らないとって感じで、柔らかいけど少し硬さがある感じがするけど」
照真の言葉に、吹けば飛びそうな諧心の表情が、目を瞠るものに変わった。「え……」と諧心が何か言うよりも先に、観客からわっと歓声が上がった。




