3、姿の見えない侍女頭
由緒正しきシルバーコート家は、主人の世話から壮大な屋敷全体の管理を行うが為に、それなりに使用人は多い。
執事長ローグを筆頭に、執事たちや料理人、庭師……。その中でも一番職業として多いのはメイド、……侍女である。
このシルバーコート家には役に立たない人間は要らない。その為侯爵達は使用人を揃える際には、専門家を使用人にするのである。特に侍女は。
例えば侯爵は妻の嫁入りの際、護衛を付けたかったのだが妻に護衛とはいえ男の騎士を付けるのが気に入らないので、強い女性騎士や腕自慢を募り、その中から侍女業が出来る人間を雇った。
もちろん、普通に侍女としてのプロフェッショナルは揃えた上での話だ。
不足しているものを無理に会得させて補おうとはしない。専門家は専門家であれ。
侯爵からすればそれだけである。
まあそうなれば、侍女の顔ぶれは能力含めて様々になる。それだけ人が増える。だからこの屋敷の使用人の中で職業としては1番の数の多さを誇るのである。
そして、それをまとめ上げるのが、侍女頭。
彼女はローグと同時期にこの屋敷にやってきた。当時の侍女頭によって鍛えられ、彼女が引退する際にその役目を引き継いだ。
「ベリテ、ベリテ!」
「お嬢様、ベリテはここに居りますよ。本日もお嬢様はとても麗しいですね」
「リボンは紫色かしら?それとも白?」
「私の見立てでは紫色ですねぇ。……ほら、可愛らしい」
「今日のロッテンマイアーのおじさまのパーティー、イリス様はいらっしゃるかしら?」
「ええ、ええ。きっといらっしゃいますとも。
ロッテンマイアー公爵は軍部の将たる方ですから、今回のパーティーとて、貴族らしいものではなく、騎士達が多く集められた会合じみたものだと、旦那様も仰っておりましたから」
紫のリボンが令嬢の髪を飾る。仕上げにその上に家紋の入った宝石を取り付ければ完成である。
「公爵は自分が名指しで招待した相手以外は基本的に門前払いする主義ですから、この間のようなことは無いでしょう」
「問題はイリス様が来るかどうかなのだけれど」
「いらっしゃいますよ、きっと」
(どうでしょう。ロッテンマイアーのおじさま、意地が悪くてらっしゃるのよ。参加者は誰かしら〜と探りを入れたらそれくらいも分からないのかな〜(笑)って飴玉と一緒に贈り物を返してきました。物凄い子供扱いされております。悔しいっ!こうなったら今日のパーティーではおじさまの失態話を何としてでも集めてやります!)
……ちゃんと令嬢らしい会話をしてると思いきやですよね。
令嬢は父親と共に馬車に乗り込み、外の景色をただ眺めた。その間に父親は彼女の美しさを宮廷詩人も真っ青な見事な詩で褒め称えていたが、そんなものは馬車の走る音よりもどうでも良かったらしく、到着した際にどうだった!?と聞かれて何のことですか?と笑顔で応えていた。侯爵は半泣きだった。
(お父様の無駄に回る口は役に立つので回るだけ回しておくに限ります。その間私は秘技、目を開けて眠るの練習をしておりました)
しかしそれも束の間。馬車の扉が開けば、いつもの余裕綽々とした錬金術師がそこにいた。
「それじゃあリーちゃん。変な人にはついていっちゃダメだからね。パパはちょっと腹黒たぬき……けほん。美味しいものいっぱい持ってる人たちのデトックスに行ってくるけど、リーちゃんが帰りたいって言う頃には戻ってくるからね」
「……いってらっしゃいませ」
主催者である公爵閣下に挨拶をしなくてはならないと言う頭は既にそこには無いらしく、家族にだからわかるくらいでスキップをしながら、侯爵はパーティーの行われる本館ではなく、別館へと足を向けて行った。
(まあ、おじさまはこのシルバーコート家がどんな家か分かっているので、挨拶なんて正直帰る前に一言軽く声かければよしくらいに思っているのでしょうけど、普通に考えたら無作法にも程があるので、良識ある皆様はお気をつけて)
「お嬢様、旦那様のご心配は無用です。ディクが追っております」
「……うん。よろしくね、ベリテ」
「はい。いってらっしゃいませ。お嬢様。楽しんでらしてくださいね」
「……いってきます」
令嬢がパーティー会場へ足を踏み入れると、確かに、普通より男性比率……騎士たちが多い。中には女性騎士も居るようで、皆ドレスなどでは無く、所属を示すために軍服を纏っている。……まあ、とはいえ同行する夫人達はドレス姿なので、令嬢が浮くこともないが。
