27 真相
のちにガルヴェインに一番戦いたくない人は?と聞いたら、アークだと即答した。私もまったく同意見だ。
私の誘拐騒動からは時が瞬く間に過ぎていった気がする。救出後翌日には誘拐の主犯がレギアスだと宮廷内に広まっており、彼に協力していた数名は既に罪に問われている。日和見を決め込んでいた立場の弱い貴族たちは、こぞってサラフィナへ膝を折った。
アークは今回の件に箝口令を敷いたが、わざとお喋りが自慢の侍女らにそれとなく伝えていた。口止めされた「ここだけの話」がここだけで済むことはないのはこちらの世界も同じことで、瞬く間に民の知るところとなった。特に妙齢の女性にとってレギアスの行為は許されるものではなく、民の『黒の竜の従者』への信仰心も相まって彼の信頼は日に日に落ち、逆に保護欲をそそったのかサラフィナを擁護する声が高まっていった。
間もなくすべてが終わる―――
さて私は現在、非常に辛い立場にいる。
場所は宮廷内に新たに用意された私の部屋。サラフィナの私室の隣に位置するその部屋は壁が薄いということもなく、3名の侍女の行き届いたお世話もあって大変快適に過ごせる場所だが、今この時ばかりは一触即発の空気で満たされ非常に居心地が悪い。
ただ今部屋の中には私を含め3名の人間がいる。
侍女が用意し置いていった紅茶を優雅にすするアークレイム。
不機嫌マックスで油断すると喉元にでも噛みついてきそうなガルヴェイン。
そして二人に挟まれ居たたまれない不穏な空気に委縮している私、である。
とりあえずガルヴェインが全身から滲ませてくる殺気だけでもどうにか収めてもらいたい。生きた心地がしない。
「……全部話せ」
地を這う低い声が私の足元に漂ってきた。
「全部って、何?」
対するアークは極めて軽やかだった。それが却ってガルヴェインの癪に障るのだろう。室内の温度が何度か下がった。辛い。辛すぎる。誰でもいいからこの状況を打破してくれ!
「俺たちが知らないこと全部だ! お前はいつから今回の件を企てていた!?」
ガルヴェインさん、一人称が乱暴になっておりますよ。もちろん心の中で呟いた。ふたりの間に割って入る勇気はない。
「マナミが俺たちの前に現れたその時からだよ」
アークは紅茶を口に含んだ。にこやかに「美味いな」などと呑気に感想を述べたが、すぐに真顔に戻った。
「以前から俺が水面下で動いていたのは知っているな? 奴に失脚させられた者を密かに救出したり、弱みを握られていた貴族の弱みとやらを解決して恩を売ったり」
ガルヴェインは当然だと言わんばかりに頷いた。
「そういった者たちの隠れた援助もあって、奴と対決しようと思えば勝算はあったが、やはり決定打に欠けていた。奴を失脚させるためには、これ以上にない強力な不祥事が必要だった」
アークはちらりと私を見る。
「黒の竜の従者となれば、奴は是が非でも手に入れたいはずだ。だからマナミを利用したんだ」
「ふざけるな!」
ガルヴェインがテーブルに拳を叩きつけた。幸いにして高級家財は真っ二つに割れるようなことはなかったが、代わりに私の紅茶は半分以上テーブルにこぼれてしまった。服に飛ばなくて良かった。何しろ着ている服も家具同様高級仕様なので、シミでもつけたら侍女が泣き叫びそうなのだ。もちろん「従者様のお気を煩わせるようなことをしてしまった」という意味で。
ガルヴェインは剣呑な雰囲気でアークを睨み付けたままなので、仕方なく私がこっそりこぼれた紅茶を拭いた。
「下手をすればマナミは死んでいたんだぞ!? 彼女にもしものことがあれば、お前はどう責任を取るつもりだった!?」
「間に合ったろ?」
「そういう問題ではない!」
「ち、ちょっと、いい?」
少しだけ落ち着いた。ガルヴェインが私を案じてくれて嬉しかったこともあるし、アークの策について知的好奇心を刺激されたこともある。
「順を追って説明してほしいんだけど……」
「お望みのままに、従者様」
話を折ったことに対して、アークはあからさまに感謝の念を向けた。
「マナミをレギアスに攫わせる策の最大の障害は、実はガルだ」
とりあえず順を追って話を聞くことに同意したのだろう。ガルヴェインは何も言わずアークの言葉に耳を傾けてはいる。いつ燻ったままの怒りが再爆発しないとも限らないが。
「マナミが俺の部屋に現れでもしてくれれば問題はなかったんだが、俺より先にガルと知り合いになってしまった。この流れでいくとガルがマナミの護衛に就くのが当然だし、しかしそれではいかなる凄腕といえど簡単にはマナミを攫えない」
