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夢の後に  作者: 中島 遼
38/61

川上2

「そろそろ潮時とは思ってたんだ」

 彼は少し寂しそうに笑った。

「ここにこうやって店だして、固定のお客さんもついてきて、経営も安定してきてブログにもカキコしてもらえる。夜にはバイトも一人雇えるようになって、やっぱ、こっちに注力しなきゃなんないなってさ」

 押し黙った伊東と萌に、川上は頷いた。

「君たちみたいに真剣にやりたいって人がいるんなら、助力は惜しまないし、俺が集めたものを全部渡してもいい。でなきゃ、このままだと俺が集めた物も塵みたいに消えちまうことになるからさ」

 川上は、今度はムール貝についている紐みたいなものを引っ張って取った。

「……元々俺がここの伝承を集め始めたのは、馬鹿みたいな話でね」

「そう言えば、この町の方じゃないんでしたね」

 伊東がぼそりと呟く。

「どうしてわざわざこんな辺鄙で無名な町の事をって、俺も少し疑問には思ってたんです」

「好きな女の子がさ、やっぱり神尾さんみたいにそういうのに興味持ってて、彼女の気を引くためにやり始めたんだ」

「えっ!」

 伊東が微かにのけぞった。

「大学で、そういう部活だったんだ。古文書研究会って言ったらいいかな。古い文献読んだり、集めたり」

 少し萌はどきりとする。

 確か村山は、川上と詩織が同じ大学で同じ部活だと言ってなかったか?

「その女の子はとてつもなくいい子だったんだが結構苦労人で母親がいなくて家事なんかも全部やって、たった一人の肉親である父親も大学生の時に他界して独りぼっちになった。ほんと、守ってやりたいって思ったんだよな、その時」

 萌は少し安心する。

 詩織は明らかにお嬢様風才女であり、親がいなくてお金に困った感じは微塵もなかった。

(……そりゃそうよね、もしも恋敵なら、結婚してからここに二人で通うなんて残酷な真似、するわけないし)

「それで川上さんがアタックして幸せに?」

「だったらよかったんだけど、出会ったときにはその子、すでに彼氏がいたんだ。でも」

 川上は溜息をついて、手足を動かしている海老を洗い始めた。

「相手の男がどうしようもなく悪い野郎でさ。付き合ってるとは名ばかりで、彼女を放りっぱなしで自分は好き勝手やってるような奴だったんだ」

 それは間違いなく村山ではない。

「何でそんな人と付き合ってたんだろ?」

「よくはわからないけど、何か政略的な感じがあるって他の友人から聞いたことがある」

 驚いた萌の、脳内のばっくりした感じを伊東が整理して口にする。。

「彼女が玉の輿を狙ってたとか?」

「それが逆なんだ。彼女はその男にベタ惚れで、男の方がむしろ彼女をないがしろにしつつ義務みたいに交際だけは続けてたから。それなんで親とか家とかが彼女に負い目があったんじゃないかって俺は勘ぐってんだけど」

 伊東は真面目そうに首を傾けた。

「そんな嫌な相手だったら、奪えば良かったのに」

「俺もそう思ったさ。実際、相手の落ち度で何度も別れそうな按配になったのに、優しい彼女が一方的に我慢してそいつを簡単に許してしまって、結局、気づけばその男とゴールインだ」

 色んな人生があるものだ。

「だけどさ、そんな目に何度も逢わされたくせに彼女、今ではやたら幸せそうだから、最近、仕方ないかなって諦めがついた。そしたら古文書研究の方もどうでもよくなって」

 川上は照れくさそうに笑った。

「ま、そういう不純な動機だ。だから何も惜しくはないし、せっかく集めた資料を生かしてくれるって言われた方が嬉しい」

「ありがとうございます」

 二人が頭を下げると、川上がじっと萌を見る。

「……ところで、君は涼とどういう知り合い?」

「は?」

 話の展開の唐突さに萌が驚いた顔で相手を見ると、川上は少し真剣な顔でこちらを見つめる。

「いや、どの程度仲がいいのかって思って」

「な、仲がいいって……」

 思わず萌は赤くなった。

「全然そんなんじゃなくて、山登り中に知り合ったっていうか、何というか……」

「山登り?」

 怪訝な顔に頷く。

「高校に山登りの好きな友達がいて、その子と岩岳に登ってる最中に、たまたま村山さんが知り合いの小学生と一緒にやっぱり岩岳に登ってて……」

 五人の出会いを他人に説明するときには、皆で示し合わせてそういうことにしていた。

「涼が小学生と二人で?」

 川上は訳がわからないという顔をした。

「村山さんもその小学生の男の子とは偶然知り合って仲良くなって、岩岳に連れて行って欲しいとせがまれたって言ってました。詳しくは本人に聞いてほしいんだけど」

 本当は村山は暁だけでなく夕貴も一緒に連れ出そうとしていた。

 だがそれは母親に拒否されたので、まず、四人が知り合い、そしてその後で夕貴と知り合ったという筋書きにした。

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