26 転機
※若干ですが軽く無理やりを思わせる性描写が入ります。苦手な方はご注意ください。
手首を縛られ、奥の部屋へと連れて行かれた。
部屋には私とレギアスのみ。ざっと見渡したが、恐らくレギアスの私室だろう。机に書類や本が山積みにされ、それが寸分の乱れもなくきっちりと整列されていた。
「クローバーはどこ?」
馬車で別れたきりクローバーとジュスの姿が見えなかった。この期に及んで、どうしてもジュスが裏切ったとは信じたくなかった。表情の動かない彼が、オリエルやクローバーといたときには柔軟だったではないか。隙をついて逃げていてくれればいいと密かに願っていた。
「まず他人の心配とは、従者様は慈悲深くいらっしゃる」
レギアスは小馬鹿にしたように軽く笑った。
「ご心配なく。彼も大事な人質ですからね。無事にしておりますよ……今はね」
言葉に偽りはないだろう。彼にとってはオリエルを脅す為にもクローバーは必要なはずだ。
「それにしても、随分と落ち着いていらっしゃるようですね。少しはご自身を案じたらどうです?」
私が取り乱しも泣き叫びもせず彼を睨み付けたままなのがお気に召さないのだろう。鼻で笑い返してやった。
「あなたは私を殺さない。いいえ、殺せない」
レギアスの眉がかすかに動く。図星だ。
きた、と感じた時には脳が驚くほどクリアになり、不安の波が嘘のように引いていった。この感覚には覚えがある。最初はサラフィナへ人工呼吸を施した時、次はオリエルを説得した時。3回も身に起こればさすがの私も信じる気になる。
黒の竜が、私に力を与えてくれている。次に紡ぐべき言葉が堰を切って溢れ出してきた。
「黒の竜の従者の力を使うつもりならお生憎様。今更私をあなたの手元に置いたところで、従者がサラフィナを推していることは既に多くの民が知っている。影響力のあるピュオル公だってついている。あなたがいくら宮廷の貴族を牛耳っていても、民が従わなければやがて滅びる。忘れるな、レギアス。黒の竜は、サラフィナを選んだ」
レギアスは微動だにしない。しばらく睨み合いが続いたが、先に動いたのはレギアスの方だった。
「……あまり私を怒らせない方がいいと申し上げたはずだ。何しろ、あなたの夫として長く共に歩むことになるのですから」
「……は?」
予想だにしない言葉が返ってきて、呆気にとられてしまった。その隙を狙ってか、レギアスが矢継ぎ早に続けた。
「確かにあなたは殿下を選ばれた。しかし最終的には私を夫として愛する。どうでしょう、王の血を引くだけの、何の力もない小娘と、今まで国を支えてきた実績があり、且つ黒の竜の従者様を射止めた成人男性とでは、民はどちらが王に相応しいと考えるとお思いになりますかな?」
「ふ、ふざけないで! 誰がアンタと結婚なんか! だいたい、あなた妻帯者でしょう!?」
「おやおや、従者様は意外とお堅い貞操観念の持ち主なのですね」
しまった、と思った時は遅かった。声を荒げたことで私が冷静さを欠いたと判断された。レギアスは楽しそうに喉を鳴らした。
「私ほどの身分であれば、妾の1人や2人いても当然でしょう。ああ、もちろんあなたが正妻ですのでご心配なく」
その言い草に反吐が出る。彼を睨む視線をより強めた。
「それに、あれは今頃クラストの“相手”をしているか、夫ある身の不貞を許さぬ高潔なクラストに斬られているかのどちらかでしょうよ」
どちらでもいいのですよ、とレギアスは笑った。仮にも自分の妻を案じる気配はまったく見受けられない黒い笑みだ。
「抱いておれば不義密通で、殺しておれば殺人で奴を罰することが出来る。いかに寛大な王といえど二度の大罪を許しはしない。今度こそ奴は斬首刑だ。仮に王が許したところで私が弾劾する。妻を寝取られたのだ、それくらいは不自然ではない」
レギアスの瞳に激しい憎悪が浮かぶ。冷徹と思われたその男に似つかわしくない狂おしいまでの感情のうねりだった。
「奴が死ねば恐れるものなど何もない。どうせあの男は奴がいなければ身を守る術もない。そうだ、最後に勝つのは私だ!」
他人が興奮すると、それを見ている者は妙に冷静になるもので、例に漏れずその時の私もそうだった。
