109 再び青海溝(6)
「——というわけで、あそこが以前僕らが王海竜と遭遇した大空洞です」
僕とラクサさんとリンゴが偵察しに来てから、1時間が経った。
時間的にはもう“十分”だろうという判断で、全員を連れて大空洞の手前にやってきている。
「では……全力疾走する準備をお願いします」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ねえ、王海竜は結局いたの? いなかったの?」
ソイが疑問の声を上げる。
「王海竜は、この大空洞のかなり近いところまで来ている可能性があります」
「じゃあ出てきたら戦うということ?」
「いえ、戦いません。全力疾走で駈け抜けます」
「……走って逃げ切れるの?」
ちらりとソイはセルメンディーナに視線を送る。
僕が、セルメンディーナのために強行突破を選んだのではと危惧しているのかもしれない。
確かにまあ、ソイのパーティーは全員魔法使いで走る速度はいちばん遅いだろうから当然の心配ではあるよね。
「逃げ切れないでしょうね」
セルメンディーナが答えると、
「じゃあ!」
「待ってください、ソイさん。セルメンディーナさんの意見には僕だって賛成なんです。でも、時間稼ぎの手段があります」
「時間稼ぎ……そのために1時間も待たされたってこと?」
「ええ、まあ」
僕は全員に向かって言う。
「荷物を持っても、大空洞を突っ切るのに2分もあれば大丈夫でしょう。もし荷物の重量が気になるようでしたらあらかじめ挙手してください。僕も手が空いているので肩代わりできます」
誰も手を挙げない。というか、「どうしよう」みたいな空気が漂っている。
「王海竜はシーゴーレムとは比べものにならないレベルの強さです。戦って全員が無事生き残れる可能性はきわめて低い……ゼロじゃないかと僕は思っています。だから戦いを回避することに集中するべきです。ここから先はある意味博打です。王海竜が出てくる前に僕らが抜けられるか、どうかの」
「ノロットさん、ちょっといいかい?」
ミートンが挙手した。
「たぶんその言葉は、ノロットさんを信じるかどうかを問うているんだと思うんだ。だったら、ノロットさんがどんな方法で王海竜が出てこられないようにしたか。その方法を教えてもらったほうが安心できると思うんだけど」
うっ。
鋭いところを突いてくるな……。
みんな「うんうん」とうなずいてる。
一方でラクサさんは眉間に皺を寄せて腕を組んでいるし、リンゴは相変わらずの無表情だ。
説明するべきかどうか……。
説明して信用されない、っていうリスクもあるんだよね。
でもここまで来たら言うしかない、か。
「わかりました——」
僕は説明する。王海竜は海につながっている水路からやってくることを。
その水路は大空洞の奥にあって、僕らが戦ったときには逃げるためにそこに飛び込んでいったことを。
「出てくる場所がわかっているなら、塞げばいいんです。……僕はその水路に、『凍える竜牙』を投げ込みました。凍らせて、水路を塞ぐために」
「…………」
あ、あれ?
「ガッカリ」とか「すごい!」とかの反応ならわかるんだけど……なんなんだ、この「ぽかーん」という反応は。
正しいでしょ? 水路があるなら凍らせればいいじゃないっていう発想だよ。
凍える竜牙は僕が持っているマジックアイテムのひとつだ。マジックアイテムって言っていいかは微妙なところではあるけど、フロストドラゴンの牙は周囲の温度を超低温に下げる機能があるので僕らはこれを遮熱性の高いモンスターの革でくるんで、食品を冷やして保存するのに使っていた。
で、さっきはリンゴにこのアイテムをバッグから出してもらって、水路にぶん投げて放り込んだっていうわけ。
一発で入らなかったらパチンコでうまく当てて入れようとは思っていたけど、リンゴはうまくやってくれた。
ちゃぽん、と海面に音を立てた凍える竜牙は、沈み始めてすぐ効果を示した。
海面に、氷が浮かんできたんだ。
中央に凍える竜牙を核とした氷が。
その氷はすぐに大きくなっていって、今は水路を完全に凍りつかせている。
問題は氷にどのくらいの厚みがあるのかってことなんだけどね……。でも1回や2回の王海竜の体当たりでは壊れない……んじゃないかな?