「何故一言俺に相談しなかった?」
「だって言ったらお前、止めたろ? 今みたいに」
言い返され、ガルヴェインは再び黙ってしまった。
「どうしようか悩んで、オリエル様と話をつけ、ジュスを借りることにした。ジュスは腕が立つし、オリエル様の命なら何でも聞くし、ジュスが同行するならクローバーも同行する。クローバーを人質にとれば、マナミが従わないはずはない、と踏んだんだ。そこでオリエル様に文を送り、今回の策への協力を要請した、というわけ」
「ちょっと待って。出会った最初にそこまで考えていたの?」
そうだ、と事もなげにアークは頷いた。
「だ、だって、私がクローバーの命を優先するなんて保証、なかったじゃない?」
恐らくクローバーと今ほど親しくなっていなかったとしても彼を助けたいと思ったとは考えたいが、ピンチになれば自分が一番可愛いのが人間というものだ。出会った直後の人間の性格を、瞬時にそこまで読み取るなんてにわかには信じられない。
ところがアークは平然としたままだった。
「マナミ、俺に食って掛かっただろう?」
「え……いつ?」
「髪を染めてないか?と俺が聞いたら、“何なら下も見ますか!?”って」
思い出した。売り言葉に買い言葉とはいえ、恥ずかしげもなくよくまあ言えたものだ。過去の自分に嫌味の1つでも言ってやりたい。
「度胸がある、と思った。そして人の言葉を素直に信じるのだ、とも。そんなまっすぐな人間が、誰かを犠牲にするとは思えない。いける、と確信した」
「……もしかして、あの時謝ったのって……失礼なことを聞いたって意味ではなくて……」
「そう、“命の危険に晒すような策に巻き込ませることになるけど”ごめん」
「……アーク、一発殴っていい?」
「やれ、俺が許す」
笑顔で握り拳を作った私をガルヴェインがたきつける。ここに来て初めてアークが表情を崩して慌てた。
アークへの一撃は冗談として、引き続き質問を続けた。
「ところで陛下のお加減は? 病気というのも嘘?」
「いや、病が進行しているのは事実だが、マナミたちが俺の城に向かったあの頃に陛下に文を出していた。謁見も出来ないくらい弱ったように見せかけてくれって。陛下のお命が危うくなればレギアスも功を焦って油断するだろうと踏んだ。陛下にとっても殿下の為だからな、喜んでお力をお貸しくださった」
「いやいやいや、病人に鞭打つような真似をよくまあ……」
レギアスの屋敷に乗り込んできた時だって、本来なら立っているのも辛い状況だったのだろう。病を押して一喝した迫力はさすが一国の王だが、それが病状の悪化を引き起こさないといいのだが。
ふと、ライナルト王がにこやかに、アークにいいように使われているのは自分の方だ、と語ったことを思い出した。私との謁見の際に床に伏していたことでさえフリだったわけだ。
「マナミのみならず畏れ多くも陛下にすら御助力を賜るとは……一度お前の性根を叩き直した方が良いようだな」
さすがにガルヴェインも我慢の限界だったのだろう。静かに怒りを纏わり始めた。変に声を荒げたりしないぶん余計に怖い。
「お前たちに黙って巻き込んだことは謝る。だがお前たちは顔に出過ぎる」
ガルヴェインはピクリと眉を動かす。私もあまり隠し事が得意ではないので、アークの言い分には無理は感じられなかった。実際すべてを事前に話されていても、絶対どこかでわざとらしさを出してしまっていただろう。それでは聡いレギアスを騙すことなど不可能だったはずだ。
「そもそもマナミを危険に晒す策に問題があると言っているんだ。お前なら他に如何様にも企てられただろう?」
「ガルヴェイン、いいよもう。私は気にしてないよ」
私の制止にガルヴェインはかっと目を見開いた。
「何だと? 一歩間違えれば奴に何をされていたか分かって言っているのか?」
これ以上ない険悪なムードだ。だからこの人は何で私に怒るんだ。
「でも結局未遂だったし、作戦の1つだったんでしょう? 私も協力するって言ったわけだし……」
「ばっ……お人好しにもほどがあるだろう!? もう少し自分を大事にしたらどうだ!?」
「マナミ、ちょっといいか?」
アークが頭を抱えながら私の肩をポンと叩いた。
「何?」
「ここまで言ってて、もしかして気づいてない?」
「何が?」
「だから、ガルはお前のこと、心配で心配で居ても立ってもいられなかったってこと」
ん?
