閑話 少し未来のとある村の少女の独白
農村の朝は早い。
日の出と共に目を冷まし、水瓶にある昨日の残りの水で顔を洗う。
それから寝間着から作業着に着替えたら、畑仕事に出る。
「おはよう」
家の外に出ると、出迎えてくれるのは妹のエルだ。
本当によく出来た妹で、姉の私より早起きで、いつもこうして家の外で待っていてくれる。
寝る時は一緒のベッドなのに。
「おはよう」
私はエルに挨拶を返して、差し出された桶を受け取る。
そこに入っているのは肥料だ。
フェスティス様から渡された、貴重で、とんでもない肥料だ。
それを持って私は担当の畑に向かう。
畑には様々な苗が育っていた。
一部の気の早いものには蕾が付き始めている。
それも大輪の花が咲きそうな立派な蕾が。
「すごいなぁ……」
蕾の様子を見て、害虫がついていないか確認しながら、私は肥料を撒いて回る。
つくづくすごいのだ、この肥料は。
なにせこの畑、種植をしてからまだ2週間と少ししか経っていないのだ。
この異常な成長速度は、決して種が原因ではない。
種自体はいつもこの村で使っているものだ。
変わったのは、この肥料。
この肥料を使うことで、種植から一晩で芽が出るという、前代未聞の成長速度を見せているのだ。
来週には収穫できるかもしれない。
馬鹿げた妄想だと思われるかも知れないけど、多分村のみんながそう思っている。
作物を一月ほどで収穫出来てしまうとんでもない肥料。
これを村にもたらしてくれた人のことを思うと、私は胸がきゅっとなる。
その人との出会いは、奇妙な出会いだったと思う。
山賊として村を襲撃してきたケンタウロスに対抗するべく、お金の無い村として命を賭けて行った狂言。
嘘から真を出すことで一部の老人を犠牲にケンタウロス達を撃退する捨て身の策。
それに引っかかった……と見せかけて、救ってくれた人。
それがトウヤ様だった。
トウヤ様はすごい。
どこがどうすごいのか、説明すると朝から晩までは掛かってしまうだろう。
ナイフを突きつけられても平然としていることとか、再来したケンタウロス達を撃退したこととか、フェスティス様を部下にしてしまったこととか、もうもう枚挙に暇がない。
だから、この胸は締め付けられ、ちくりと痛むの。
そんなすごい人が一緒にいたのに、お父さんとお母さんは死んでしまった。
そのこと自体は良い。
相手はとんでもない巨人だった。
山を超えた向こうからでも見えるんじゃないかってほど、天をつく高さの巨人だった。
あんな巨人との戦いで、貴重な時間を稼いで力尽きたらしい。
誇らしいと思う。
悲しくないわけはないけれど、この村が助かったのは……ううん、この村を含めて近隣の村々が助かったのは、お父さんとお母さんのおかげなんだから。
でも、それでも。
私は悲しいし。
なによりトウヤ様が、ものすごく申し訳無さそうに、辛そうに、私を見るの。
どうにか出来たんじゃないか。
助けられたんじゃないか。
きっとそんなことを考えているのだと思う。
あんなにすごい人だから。
あんなにとんでもない巨人が相手であったとしても、全員を救う手段があったんじゃないか。
きっとそんなことを考えてしまうんだ。
だから私の胸は苦しく痛む。
申し訳ないというのとも違うけれど。
私と、私のお父さんとお母さんが、トウヤ様を苦しめているように感じられてしまって。
「……良くないな」
畑に肥料を巻き終わって、私は嫌な考えを頭から追い出す。
こうして思い悩んで、私が苦しそうな顔をしていたら。
あの優しいトウヤ様は、それでもやっぱり苦しんでしまうだろう。
だから、私は元気に笑わないと──
「おはよー、ミッシェルちゃん」
「あ、おはようございますルゥラさん」
「あはー、お姉ちゃんかルゥラちゃんで良いっていったでしょ?」
めっ、とおでこををつーんと押される。
軽くだけど、相手はケンタウロスだ。
それだけで私の体はバランスを崩しかけ、なんとか踏ん張って、ホッとしてからその意地悪に頬が膨らむ。
「そ、そんなこと言ったってすぐには無理ですよ!」
「そうだねー、すぐには無理だねー。今日はなに食べたい?」
「……卵焼き」
「オッケー」
ルゥラさんはよしよしと私の頭を撫でて。
「よいしょ」
「ひゃっ!?」
私を抱えあげると、そのまま肩車して走り始める。
本気では走っていないのだろうけれど、早い!