レギアスこそ、ずっとガルヴェインとアークを恐れていたのだ。いかなる策を講じても敵わない相手。闇に葬ろうにも返り討ち、罪をなすりつけても再浮上。ミレイユを娶ったのも、きっと彼らより優位に立ちたいが為。もはや王になりたい理由すら、彼らに勝つ為にしか考えられなかった。
「……あなた、哀れな人ね」
刹那、頬に鋭い痛みが走る。レギアスが頬を張ったのだ。じわりと口の中に血の味が広がった。口内を切ったかもしれない。頬は熱を帯びてひどく傷んだが、怖さや悔しさはなかった。ただ、目の前の男が哀れでならなかった。
「私にそんな口をきけるのも今のうちだ。忘れるな、お前は俺のものだ」
「あなたのものになんかならない。妻になる前に私は命を絶つ」
「余計な真似をしてみろ、あの小僧を殺すぞ」
「クローバーにもしものことがあったら、オリエルが黙っていない。オリエルを敵に回す気? ようやくガルヴェインとアークレイムに勝てそうなのに?」
「奴らの名を口にするなッ!」
レギアスは我を忘れて私に飛びかかってきた。男の力で突然襲われたのだ。ろくな抵抗も出来ず、私は後ろのベッドに倒れ込んだ。レギアスは私に馬乗りになり、首を絞めつけてきた。
「―――ッ!」
息が出来ない! 無我夢中で首に回されたレギアスの手を引っ掻いたり、足をばたつかせたりして抵抗したがびくともしない。意識が薄れゆく寸前、不意にレギアスの手が緩んだ。途端に入り込む新鮮な空気に何度もむせた。
「……そうだ、従者様。名実共に我が妻になれば良いのだ。我が子を孕めばあなたも諦めましょう」
「い……」
言うなりレギアスは、力任せに私の服を破いた。
「そうか、子を王に据えればよい。黒の竜の従者の子だ、誰も反対は出来ぬ。幼いうちに即位させ、私が後見人に付けばいい。ねえ、従者様。素晴らしい案だと思いませんか?」
レギアスは恍惚の表情を浮かべて私の胸を揉みしだいた。痛いほどのそれに、嫌悪しか感じられなかった。
「いやあっ!」
「大丈夫、すぐに良くなりますよ」
手が身体中をまさぐる。唇が胸元を這い回る。熱を与えられるたびに、そこが汚されていくようだ。
抵抗しようにも両手は縛られたままでまともに動かせず、強く半身を押し付けられ身じろぎも出来ない。
「いやだ、いやだ、やめて!」
何度もレギアスの身体を押し返そうと抵抗した。逃れようと足で蹴ったが、レギアスはいとも簡単に私の力をねじ伏せた。むしろ足を動かしたことで、より奴が密着してきてしまった。
せめて泣いてなんかやるものか。唇を噛んで耐えると、嗜虐心を煽ったのか、レギアスはにたりと顔を歪めた。奴の手が私の膝にかけられ、力ずくで広げられる。
思わず目をぎゅっと閉じたその時、轟音が鳴り響いた。
レギアスは音のした方―――ドアへと振り返るなり、凄まじい打撲音と共に身体ごと吹き飛ばされた。奴が立っていたそこに、息を乱したガルヴェインがいた。
ほぼ裸状態の私を自身のマントで包み抱き寄せる。私が彼の首に手を回すと、痛いほどに強く抱きしめてきた。彼の胸に包まれる絶対的な安心感に、感極まって咽び泣いた。
「ガル……ガルッ……」
「すまない、すまなかった……!」
嗚咽を繰り返す私をきつく掻き抱く。離れるのが恐ろしくて私も首に回した手に力を込めた。
「き、貴様……! この私に手を上げるなど……どうなるか分かっているだろうなッ!?」
吹き飛ばされたレギアスは口元を拭いながらよろよろと上体を起こした。ガルヴェインは冷ややかに見下ろしている。
「お前こそ、畏れ多くも黒の竜の従者様を凌辱しようとした罪の重さ、分かっているだろうなあ?」
場にそぐわない鷹揚とした声が返ってきた。ドアへと視線を移すと、悠然とアークが立っていた。
「貴様……何故ここに?!」
「お前の行動は筒抜けでしたヨ、優秀な間者のおかげで」
レギアスの顔が青ざめる。
「ジュスを買収したつもりだったか? 残念だが、俺が命じたんだ。お前へ降ったふりをして動向を逐一報告してくれって」
ガルヴェインに目を合わせると、彼は力強く頷いた。良かった、やはりジュスは裏切ってなんかいなかったんだ!