ガルヴェインは視線をそらしている。見ると、心なしか顔が赤くなっているような……
アークはアークで、私へ哀れな子を見るかのような生暖かい眼差しを向けている。
「え?」
「激昂するほどお前の身を案じているのに、何で分からないのかなあ……」
アークは肩をすくめて席を立った。
「アホらし。馬に蹴られたくないし、邪魔者は出ていきましょうかね」
いつもの優雅な動きで、颯爽とドアへと歩いていく。
「ではごゆっくり!」
バタム、と扉が閉められた。
えええ?
ひとまず一度大きく深呼吸した。
アークの言葉をそのまま言葉通りに取ると、ものすごく自分の良いように解釈してしまうのだが、間違いではないのだろうか?
「ええと……どういう意味?」
「……そういう意味だ」
ガルヴェインはうな垂れている。表情は見えないが、耳まで赤くなっていた。
「……私、自惚れてもいいの?」
少しは好意を寄せられていると、自惚れてもいいのだろうか?
「存分に」
上げられた顔は紅潮したまま、だがきっぱりと言った。
「で、でも、何で? どうして? どの辺が?」
好きです! 私も! とならないのが無駄に歳を重ねて慎重になってしまった面倒くさい大人というやつで、彼の言葉を信じることも、自分に魅力を見い出すことも出来ずにいた。
「……13年前の件で、俺たちの無罪を信じた者は一人もいなかった、と言ったことがあっただろう?」
その記憶を思い出すのは辛いようで、ガルヴェインは眉をしかめた。
「昨日まで友人面していた同僚も、お慕いしています、と囁いていた婚約者ですら俺を疑った。所詮人間などそんなものだ。いざとなれば人を平気で裏切る。ところが君はどうだ? 抵抗もなく俺の無罪を信じ、あまつさえ涙まで流していただろう?」
不意にガルヴェインは私の頬に手を添えた。深緑の瞳がまっすぐ私を映している。今度は私が顔を赤に染める番だった。
「君のその優しさに俺がどれほど救われたか、君には分かるまい」
ガルヴェインは優しげに微笑む。
「そ……そんなことで?」
「君にとっては“そんなこと”でも、俺にとっては“それほどのこと”だった」
人を好きになるのなんて、本当に些細なことだ。ちょっと優しくしてもらった、話しかけられた、笑顔が素敵だった……そんな小さなきっかけだ。理由なんて探しても意味がないのだ。30年以上生きてきて、ようやくそんな簡単なことに気がついた。
相変わらず私の頬に手を置きながら、ガルヴェインは更に私の顔を覗き込んできた。近い!
「ところで顔が赤いようだが、俺は自惚れても?」
それはそれは意地の悪い微笑みだった。絶対に分かって言っている!
「う……ぞ、存分に……」
満足いく答えだったようで、ガルヴェインは小さく息を漏らした。
「君こそ俺のどこがいいんだ? 無愛想で、短気で、気の効いた台詞の1つも吐けない。興味があるのは武術のみ。付き合って楽しい相手ではないだろう?」
問われて分かる。答えはただ一つ、『あなただから』好きなのに、何を聞いているんだ、と。彼も、私をそう思ってくれていると自惚れてもいいのだろうか?
「どうかな、従者様?」
「………………ぜ」
「ぜ?」
「……全部すき」
一拍置いて、ガルヴェインは私を抱きしめてきた。
助けてもらった時の安堵の抱擁ではない。優しくも強く抱きしめてくる熱に、心が満たされてくる。人と触れ合うだけで幸せになれるなんて知らなかった。
私はしばらく、彼が与えてくれる温もりに酔いしれていた。




