第百一話 バラバラ三兄弟
菅原に言われるまま、四人は鳴神家に足を踏み入れた。そのまま案内されて廊下を進む。
廊下は木の香りがして落ち着く。左右の襖には細かく堂々たる虎や、今にも泳ぎ出しそうな鯉が描かれていた。実家にも似たような物があるのでさして気にも留めない総十郎の前では、年下三人がキョロキョロしている。思わず総十郎も吹き出してしまった。
進む先に襖の開け放たれた室があった。どうやらそこが目的の場所らしく、菅原はまっすぐ向かう。
「師匠。戻りました」
「おー、小太郎。おかえり」
「ついでに、お客様をご案内しました」
襖から顔を出した菅原に続いて咲光達も顔を見せると、おっと鳴神の表情が少し驚きを見せる。そんな鳴神の傍には、もう一人男性がいた。
「まぁ入れよ」
鳴神に手招かれ、咲光達は部屋に入り腰を下ろす。穂華の姿を見つけ鳴神は驚いた顔を見せたが、すぐにフッと頬を緩めた。
部屋に入った咲光は、鳴神と一緒にいる男性に視線を向けた。
鳴神よりは濃い茶色の髪はまるで寝起きのようだ。垂れた目は半分閉じられている。吹けば飛んで行きそうな空気を纏っていて、覇気も活力も感じられない。その目はやって来た一同をじっと見つめる。
が、鳴神はそんな事気にしていないように総十郎に視線を向けた。
「神来社。来てくれてありがとな」
「いや。にしても、仕事じゃないそうだな。何の用なんだ?」
「げっ。小太郎だな、言ったの」
「俺は師匠が神来社さんを招いた事も知りませんでしたよ。まさかとは思いますが、神来社さんにお願いするんですか?」
「うん、そう」
あっさり認めてニッと笑う鳴神に、菅原は眩暈を覚えた。慌てて照真が支える。
弟子のそんな様子に、鳴神は「いい案だろー」と笑っている。そして、その笑みのまま「それと」と隣に視線を向けた。
「紹介する。俺の兄さん、諧心」
「……こんにちは」
一同をじっと見たまま、明るい色を表す鳴神の声音とは全く違う、こぼれるような静かな声音。咲光達もそれぞれが挨拶した。最後に総十郎が挨拶をすると、諧心の視線はじっと総十郎に据えられた。
ぱちぱちと瞬くが、視線は逸らされそうにない。あまりにじっと見られるので、総十郎は少々居心地が悪い。何と言えば…と考えていると、先に諧心の目が逸らされ、その視線が鳴神に向いた。
「……神来社って…あの神社の……? 後、万所の…」
「うん、そう。で、兄さんの代わりを神来社に頼もうかなって」
「……いいと思う。ここは武神を祀るし……退治人は妖退治で人を守る…から……それなら他の人よりも…神も喜んでくださると思う。たぶん」
「流石兄さん。話が早い」
パチンッと指を鳴らす鳴神は、諧心と「わーい」と喜んでいる。どうしても諧心が吹けば飛びそうな表情なので、いまいち喜びは分かりにくいが…。
そんな二人を咲光達は首を傾げて見つめるしかない。菅原を見るが、説明は鳴神からさせるつもりのようで教えてはくれない。
どうやら諧心の代わりに何かをするらしい概要を掴みながら、総十郎は鳴神を呼んだ。
「ちゃんと説明してくれ。俺は一体…」
「一心! てめぇ代替案はどうした! てめぇ次第でこっちが動かなきゃいけねぇんだぞ!」
パァンッと庭に面した障子が開けられた。その音と怒声に咲光と穂華がビクリと肩を跳ねさせた。
全員の視線が向けられた先には、また一人の男性が立っていた。鳴神はさして驚いた様子もなく答える。
「あ、兄貴」
「あ、じゃねぇよ。代替案任せろっつって出てった挙句に待ってくれってのはどういう了見だ。後一週間だって分かってんのか」
「分かってる分かってる。やめて兄貴お助けー」
「……兄さん。お客さん」
