第百二話 鳴神家の図
鳴神の兄である康心。その妻である茜。可愛らしい人だなと思う咲光の前で、康心が鳴神を呼び起こす。
「一心。早く説明しろ。話が進まん」
諧心にずっとツンツンされていた鳴神がもぞりと起き上がった。その表情は実に不服不満そうだが、康心の一睨みで瞬時にいつもの表情に戻った。
「一週間後、例大祭があるんだ。人も大勢集まるし、露店が出たりもする」
「あぁ」
「うちの面々にとっちゃ大仕事だし、重要な神事なんだけど、その中に流鏑馬と競い馬がある。いつもは俺ら三人がやるんだけど、兄貴は今回は忙しいし、兄さんはちょっと前に足痛めて馬に乗れない。せめて後一人いればいいんだなぁって所で…」
「文送った俺に白羽の矢を立てた、と」
「そういう事。お前馬乗れるだろ」
やっと鳴神の頼みを理解した。総十郎自身、鳴神とは同じ立場でもありこういう事情に対する苦労も解る。
内容が分かれば断る理由もない。
(それに、息抜きにはいい機会だ)
ちらりと咲光達を見て、総十郎は尋ねた。
「鳴神の頼み。引き受けようと思うんだが、いいか?」
「はい」
「勿論です」
迷いなく頷く三人に、総十郎も鳴神に「分かった」と了承を返した。ニッと嬉しそうな笑みで「ありがとな」と返って来る。
やっと話がついた事に一安心し、康心は茜を見た。
「しばらく彼らが滞在するから、そのつもりで頼む」
「はい。お義父さんとお義母さんにもお伝えしなくてはですね」
「あぁ」
「おい康心………って、何だ客か?」
その時、襖の向こうから男女がやって来た。
部屋に集まっている大勢にその男女は少し驚いた顔を見せたが、男性はすぐに何かを察したように表情を戻した。
「おめぇさんら、万所の者……退治衆だな」
「! はい。今回は鳴神さ…一心さんから例大祭の頼みを受け、お邪魔しました」
すぐに見破られた事に少し驚きながら、咲光はすぐ居住まいを正して男性に頭を下げた。
男性がその視線を鳴神に向けると、肯定の頷きが返って来る。男性の傍では、女性が感心したように咲光を見つめていた。
「そうかい。そりゃ、来てくれてありがとな。………って、お前…」
その視線が一同を見回し、総十郎で止まった。両者の視線が合い男性が胡乱気に眉を歪める。
そんな男性を見つめ、総十郎は身体ごと向き直ると深く頭を下げた。
「お久しぶりです。朔慈さん。神来社総十郎です」
「お……おぉ! あの小さかった坊主じゃねぇか! 久しぶりだなぁ! デカくなりやがって!」
男性が喜色に顔を染め、ワハハと嬉しそうに総十郎の頭を少し乱暴に撫でる。少し強い手に小恥ずかしそうな表情を見せながらも、総十郎は手が離されるのに釣られて顔を上げた。
鳴神朔慈。一心達兄弟の父親。その姿は知っているものより老いた…というよりも、一層に貫禄がついたように感じられる。どっしりとした堂々たる空気。少し乱暴な手はいつも温かい。だが、その手は右手だけ。
(この方、隻腕なんだ…)
咲光は男性を見つめて分かった。着物の左袖が不自然に垂れ下がっている。
朔慈は傍に居た女性を座らせた。
「総元の息子だ。ガキん頃から知っててな。総十郎。コイツは俺の女房だ」
「初めまして。子供の頃に朔慈さんにはお世話になりました。神来社総十郎です」
「初めまして。朔慈の妻の凛です。お世話になんて、大方この人が今みたいにして困らせたんじゃない?」
「おい凛」
朔慈が眉を上げても凛は笑って動じない。その視線は総十郎から咲光達に向けられた。
「あら。こんなに可愛らしい子達まで妖退治を?」
「はい」
「あ、いえ……。私は一緒に旅をさせてもらってるだけです」
「…そう。ここでは目いっぱい寛いでね。自分の家だと思って」
「ありがとうございます」
凛の目はすでに咲光と穂華に向いている。傍に近寄って二人の手を取る凛の、その明らかな態度の変化に朔慈はやれやれと肩を竦めた。
何となく、照真はそそっと総十郎の傍へ寄る。
「ふふっ。ほら、ウチは可愛げのない男達ばかりだから、女の子が来てくれるのが嬉しくて」
「あ…ありがとうございます……? でも、鳴神さ……一心さんはとても優しい方で、私達も以前とても勉強させていただきました」
「そう? 仕事してる一心なんて全然知らなくて…。小太郎君はうちの男達とは違って素直で可愛いんだけど」
「………………」
男達からは一切言葉は返らない。なので咲光と穂華が少々困惑しながらも話をする。そんな二人を、鳴神はすまんな…と見つめた。
(ここで俺らが何か言うと、もう……態度豹変するの、分かってるから。頼んだ)
母からは見えない位置から、咲光と穂華に向かって鳴神家男性達が、頼む! と訴える視線と拝むように手を合わせる。そんな光景に咲光も内心えぇ…と困惑。
そんな鳴神家を物言いたげに総十郎と照真が見やる。
「………おい鳴神」
「すまん。でもうん、ほらな」
「………鳴神さん」
「照真まで…っ!」
「…母さん…恐いから…」
「悪いな。うちのお袋にあれこれ言えるのは茜くらいだ」
「後、小太郎。お袋、小太郎の事は可愛がってるんだよなあ」
「ずっと疑問だったんですが、そもそも皆さんはどうして凛さんに弱いんですか? 優しい方なのに」
「それお前と義姉さんにだけだから! うちの最強はお袋なの!」
「ちょっと、どういう事ですか、朔慈さん」
「阿保言うな。………あれと言い合うくらいなら、妖の方がマシだぞ」
「親父はお袋に押し切られて結婚してるから、口で勝てねぇんだよ」
「………朔慈さん」
「……義姉さん…」
「お義母さん、とても嬉しそうですね! 私も妹みたいな年の子とお話するのは久しぶりなので、とても嬉しいです」
「………………」
「茜。そろそろ飯の準備とかあるだろ。いいのか?」
「あっ。そうですね」
神来社家とも村雨家とも違う、家庭内絶対の存在というものが鳴神家にはあるらしい。
後ろの男達など知りもしない鳴神家最強らしい凛は、咲光と穂華をいたく気に入ったようで終始楽しそう。そんな凛に茜が声をかけ、やっと穏便に食事の支度にと二人は部屋を出た。
好ましく思われる事は嬉しいし、世話になるのでありがたい。が、少し気圧されてしまった咲光と穂華はホッと思わず息が出た。
「咲光ちゃん、穂華ちゃん。お疲れ」
「………鳴神さん」
物言いたげな視線にも、鳴神はワハハと笑って返した。