「お前は黒の竜の従者の情報が喉から手が出るほど欲しかった。釣り糸を垂らしたら見事に引っかかってくれた。宰相のくせに、ちょっと慎重さが足りないんじゃないか?」
「貴様……ッ殺す……殺してやるッ!」
逆上したレギアスがアークに襲いかかろうとしたその時、アークの前に大きな影が現れる。レギアスの身体がびくりと大きく揺れた。
「まさか……へ、陛下……」
アークを庇うように進み出たのは、紛れもなくライナルト王だった。病臥に伏しているはずのその身は、誰の肩も借りず地に立ち、威厳を吐き出している。
「ここまで堕ちたか、レギアスよ」
「ち……違うのです、陛下、あの女が……従者が私を誘惑したのです!」
「黙れッ!」
その場にいた全員をも吹き飛ばしかねない覇気だった。びりびりと空気が震える。
「申し開きは牢の中でせい……天より遣わされた従者殿への不敬、ただで済むと思うな」
連れてゆけ、と王が命じると数名の近衛騎士がレギアスを取り囲んだ。レギアスはうな垂れ、抵抗もなく彼らに従った。
アークは、未だ固く抱き合ったままの私たちを一瞥すると、「あまり時間をかけるなよ」と言い残して扉を閉めた。
「ガルヴェイン、ミレイユは?」
「……この状況でまずそれか……」
ガルヴェインは私の両手首を縛っていた縄をナイフで切りながら、心底嫌そうに呟いた。私にとっては大事な問題なのだから仕方ない。
「彼女なら猿轡を噛ませて柱に縛ってきた。逃げられるわけにもいかないし、死なれても困る」
「……よりを戻したんじゃないの?」
ガルヴェインの目が心外だ、と非難めいた。
「彼女に執着していない、と言ったはずだ」
彼はふと真顔になり、私の頬に手を添えてきた。意識が向けられると、じくじくと鈍い痛みが蘇ってきた。
「……守ってやれなかったな」
「こ、これくらい大したことないよ」
殴られたことよりも、見つめてくる優しい視線や愛おしそうに頬を撫でる手のせいで熱を帯びてくるのが分かる。彼の視線がマントに包まれた私の身体へ移った。
「怖い思いもさせたな」
「え、ああ、大丈夫! 未遂だし!」
レギアスの手や舌が這い回った感触を思い出して身震いしたが、努めて明るく振る舞った。
「……大丈夫、か?」
憂いを湛えた瞳で見つめられるとつい甘えたくなる。
……いいのだろうか。弱音を吐き出しても、この人は受け止めてくれるのだろうか。
「本当は怖かった」
私の小さな呟きに、彼もああ、と小さく応えた。
「怖くて、嫌で、泣きたかったけど、でも絶対にガルヴェインが助けに来てくれるって信じてた」
彼は再び私を抱きしめた。私も彼の背に手を回し身を預けた。