「あの、ミートンさん? どうしました?」
「ど、どうしたもこうしたも……君はそんなに高価なものを捨てたというのか!? 王海竜が出てこない可能性だってあったんだろ!?」
えっ、そこ?
「だって安全に進めることがいちばん大事じゃないですか。それにそんなに高価なんですか、アレって」
「高価いよ! 300年前に絶滅したと言われてるドラゴンだぞ!? 今売りに出したら1億ゴルドは超えるよ!」
う、うわあ、そんなに……。
モラが持ってたものなんだよね。300年前に絶滅ってことは、モラが現役だったころにはふつうに棲息していたのかもしれない。
「あんなものを簡単に捨ててしまうとは君は……」
ミートンがしきりにぶつぶつ言ってる。他の冒険者たちも呆れ顔だ。
捨てたんじゃないんですけども。王海竜を防ぐ手段として利用しているんですけども。
「……だから、か。安全をすべてにおいて優先し、使える手段はすべて採る。だからその年齢でダイヤモンドグレードになれる……いや、伝説級の遺跡を踏破できるんだな」
ミートンは納得したようにつぶやく。ほう、とミートンパーティーのみんなが感心したようにうなずく。
ほんとうは黄金のカエルのおかげなんだけど……黙っておいた。
結局、全員が全力疾走することに賛成してくれた。
「では参ります」
先頭はリンゴとラクサさんとセルメンディーナ。
次にソイパーティー。次にミートンパーティー、僕たち、ペパロニパーティーという順番である。
ペパロニパーティーの防衛役冒険者はいわゆる「しんがり」を担ってくれると言った。王海竜がもしも出てきたときのためだ。
盾で防げるのかどうかは……ちょっとわからないけど。
リンゴは出口が見えているから先頭で、ラクサさんはもしも滑りやすい場所や陥没している場所があったら指摘する役割。セルメンディーナは一応今回の救出作戦の依頼主だから、いちばん安全性の高い位置というわけ。
「移動開始!」
リンゴが走り出すと、全員が足を踏み出した。
大空洞に躍り出る20名を超える冒険者たち。
装備はガチャガチャいうし、荷物も重いから足音もうるさい。
……思っていた以上に早いペース。みんな、王海竜と戦いたくないからだろうか、一所懸命に走っている。
最後尾の重装備、ペパロニパーティーの大盾2名が遅れていた。
おいおい……守るって言ってたあなたたちが遅れてどうすんだよ……。
「こちらです」
いちばん重そうな荷物を持っていたリンゴがぶっちぎり先頭でゴールする。続いてラクサさん、セルメンディーナがゴールし、通路を奥へと追いやられる。どんどん追加が来るからね、手前で待たれるとつっかえちゃう。
と思っているとソイパーティーを追い抜いたミートンパーティーの中でも、ピョンタがゴールした。ミートンがそのあとに続く。
これは……行けるかな? 大体そうだよね。いろいろ準備していると肩すかしを食らうというケース。
まあ、王海竜に至っては肩すかしで済むほうがいいに決まってるけど。
ごおん……。
重低音が響いた。
ぎくりとして、大盾2名が足を止める。
「——走れ! いいから!!」
僕が叫ぶとふたりはあたふたと走り出した。
来た。
来たんだ。
ヤツが来た——。
どおおおおん。
氷を割って水しぶきが上がる。
マジか。
1発しかもたなかったのか、氷壁。
そこに現れたのは——首やあちこちの鱗が禿げた巨竜、王海竜だった。
傷痕はきっと僕らと戦ったときのものだろう。つまり、同じ個体ってわけだ。
でも大丈夫。この距離なら走ればぎりぎり間に合う。
防衛2名もかなり本気で走っている。金属鎧をがっしゃんがっしゃんいわせて。
もう他のパーティーに追いついている。
というか、ソイパーティーとペパロニパーティーが団子状態になって走っている。
ラストスパートでペパロニたちがペースを上げたからだ。
そうなると、基礎体力のない魔法使いはすぐに追いつかれる。
そんな、状態だった。
「あっ——」
転んだ。
べしゃっ、と、前のめりに。
ソイが。




