107 再び青海溝(4)
その日、夜。うちはリンゴが寝る必要がないので見張りを買って出てくれた。他に2人くらいいれば万全だろうということで、見張りはパーティーから交代で出すことにした。
「……えっと、確かこのページかな」
もう、みんな寝静まっている。寝られるときに寝るのは冒険者としての鉄則だ。
僕は蛍光石の明かりで、本のページをたぐっていた。
ふだんなら遺跡に潜るのに本なんて持ち歩かない。でも今回の救出作戦に当たって——なんとなく、持ってきたんだよね。
「いち冒険家としての生き様」を。
何度も読んだこの本だけれど、神の試練についての記述は少しだけだった。
——存在可能性は、冷静になって検討すると“あり得ない”と言わざるを得ないが。
「あり得ない、か……」
この冒険家が見つけられなかった神の試練を僕は見つけてしまった。
これまでずっと、バイブルだった本。だけど僕はこの本より先に進んでしまったってこと?
まさか……ねえ。さすがにそれはないよね。僕、冒険を本格的に始めてからまだ1年も経ってないのに。
ラッキーだったと言われればラッキーだったけどね。
「……ねえ、ちょっと聞きたいことが——」
声をかけられ、驚いて振り返るとソイがそこにいた。
色っぽい身体のラインを隠してしまっているローブはちょっともったいない——じゃなかった。
「どうしました?」
僕のすぐ向かいに、彼女は腰を下ろした。
……周囲を見回っていたリンゴがソイに気がついて目を光らせる。監視されている!
「ええ、作業の邪魔だったかしら?」
「いえいえ」
「そう——あのね、『63番ルート』は当然踏破できるのよね?」
「え? ええ、もちろんですよ。王海竜さえいなければ」
「王海竜、ね……」
「信じられませんか、存在が」
「いえ、というよりあなたとプライア様のパーティーが撃退したということが……でも、今日の戦いぶりを見ていれば確かに倒せるのかもしれないわね」
「前回はプライアさんがいましたからね……」
「そんなにすごいの、彼女?」
「ええ。でたらめな魔法力です」
モラを見ていると感覚がマヒしちゃうんだけど、モラをのぞくと僕が会ってきた中でプライアは魔法力に関してはダントツでトップだと思う。
「そっか……」
悩むような表情を見せた。
「……どうしました、ほんとうに」
僕は今の見張りが、リンゴと、ペパロニパーティーとミートンパーティーから1人ずつ出し合った3人体制だということに気がついた。
ソイのパーティーメンバーはみんな寝ているのだ。
「神の試練には、行かないの?」
ソイはようやく、質問を口にした。
ああ……そのことか。
「行きません」
たぶん、行かない。
いくらソイたちが凄腕の冒険者であっても、モラがいなければ神の試練への挑戦なんて夢のまた夢だろうと思うんだ。
全体の実力がどうのというより、信頼の点においてね。
「そう……」
「ソイさんは、行くんですか」
「私たちは初めてなのよ? 伝説級の遺跡は」
「でも——メンバーが行きたがってるんですね?」
「ええ」
ウチは逆だけどね。僕が行きたくて、リンゴとエリーゼが絶対阻止という態度。
「最奥に着くまで3日くらいかかります。ゆっくり話し合えばいいじゃないですか」
「——ん、確かにそれもそうね。ありがとう、ノロットさん」
「いえいえ」
「それとその本って……『いち冒険家としての生き様』?」
「そうですよ。知ってるんですね」
「有名だからね。どうしてそんなものをここに……今、読んでたのよね?」
「えっと、その」
僕は困りながらも答える。
「僕にとってのバイブルなんですよね……」
「あー。なるほどね。わくわくするよねー、読んでると」
「ソイさんも読みましたか?」
「ええ。冒険者で字を読める人間ならほとんど読んでるんじゃない?」
さすがバイブル。大ヒット。
「版や訳によっても内容が違うらしいわね」
……え?
今、なにか聞き捨てならないことを?
