164 ルシア
「魔神ルシアの研究室」――長い螺旋階段を降りていく。
明かりはあるので足下が危ないことはないけど、だんだん目が回ってくる。
「ねね、ノロット。魔神ルシアってことは魔法系の試練なのかな?」
「どうだろう。一応今までの試練はそれぞれの得意なものが反映されてるような気がするよね」
「そうなると、モラ様がいないわたくしたちには少々難易度が高いですね」
「うん……」
モラのことを思い出すと心が重くなる。一方で、がんばらなくちゃという気持ちにもなる。
階段がやがて終わると通路に変わった。
だいぶ深いところまで来たな。ここ、川の下を通ってるんだろうか。
通路はそう長くなかった。
突き当たりに、粗末な扉があった。ぎいと押し開いた僕らはあっけにとられた。
「……あれ?」
書斎があったんだ。
いや、書斎があったところでふつうなら驚かない。だけど、窓から見える外の景色が――おかしい。
花畑。一面の。
なんとものどかな雰囲気だった。
いやいや、和んでいる場合じゃない。僕らはジェノヴァ大学の地下にいるはずなんだ。なのに、窓の外に花畑? 太陽まで見えるけど?
「転移魔法か」
「どういうこと、ノロット? そんな魔法陣なんてどこにもなかったと思うけど」
「そうです。ご主人様、これは幻惑の魔法ではないでしょうか」
幻を見せられてるってことか。確かに、それもあるかもしれない――と思っていると、
「さ、さ最初の意見のとおり、こ、これは転移魔法だ」
誰もいなかったはずのイスに座る、人影があった。
「誰だ!」
僕がパチンコを構え、すでにエリーゼもショートソードを抜きリンゴは合図さえあれば跳びかかれる状態だった。まるで犬みたいだけど。
イスにすわっていたのは僕よりも背の低い男だった。小太りで、メガネをかけている。年齢は若そうなのに頭髪は若干寂しい。シャツのボタンは襟元まできっちり留められていて折り目のきっちりついたズボンを穿いている。まあ、戦いにはとうてい向いてない服装だった。
「お、おかしいな……ここって6番目のしし試練だのに、君たちまだ3つしかクリアしてない」
「……神の試練のことか? なぜそれを――というかこっちの質問に答えてない。誰だ、お前は」
「あ、あれ? 君たちヴィリエのとこに来た冒険者じゃない?」
話を聞けよ、と思ったけど聞き捨てならない言葉にこっちが釣られてしまう。
「ヴィリエ……『女神ヴィリエの海底神殿』のことか?」
「女神! そそそうだよ、女神だよ……ヴィリエは女神だよ……それをオライエは、女神と聞いて笑い出すし……あああアイツはバカなんだよ」
「あの、もしかしてだけど」
僕の脳裏に浮かんだひとつの推測。
「あなたはルシア?」
男はメガネを手に取るとポケットから取り出したハンカチでレンズをぬぐった。
「あ、当たり前だろ……こ、ここは僕の研究室なんだから」
彼がメガネをかけ直した瞬間、周囲の景色はまた変わっていた。
いきなり魔神ルシアに出会ってしまって驚いていたけど、そんなことはお構いなしに周囲の状況が変わっていく。
転移魔法。これはそう簡単に発動させられるものじゃない。モラに以前軽く聞いたところ、転移元と転移先の位置をはっきり決める必要があるから地面に魔法陣を描くことがほとんどだという。それを、ルシアは簡単にやってみせた。
魔神という名前のとおり、魔法の達人――天才なんだろうか。
「にしても、これなんだよ……」
僕らが立っていたのは広々とした平らな土地。周囲はぐるりと高い壁に囲まれていて、その上に――ずらりと観客席。
闘技場ってやつだ。実物を見たことはないけど、話には聞いたことがある。
ただ観客は誰もいない。空は抜けるような青空。ここは転移させられた先なのか、あるいは違う特別な魔法なのか――。
『こ、ここで、ほんとうなら最後の試練を、や、やってもらうんだ。でも君たちは、と、途中だし……』
声が聞こえてくる。ルシアはどこかで僕らを観察しているのだろうか?