(イリス様イリス様イリス様。……東西南北、全方位にイリス様の気配なし。……折角めかし込んできましたけど、残念。まあどうせいらした所で挨拶する事は無いでしょうけどね)
いつも通り令嬢はやはりするすると、まるで誰からも認識されていないかのように会場内を歩き回る。ご婦人達に紛れてみたり、男性騎士達の会話を盗み聞き同僚の女性騎士達の中でも誰が人気なのか把握したり。……一般の人間よりも感覚が優れている騎士たちなので、いつもよりも側で見たり聞いたりの時間は少ないが、それでも確実に場内で収穫をしていた。
その楽しそうな様子を見て思わず笑ってしまった人物が1人。
「……閣下?」
「ふ……くく…。いや、……なんでもない」
「そんな全身で笑いを堪えておきながら、何でもないと言われても」
このパーティーの主催者である、ロッテンマイアー公爵本人である。現在の軍部のトップ。ある程度の挨拶も終えて、無礼講とだけ伝えて、皆思い思いに交流を楽しんでいる姿を楽しんでいた。
まあ、これはある意味、将軍主催のお見合いなのである。
貴族の夜会やパーティーと同じ。それが貴族同士ではなく、騎士など軍部の人間同士のものであるに過ぎない。
勿論所属する騎士たちは貴族から平民まで様々であるし、一見軍部に関係ない貴族も招待してある。そことくっ付くならそれはそれで良しである。
そして、今回のパーティーの目玉商品……ならぬ1番人気(公爵軍部調べ)は、護衛任務のために遅れて参加し、たった今到着。別室で公爵と話をして漸くパーティー会場に連れ立って訪れたこの男……。公爵が一から鍛えた弟子であり、王子の護衛騎士であるイリス。
公爵は、会場に入ってすぐ人物把握をして彼がいない事を確かめ、情報収集をして回っていてまだイリスに気付いて居ないあの令嬢が、こちらに気付いたらどんな顔をするのか楽しみで仕方がない。
とはいえ、彼女が此方に気づくのはすぐだった。イリスが場に居るだけで、空気が変わるから。
「……お前居るとすぐバレるな」
「私のせいでは無いです」
(あれ?急にご婦人が静かに。新入騎士が頬染めて……?……!イ、イ、……イリス様!何てこと!?遅れて登場!?これは夢?!何してるの私っ!早くベストポジションに!)
その令嬢はイリスに気がつくと直ぐに不自然にならない人混みの、尚且つ姿の見やすい場所に移動した。その事に気付いているのは、この場でただ1人、公爵だけ。公爵はイリスを連れて真っ直ぐ、その令嬢の所へ赴いた。令嬢は一瞬驚いて固まって、直ぐに令嬢らしい笑みを浮かべた。心なしか冷や汗をかいているように公爵には見えた。蛇に睨まれたカエルのようである。かわいそう。
「楽しんでくれているようで何よりだ」
(じゃあ声かけないでくださいませんかねぇえええ!?正直おじさまの後ろにいらっしゃるイリス様がイリス様すぎてイリス様……ああいけないとりあえずご挨拶しないとイリス様)
「……ええ、とても。本日はお招き頂き、有難う存じます。公爵閣下」
「まあそう固くなるな。そろそろダンスの時間だ。久しぶりに一曲どうだね」
「はい。閣下が宜しければ」
(注目が私に集まり始めてます。不快です不愉快です怖いです。お望みならば一曲くらい踊ってやるからはよ帰らせろおじさま。次が踊れないくらい足踏みまくってやる)
と、なんとも物騒な事を考えつつも、令嬢がイリスを前にしての緊張と今すぐに叫びたい興奮を堪えつつ普通の令嬢の顔を作っていたところへ……公爵は爆弾を落とした。
「よし。ではイリス、しっかりご令嬢をエスコートしてくれ」
「え?」
「はい。閣下。ハーコート令嬢」
(イリス様が目の前に!心なしか私を呼ぶ声が柔らかい気がします!そして微笑んでらっしゃる!私完全にフィルターかかってますね!眼福です!!これで現実では完璧なまでのあの無表情だと思うとよき!それはそれでまたよき!というかイリス様がこの私を認識して普通の令嬢にするように手を差し伸べてくださっているだけでもう、もう……!って、ここで気を失ってやるものかぁ!王子の"仕事"こなして得られた恩恵より大きい幸福が目の前に来といてそれを逃すほど私は馬鹿じゃないわっ!!)