「知らなかった? 有名な話なんだけど」
「有名なんですか……?」
「ええ、特に古い版は、最新版ではなくなってる記述とかもあるみたいなの。——さて、それじゃ寝ようかな」
「あ、はい」
もうちょっと詳しく聞きたかったけど、しょうがないか。
「あなたの仲間がこっちをにらんでるしね。隙がなくて残念だわ」
妖艶な笑みを浮かべるソイと、こっちにつかつかと歩いてくるリンゴの足音。
「じゃ、おやすみ」
「あ……おやすみなさい」
ソイが去っていくと入れ替わりでリンゴがやってきた。
「ご主人様、ご無事ですか。変なところを触られたりしませんでしたか」
「変なところ!? ないよ、ないない」
「そうですか。あの女は危険です」
「リンゴから見ると女性は誰でも危険なんじゃないの……」
そんなことはありません。10歳未満の少女なら構いません。とか言うんだけどそれって女性全員ってことじゃないか……。
まあ、いいや。それよりもソイの言葉だ。
バージョンによって記述内容が違う……。
じゃあ、僕が持っているこの本は? 第何版なの? ……わからない。書いてないからね、どこにも。
「……寝るか」
「はい、おやすみなさいませ、ご主人様」
「リンゴ」
「なんでしょう」
「顔、近いから」
「…………」
寝転がった僕の、目と鼻の先にあったリンゴの顔が、渋々という表情に変わって離れていく。
「……では膝枕を」
「見張りお願いします」
「……はい」
リンゴが立ち上がり、去っていく。
蛍光石を僕はバッグにしまいこんだ。
急に周囲は暗くなる。
「他の本には神の試練についてもっと書いてあったりするのかな……」
暗い中で、僕は本を持った。
なんの動物かわからないけど、革でできた表紙。
「……ん?」
そのときぼくは、おかしな点に気がついた。
表紙が……うっすら光っている?
今まで暗がりで見たことはあったけど、こんなふうに光を発していたことなんてなかったと思う。
表紙をよく見てみると——革の切れ目から、中が見えた。
内側には魔法陣が描かれてあった。
翌朝から——と言っても海底だから日の光が当たるわけでもないんだけどね。僕らはまた「63番ルート」を進み始めた。
ちなみに本の内側に書かれていた魔法陣についてはなにもわかっていない。特殊なものなのかどうかすら僕には判断できなかったから、誰にも言わないでいる。モラと再会できたら聞いてみようかな。
昨日の戦いである程度慣れてきたというのもあるし、エルダーバットやサウザンハンズだけでなく格下のモンスターも多く出てきたこともあって、ペパロニやミートンのパーティーがかなり活躍していた。もちろんリンゴやエリーゼはもちろん、タラクトさんたちも戦う。
さらにはソイたちも参戦した。
『炎の精霊よ、我が呼び声に応え、その力をここに顕現せよ——』
3人ずつによる火炎魔法の斉射。
海底の洞窟だから火炎魔法は効率が悪いのだけど、逆の面では、海底の洞窟にいるモンスターは炎への抵抗力が少ない。
ソイたちは効率の悪さを人数で補って、弱点を突く方法を採用していた。たぶんミートンも同じ理由で火柱の罠を使っているんだろう。
火炎魔法の威力は絶大で、サウザンハンズなんか30メートルくらいの距離に近づくころには消し炭に変わっていた。しかも燃えるとニオイが抑えられるようだ。火遊び万歳。
「僕ら……結構強くない?」
「あたし、前回もそういうふうに思ったけど、そうじゃなかったじゃない。油断は禁物よ」
エリーゼにたしなめられた。
王海竜のことを言っているんだろう——と思っていたら、
「ほら、来た」
エリーゼが言っていたのは違った。
遠くから響いてくる、ずぅん……という重い音
ああ、そうだ……こいつがいたよね。
前回遭遇したのは結構奥だった気がするけど、こんな手前のほうにもいるんだね。
強烈な磯の香り。
湿った岩石で構成される“一応”人型になっているモンスター。
「シーゴーレムだ!! パワーが桁違いだから前衛は近づかないで!」
現れた巨体に、ペパロニたちが緊張する。
「でけぇ……」
「こんなにデカイなんて聞いてねえよ!」
緊張感とともに、絶望的な声まで聞こえてくる。