怒り心頭。鬼の形相で鳴神に掴みかかるのはどうやら兄らしい。諧心の兄でもあるようなので、菅原が言っていた長兄だろうと思われる。
おふざけなのか鳴神の態度に、兄の額に青筋が浮かぶのを見て取り、諧心が兄の着物の袖を引いた。そして咲光達を指差し、兄らしい人物は咲光達を振り返った。
鬼の形相がスッと消え去る。「客がいたのか…」と頭を掻きながらその場に腰を下ろし、頭を下げた。
「客人がいるとは知らず、見苦しい所を見せてしまうとは。申し訳ない事をした」
「いえっ…! 鳴神さんのお兄さん…?」
「あぁ。俺は鳴神康心。コイツらの兄だ。さっきも驚かせて悪かったな」
最後の一言は、視線が合ってビクリと肩を跳ねさせてしまった穂華に向けられた。思わぬ謝罪にブンブンと穂華は首を横に振る。
咲光は三兄弟を見つめた。康心はざんばらの茶色い髪で、諧心とは逆に切れ長で吊り目の目は細められると迫力がある。三兄弟では最も長身のようだ。
(ご兄弟皆さん、全然雰囲気が違う)
だのに、不思議と三人の空気はぶつかる事なく調和しているように感じられる。
その空気に咲光達も自然と頬が緩む中、康心が鳴神を見て話を再開させた。
「で、この方達はお前の客か?」
「そっ。退治人で、前出て行ったのも、コイツらに頼まれたから。で、丁度いいやと思って神来社に代行頼んだ」
「神来社? あぁ、あそこの…。成程、断る理由はないな。本人が了承してくれてるなら、こっちとしてもありがたい」
「ちょっと待ってくれ。俺はまだ詳しく聞いてない。何を頼まれればいいんだ?」
しーん…と室内が静まり返った。咲光達からも総十郎同様の空気を感じ取り、康心は「一心…」と低く唸った。
本能的に危機を察知した鳴神が逃げる。……よりも康心の手が速かった。捕まえた鳴神をそのまま一応加減はして捻り上げる。最早客人の前だろうと容赦なし。
「ででででっ! 兄貴っ…!」
「おいコラてめぇどぉいう事だ? 本人が事情知らずじゃねぇか。何、やったぜこれで安心だ感出してんだてめぇは」
「だっ……出してないっ…」
「……出してた」
「兄さんまで!?」
畳をバンバン叩き、「いやぁー」と本気なのか分からない声が耳に届く。見かねた咲光と照真が声をかけようとした時、廊下からパタパタと小走りな足音が聞こえた。
その音に真っ先に反応したのは康心で、元々さして強くもしていない力をさらに目に見えて緩める。と、同時に襖の向こうから一人の女性がやって来た。
「一心君…? 今なんだか悲鳴が…」
「そうか? ちょっと久しぶりに遊んでてな。コイツがはしゃぎすぎてんだ」
「いや兄貴が…」
「そうなの? 本当に仲が良いですね。でも、ほどほどにして下さいね」
「あぁ」
先程までの怒りの形相を一切合切見せない感じさせない康心に、咲光達も呆気に取られる。鳴神の反論すらも腕で完璧に封じ込める長兄の行為は見えていない女性は、ホッと安心したように笑みを浮かべた。
女性が咲光達に気付くと、康心が鳴神をポイっと床に捨て身体ごと向き直った。その後ろでは諧心が「一心、兄さん怒らせるから…」と鳴神を突いている。
「万所の客だ」
「では、一心君の仲間ですね。万所の方はあまり訪れないので、おもてなしできるのは嬉しいです」
座る康心が女性に手を差し出せば、女性はその手を取り腰を下ろした。自然なそのやり取りに穂華は頬が緩んだ。
「俺の妻の茜だ」
「初めまして。どうぞごゆっくりしてくださいね」
「ありがとうございます」
茜は二十歳前後に見えて、康心よりも年下のようだ。長い黒髪は背で結われている。鳴神を締め上げていた康心とは逆で、大人しそうにも見えるし、子供っぽい笑顔を浮かべて明るくて元気があるようにも見える。
穂華は、思わず康心と茜を交互に見つめてしまった。