……侯爵の血を引いてるだけあって、魚の大きさには敏感なようだ。……ああ、因みにハーコートは、シルバーコートの隠名です。王族主催の夜会以外は、この隠名を使って関係各所に赴いているとか。
(ウチの事はいいから仕事して。給料減らすぞ)
……けほん。
……それはそれは、美しい景色だったと申しましょうか。社交界でも華のある顔立ちとして有名な騎士、イリスは勿論のこと、彼が手を差し伸べている令嬢は、(中身は兎も角)美姫と言われた母親と、現在は渋みも出始めたもののまだまだ女性人気の高い顔の侯爵の娘(……あの侯爵の娘で中身が普通の令嬢だったらそれはそれでおかしくないか?)である。並び立った際に見劣りなどするはずも無い。……無いのだが、周囲の視線はイリスに釘付けだった。
何故か?……簡単に言えば、令嬢には乙女心フィルターがかかってはいたものの、目は正常だったのである。
あの護衛騎士イリスが、1人の令嬢を前にして、微笑んでいた。
常に気を張り、物事の真偽を見定めるが如く見渡す目は鋭く、決して溶けることはないと言われる氷山を思わせる男が、柔らかい笑みを浮かべて、優しげな顔で。
まあ、軽く大事件である。普段の氷柱のような有様は見て取れない。普段を知る周りの騎士達は驚き騒めき、相手の令嬢が誰かとか、どんな顔立ちだとかを確認する事も忘れてイリスに見入っていた。
……結果的に、令嬢は場内でほぼ認識されなかったと言っても過言では無い。
令嬢とのダンスを終えた後、彼女は帰るとの事により、エントランスまで送って戻ってきたイリスは、その時にはいつも通りになっていたらしい。一夜の奇跡か、はたまた酒に酔った騎士達の見た幻覚か。その後の夜会では必ず話題に上がるものの、真偽を知るのは公爵閣下だけであった。
さて、かなり大漁だったのかご満悦な侯爵と、一体何があったのか超笑顔なのに頭から今にも煙が出そうな令嬢が戻ると、屋敷の中は大忙し。
令嬢が倒れた。
因みに倒れる間際の一言は「尊い……」である。
侍女頭の指示の下令嬢を部屋まで運び、必要な身支度を済ませたのち侍女達は出て行く。ドアを出る際にそれぞれメモを渡され、明日の仕事が既に割り当てられた。
最近お嬢様付きになった侍女は、自分の部屋に戻ってふと疑問に思った事を、同じく部屋に戻ってきた先輩侍女に尋ねた。
「私たちに指示を出しているベリテ侍女長って、どんなお方なんですか?私まだお会いした事がなくて」
不思議な事に、彼女はいや、彼女達は侍女頭の顔すら知らない。それは勿論挨拶していないから、などではない。
彼女達は毎日会って挨拶をしているし、なんなら先程部屋から出る際にも会っている。その事を彼女達は知らない。……気付いていない。
「あら、さっきもメモを手渡しでいただいたじゃない」
「え!?」
「もう。いくら疲れているからといって、注意力を無くしちゃダメよ」
「はい……」
新人は多少落ち込みながら、寝支度を始めた。"先輩侍女"はその姿に笑いを堪えつつ、部屋を出て行ったが、新人は気づかない。閉じた扉の外側にかけられた名札は2つ。1つは新人。しかしもう1つは裏返しになっており、そこには『留守(中)』……屋敷外にて3日休みの2日目の意味を示していた。"先輩侍女"はその札を『留守(後)』に変えて、足音もなく立ち去った。
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