一方タラクトさんとラクサさんは「黄金の煉獄門」でゴーレムに遭遇しているから落ち着いてはいるけど、逆に言えばあの強さを知っている。
「リーダー、俺たちも戦おうか」
「シーゴーレムはちょっと特殊なんです。とりあえず待機でお願いできますか? まずは僕ら3人で受け持ちます」
「3人で?」
「はい」
リンゴとエリーゼが言い出したことだった。
強くなった装備でどこまで戦えるのか試しておきたい、と。
「行くよ、エリーゼ、リンゴ」
「オッケー!」
「承知しました」
左右にエリーゼとリンゴが走る。
「命じる。地殻弾丸よ、起動せよ」
ようやく。
ようやくだよ。
僕は魔法弾丸を起動する。光を発する弾丸。
射出された弾丸はエリーゼたちを追い抜いて、先にシーゴーレムに到達する——その、足下に。
低音が響く。地面から隆起した岩盤がシーゴーレムの右足を包み込む。
「おーっ!」
ソイパーティーから歓声が上がる。
自分たちで魔力を込めた魔法弾丸が使われたのがうれしいんだろう。
ゴーレム系モンスターとの戦いは、正面からのガチンコでは勝ち目がない。前回、プライアパーティーにいた防衛担当のロンですら、引き受けるのは無理だと言っていた。
となれば、足止めするしかない。
あとは翻弄しつつ集中砲火で——。
「なっ!?」
エリーゼたちが攻撃に移る直前、シーゴーレムは岩盤に囚われていた足を引き抜いた。礫片が飛び散る。
マジかよ、バカ力!!
足止め失敗だ!
「せえええええい!!」
エリーゼにだって足止めの失敗は見えていたはずだ。
だけど彼女は物ともせず攻撃に移る。
目標はシーゴーレムの右腕。
斜め下から振り上げられた剣閃。
前回、切っ先をめり込ませただけだったのが——断ち切った。
岩石の切れ端が飛ぶ。
切れた部分から飛沫が噴く。
だけど飛沫は真横に飛んでいる。エリーゼにはかからない。
そこまで見切った上で斬ったんだと僕は気づいていた。
「フッ——」
左腕に向かったリンゴを迎え撃つ、振り下ろされる一撃。
直撃すれば人間なら肉片になる。かすっただけでも皮膚はすり下ろされる。
それを、半身をひねるだけでかわすリンゴ。
叩きつけられた腕が地面を揺るがし、爆風がリンゴの赤い髪を、メイド服のスカートを翻す。
衝撃にリンゴがひるむこともバランスを崩すこともなかった。
攻撃後の硬直を狙って、シーゴーレムの腕をつかむや、逆上がりのような要領で足を跳ね上げる。
シーゴーレムの腕の付け根にあった岩石を撃つ。
靴底に仕込まれたミスリルはたやすく岩石を破壊し、飛沫を散らす。
「……これが気にくわないのですわ」
腕の付け根を破壊されたせいで左腕は完全になくなった状態だ。
片腕になったシーゴーレムから距離をおいたリンゴは、びしょ濡れになった顔をぬぐい、ぴっ、ぴっ、と手を振って水を切った。
そこへ、まったく濡れていないエリーゼが言う。
「だから武器を使ったほうがスマートに戦えるのに」
「大剣を振り回す女性がスマートだとは思えませんが?」
「あたしの天使のような容貌と相まって、戦場のバトルエンジェルとか呼ばれちゃったりしてね! きゃー!」
「……ほんとうによかったと思うのは、ご主人様にいちばん近いところにいる成人女性があなたであったことです。度を過ぎた妄想のおかげでご主人様はあなたになびくこともありませんもの」
「はぁー!? ノロットだってあたしのこと大好きですけどー!? 度を過ぎた妄想をしてるのはどっちよ。アンタが夜な夜なノロットの顔を一晩中眺めてにやにやしてるの知ってるんだからね!」
「くっ……わたくしの生きがいをこんなところでバラすとは!!」
恐ろしいのは話の内容ではなく——いや、話の内容も恐ろしいんですけども……ともかく、ふたりはそんなことを言い合いながらもシーゴーレムと戦いを続けているというところだ。
右腕の攻撃をかいくぐり、足踏みによる震動にもバランスを崩さず、的確に岩石を破壊していく。
「リーダー……」
「ラクサさん、なにも言わないでください。最もつらい思いをしているのは、僕です」
ふたりは結局、そのままシーゴーレムを破壊した。
また僕は活躍できなかったよ……。