「ちょ、ルゥラっ、さっ……! は、はやっ……!?」
「大丈夫だよ。お姉ちゃん、ケンタウロスの中では遅い方だから」
「じゅっ、十分はやいです!」
その高さと早さは、慣れないと恐怖でしかない。
もし落ちたらと思うと……ああでも、今の私なら平気かも知れない。
というのも、最近なぜか私は怪我をしないから。
私の防御力が上がったとか、そういう話ではない。
転んだり、なにかにぶつかりそうになったとしても、スライムが間に入ってくれるのだ。
村の人たちやケンタウロス達は、虹スライムと呼んでいる。
ちっちゃくて手のひらサイズのスライムなのだけれど、その弾力はすごい。
子供が包丁で危うく手を切りそうになった時、虹スライムが守ってくれた話もある。
今この村には、至るところに虹スライムがいる。
これもトウヤ様の配下らしい。
虹スライム達は擬態が得意らしく、いつもは目に見えない。
けれど村の人間に危険が及ぶと、その姿を現し守ってくれるのだ。
だからここで私が落馬したとしても、ほぼ確実に虹スライムが守ってくれる。
だから安心して──ううんやっぱり無理。怖い!
「でもほら、早くご飯食べたいでしょ?」
「それはそうですけど!」
「大丈夫、ちゃんと法術もかけてあるから」
ルゥラさんはケンタウロスには珍しい法術使いだ。
この村では唯一、ケンタウロスの中で実戦レベルの法術使いらしい。
なのでケンタウロス達の中では、支援部隊の隊長さんをしているのだそうだ。
そう、ルゥラさんは結構なお偉いさんなのである。
見た目ほわほわしておっとりしているけど、やる時はやる女性なのだ。
なのになぜか私の世話をしてくれている。
本来なら食事を作らせる立場の人なのに、私の家に器用に屈んで入り込むと、調理場で料理を作ってくれる。
「なんで、いつもこんなに良くしてくれるんですか?」
「んー?」
料理を作り終え、テーブルに配膳してくれるルゥラさんに聞いてみる。
「ひょっとして、トウヤ様に言われてるんですか?」
思いつきだったけど、聞いてみた。
ルゥラさんの部隊は支援部隊。
戦闘補助はもちろん、傷の手当や、メンタルケアも担当していると聞いた。
だからひょっとしてと思ったのだ。
「んー、半分正解、かな」
「半分?」
「うん。ほら、食べちゃって食べちゃって」
ルゥラさんに促されて私は朝食に手を付ける。
リクエストの卵焼きに、ふわふわのパン、それに野菜のスープ。
メニュー自体はあまり変わらないけれど、味はトウヤ様が来た後にかなりグレードアップした食事だ。
調味料というものをたくさん置いていってくれたらしい。
ルゥラさんはそれを使って料理するのが得意だった。
「あのね……私、もうすぐお母さんになるの」
ほんのりと頬を桃色に染めながら、ニコニコと笑いながらルゥラさんは言う。
「えへへ、まだね、お腹は大きくなっていないんだけど、分かるの。トウヤ様の影響かしらね、私も小隊長も確信してるの。だからミッシェルちゃんには悪いけど、子育ての予行って言うのが一つ」
「別に、悪くないですよ」
お世話になっているのは紛れもない事実だし。
私はまだ家事が出来ない。
教わってはいるけれど、特に料理はなかなか美味しくならない。
一品作るのにも時間が掛かってしまう。
だから、ルゥラさんがこうして世話を焼いてくれることは助かっているし感謝もしている。
「もう一つは、トウヤ様のためね。私達もトウヤ様には恩義を感じている。それを少しでも返したい。だからこの村を離れる時、一番気にしていたあなたのお世話をしようって、そう思ったの。迷惑だった?」
笑顔のまま、でも申し訳無さそうにルゥラさんは私の様子を窺う。
「いえ……すごく、助かってます」
「そう? ほんと? 良かったぁ」
ふにゃり、と笑うルゥラさん。
それにつられて私も笑う。
なんだろう、もって生まれた性質なのだろうか、ルゥラさんは春の日差しを思わせる暖かさがある。
それは両親をなくした私にとってとても懐かしいもので、ついつい甘えてしまう。
……あれ、とても懐かしい?
お父さんとお母さんが死んじゃったのは、ちょっと前の話なのに──
「お嬢ちゃーん! ミッシェルお嬢ちゃんはおるかねー?」
「あ、はーい」
いつもの声が聞こえてきて、私の中で刹那に浮かんだ違和感は一瞬で霧散した。