『と、というか、ここに来た冒険者は、そ、そう多くない。他の試練を、とと突破した人は君たちが初めてだ……』
「あれ、そうなのか……?」
「あたしたちって実はすごいんじゃない?」
「ご主人様は最初からすごいです」
『わかんないから、と、とりあえず試練を受ければいい』
僕らの前に、灰色の煙が集まり始めた。
身構えると――煙は3体の形を取っていく。
「え……」
ひとりは、小柄な少年。
ひとりは、小柄な女性。
ひとりは、長身の女性。
持っている武器は――パチンコ、ショートソード、素手。
「これって、僕たち!?」
『か、完璧に君たちをコピーした……倒せたらクリア』
まったく予想していなかった戦いだった。
というか最初は灰色だったのに、今は色合いまで同じ。うわあ、気持ち悪い……。
便宜上相手は「灰色の」と考えておこう。
「! ご主人様、来ます!」
もにゃもにゃとなにか言葉を発したのは灰ノロットだ。パチンコから放たれた弾丸はオレンジ色の光を放って――。
「逃げて! 魔法弾丸!」
僕が言うのと同じタイミングでエリーゼとリンゴが横に跳ぶ。僕ももちろん回避済みだ。弾丸は僕らを通り過ぎたところでドォンと爆炎を上げる。
「っく! ウソでしょ、魔法弾丸までコピーされるなんて!」
「はああああああっ!」
エリーゼが踏み込んで灰色のエリーゼに剣を繰り出す。キィィィと高い音が鳴って剣と剣がぶつかった。
「うぬぬぬぬぬ……」
そうしてふたりはぴたりと、動かなくなる。
力が互角なんだ。
同じ現象がリンゴと灰リンゴの間でも起きていた。
繰り出される拳という拳を受け止め、流し、カウンター。それをお互いが繰り出し合う。正直僕なんかじゃ全然見えない。近寄ればたぶん死ぬ。
「!」
でもって――灰ノロットだ。
僕が気を取られていてもパチンコを撃ち込んでくる。僕がそれをかわして撃つと、むこうもかわす。僕がどこに撃つのかわかっているみたいに。
それなら――。
「ここだ!」
弾丸2つの同時射出。回避先へと撃ち込む3連。
いつもなら使わない手だ。
「うへ……」
かわされた。あっさりと。
僕が意表を突こうと思ったことすら、コピーされているんだ。
逆に僕も、相手がなにをしようとしているかわかる。
「ほっ」
足下への爆炎弾丸で目隠し。
死角に逃げ込んでからの3連ショット。
「おわっと! わかっててもあぶなっ」
かわせたけど一発がかすりそうになった。
むむむむむ。
これじゃあ膠着する。というか、勝てるわけないじゃないか。負けるわけもなさそうだけど。
いや、待てよ……僕らの体力は有限。相手は……もしかしたら無限?
戦いが長引けば相手の勝利になる――。
『しょ、少年はこの試練の難しさに気がついたのか。そこからが、ほ、本番だ』
ルシアの声が聞こえてくる。
まったく――なんていういやらしい試練だ。
そう言えばジストが言っていた。「死者も出る可能性がある」試練だと。
『あ、む、無理してやらなくてもいいよ……止めたくなったら、い、いつでも帰すから』
先回りしてルシアが言ってくる。というか、僕の心読んでないか?
にしても、途中退場自由というのに死んでしまうのは、無理して挑戦し続けたからだろうか。いや、というかお互い本気なんだから一歩間違えれば死ぬんだよな。
考えてる間も、僕と灰ノロットはパチンコの弾丸を撃ち合ってるし。
ダメだ。
絶対じり貧で負ける。
それじゃあ試練を突破できない。モラを取り戻すなんて夢のまた夢だ。
互角の相手と戦うことで、自分の知らなかった力を覚醒させる……とかそういうこと?
だからぎりぎりまで戦って死ぬ人が出てくるとか?
「ルシア! 灰色の僕たちは完璧に……ほんとのほんとに完璧にコピーしたんだよね!?」
『そ、そうだ。ぼ、僕の魔法は、ぜ、絶対に完璧だから』
なら……自分の知らなかった力の覚醒なんて、ない。
僕は推測を否定する。
だって、完璧にコピーしてるんならその力だってコピーされているはずだ。
ん、ということは体力もコピーされてる? だったら上手く戦えば勝てる?
いや……「絶対に完璧」とまで言い切ってるところが気になる。だったら100パーセント「引き分け」になるんじゃないか?
じゃあ、勝てるわけがないじゃないか。
ルシアは自己矛盾している。
絶対に完璧……絶対に引き分け……でも突破条件は「勝利」……。
「……?」
一瞬、灰ノロットの手が止まる。
ああ、僕の後ろにエリーゼたちがいるからか。僕がかわしたら当たるかもしれない――。
「あれ?」
エリーゼと灰エリーゼが剣を振り合ってるけど、僕の目にはどっちがどっちかもう区別がつかない。
「エリーゼ!」
「なに!? ちょっとこっち忙しいの!」
あ、返事したほうがエリーゼで、しないほうが灰エリーゼか。
いや、待てよ――。
「そうか……そういうことか」
僕の放ったパチンコの弾丸は、灰ノロットの放った弾丸と空中で正面衝突して宙に跳ねた。
「エリーゼ、リンゴ、一度戻って!」
僕の声に、ふたりが近接での撃ち合いから距離を取るように離れる。
「はぁ、はぁっ、はぁ……こ、これしんどいわよ、ずっと続けてたら頭おかしくなりそう」
「体力的には問題ありませんが、決め手を欠きます」
うんざりしたようなふたり。
「この試練の突破方法がわかった」
え? ときょとんとしたふたりに告げた。
「ふたりとも、今ここで僕を殴って」




