川上3
「山……ね」
伊東も不思議そうにこちらを見た。
「神尾さんの友達で山登りが好きな子って? 三沢さんとか?」
「ううん。圭ちゃん」
「えっ!」
伊東が珍しく驚いた声を上げた。
「高津?」
「うん」
「……高津と二人っきりで、山登り?」
「結果的には四人で山登り」
川上が問うような顔でこちらを見る。
「その、高津けいちゃんってのは女の子?」
「いえ」
「彼氏?」
萌はばたばたと手を振った。
「戦友……じゃなくて親友です」
川上は細かく切った野菜やナッツなどの色々なものを深いフライパンで炒め始めた。
ニンニクのいい香りが食欲を刺激する。
「この間お邪魔したときは、高津君とあたしと三人で食事をする予定だったんだけど、その子が風邪ひいちゃって来なかったから、急遽村山さんと二人っきりになってしまったんです」
言わずもがなの言い訳をすると、川上は笑った。
「そうか、そういうことか」
萌はわずかに首をかしげる。
「それが、何か?」
「いや……」
スープが注がれ、じゅっという音がする。
「仲がいいなら、俺が頼む必要はないと思ってね。直接涼から詩織に頼んでもらうといい」
「え?」
「この町で多分、そういった伝承を文献として一番たくさん保存しているのは桐原って言う詩織の実家だから」
目を丸くした萌の前で、彼は作業を続けた。
「ただ、桐原の先祖は経理書類から伝説までただ残しただけで整理してないから、欲しい書物はなかなか見つからない」
「その中に、姫の話もあるのかな」
「姫?」
「あ、あの、長谷川さんの神社の神さまに力を与えたっていう……」
「ああ、その姫ね。……あるかもしれないし、ないかもしれない。俺は見たことがないが」
「川上さんは探しにいったことがあるんですね?」
彼は頷いた。
「でも、閲覧ができるのは一年に一度だけ。毎年、一区画ずつ風通しして、薬を替える日があるんだけど、その時に手伝いながら面白そうなのをチェックするので精一杯だ」
「常時は駄目なんですか?」
「結構、重要なものらしくて親戚一同で管理してる。保存の決まりがあって当主の桐原家でもしきたりを変えられない」
「……へえ」
やはり詩織は相当なお嬢様だ。
「一応彼女は大分前から目録を作ろうと一人で努力してるけどね」
伊東がこちらを見つめた。
「神尾さん、その、君の知り合いの人に頼めそう?」
「聞いてみるぐらいはできそう。でもそれって古文書なんでしょ?」
萌はコップの水を眺める。
「だったら読めないんじゃないかな」
「ああ、そうか」
伊東は頷いた。
「変体仮名とかで書かれてるのはそうだね」
「だから、今行っても意味ない気がする」
村山に頼めば、彼は相当の無理してでもその場所に萌を入れてくれるだろう。
だけど、その努力に見合うだけの成果が出せるような気がしない。
「村山さんにねだって無理させて、文献眺めて、すごーいっていうだけで終わるのは恥ずかしいもの。もう少し修行してからにする」
「修行?」
川上の疑問に伊東が頷いた。
「神尾さん、変体仮名とか草書とか勉強してるんです。自力で文献読めるようにって」
「それはすごいな」
彼は初めて萌を感心したように眺めた。
「伊東君も凄いと思ったけど、君もそうだな。高校生でそこまで一所懸命な人は珍しいんじゃないか?」
「……いえ、別にそこまで頑張ってるわけでは」
必要に迫られて、泣く泣く勉強しているだけだ。
「将来はそっちの方面に進むつもりかい? それとも趣味として大事にする感じ?」
萌は一度口を開きかけてそして閉じた。
そうしてしばらく沈思熟考したが、元々迷えるほど選択肢もなかったので静かに頷く。
「……できれば、そっち方面に進みたいって思います」
伊東は最初瞠目したが、すぐに優しい笑顔になった。
そういう仕草で、少し勇気づけられる気がする。
「なるほど」
川上はさっき鍋を入れたオーブンにちらりと目をやりながら、萌に頷く。
「じゃあ、俺は君たち二人を応援することにしよう」
彼は伊東のコップに瓶詰めの水を更に注いだ。
そうして残ったものを自分のコップに入れて飲み干す。
「今日は何時までいられる?」
二人は顔を見合わせた。
「川上さんのお邪魔にならない時間まで、と思ってたんですが」
「だったら飯を食う時間はあるわけだ」
「あ……でも」
伊東が少しもじもじとした。
その理由はわかる。
この店の黒板に書かれた料理の値段は高校生には相当高い。
「俺のおごりだ」
「それは余計にまずいと……」
萌が言おうとすると、彼は首を振った。
「君らも俺とはこれから長いつきあいになる訳だから、俺の作った物を嫌でも食べる義務がある。それにもう、パエリア焼き始めてるし」
「パ、パエリア……」
ムール貝と海老、それにパプリカたちを載せてオーブンに入った賑やかなあいつの正体が今判明したのだ。
「でもこれってランチメニューにないんじゃ……」
「メニューには載ってる。だけど、注文してから十五分ほどもらうから、平日の昼間に頼む人は少ないな。夜にはいつも二つ、三つでるけど。」
萌はごくりと生唾を呑み込んだ。据え膳食わぬは女の恥だ。
「将来、働いてお返しします。だから今日は御馳走になります」
言うと川上は笑った。
「君は涼にもそんなことを言ってたな」
萌は小さく頷く。
「将来の仕事について、考えてる?」
「いえ」
「うん、それならいい。もし、こういう史学的なことを生涯の仕事にしたいって言うのなら、この代金を返してもらうのがかなり難しいと説明しようと思ったんだけど」
実のところ、そこまで考えていないし、自分に特別な才覚があるとも思えない。
(なのに、あたしったら)
将来ちゃんと働けるほどの力すらない自分が、こんなに今から借金していていいのかと不意に心配になった。




