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16 ピュオルでの日々


 やはり昨夜は酔っていた。あの後爆睡し、侍女に申し訳なさそうに起こされるまで一度も目覚めなかった。変なことを口走っていなかっただろうか。記憶が曖昧で頭はぼんやりしている。


 てきぱきとした侍女に軽く身だしなみを整えてもらった後、簡単な朝食をいただく。

 こちらに来てからというもの、ろくに自分一人で身支度をしていない。服の構造上背にボタンがついているものがほとんどで、もっと凝ったものの場合はボタンですらなく紐で結び止めるタイプになってしまい、実際侍女の手を借りないと服すら満足に着られないのだ。後で知ったが、そういった作りの服はそもそも貴族用で、人の手を借りることを前提に作られているのだそうだ。そんな小さなことですら、この世界での身分の差というものを感じさせてしまう。

 朝食を終えると、ピュオル公がお呼びとのことで慌ただしく昨日の応接室に連れて行かれることになった。


 応接室に入ると、ガルヴェインが既に到着していた。

 途端に昨日の記憶が鮮明に甦る。自分でも分かるくらいに頬が紅潮した。

「え、えーと……」

 しどろもどろの私に彼はふっと表情を崩した。あ、その顔が。その優しげな表情が特に好きだ。

「例の話は気にしなくていい。もう過ぎたことだ。それより、君の失態は誰にも言わないでおく」

 どうやらガルヴェインの中では『人前で惜しげもなく泣いてしまったことが恥ずかしくて真っ赤になっている』と解釈されたようだ。これ幸い、その勘違いに乗らせていただくことにした。

「す、すみません、泣き過ぎて……」

 ゆうべはどれほど派手に泣いたのだろうか。私の醜態を思い出したらしく、ガルヴェインはニマニマと頬を緩めている。


 これでいい、と心の中で一人ごちた。

 私はこの世界では異端で、いつ突然戻るか、生涯戻れないかも分からない。彼はかつての不名誉を己の力で払拭し、今や天下の『無双』様だ。そもそも10人並みで若くもない私が彼の気を引けるとも思っていない。

 思うだけ、こっそりと想うだけでいい―――


 ドアがノックされ、私は現実へ意識を向ける。

 オリエルに続きクローバーが現れる。クローバーは私を見るなり胸に飛び込んできた。ガルヴェインが膝を折ろうとするのを、オリエルは手で制した。

「ガルヴェインよ、聞いているとは思うが、わらわも殿下に力をお貸しすることにした」

「恐悦至極に存じます」

「やるからには徹底的に戦って勝ってもらわねば困る。アークレイムを呼べ。我が城から発った方が近かろう」

「……発つ?」

 クローバーを適当にあやしながらオリエルとガルヴェインを交互に見た。話が急激に進み過ぎてついていけなかった。

「従者殿と陛下との謁見を設けた方が良かろう。わらわから陛下に口添えしておく」

「……陛下に……」

 王と会うということは、宮廷に行くということで、そこには―――

「レギアスとも会うことになろう。覚悟して臨めよ、従者殿」

「はい……!」

 自然と力が入った。ガルヴェインとも視線を交わし、強く頷き合った。

「何も今すぐ、とはいかぬからの。準備が整うまで引き続き我が城に留まるがいい」

 今まで話に入れず不服そうだったクローバーだが、私たちがここに滞在すると分かるや否や急に元気になって私の周りを飛び跳ね始めた。

「マナミ、今日もいるの? じゃあおれと出かけようよ!」

 買い物に夢中で、というよりクローバーに引っ張られていたから気づかなかったが、昨日はかなり歩いていたらしい。実は全身が結構な筋肉痛なのだ。今までの旅の分も含まれていると信じたい。軋む身体で若さ有り余る少年のお供は正直辛い。微妙にひきつる顔の私を見て何か察したのか、オリエルが助け舟を出してくれた。

「クローバーよ、従者殿は長旅でお疲れなのじゃ。今日はゆるりと休ませておやり」

「……分かりました……」

 ぶう、とふくれっ面ながらも母の言葉には逆らえないようだ。た、助かった。オリエル様にこっそりお礼の意味を込めて頭を下げた。

「さて……次の予定まで少し時間があるのじゃが、どうじゃ、ガルヴェイン? 久しぶりにわらわに身体を貸さぬか?」

 一瞬思考が停止した。

 

 彼を意識してしまったせいもあるが、どういう意味での言葉だか、悪い方にしか想像が進まなかった。

 ガルヴェインはまったくの無表情で「承知致しました」と返事している。きっと肉体労働を手伝ってほしい、とかそういう意味に違いない。いやでも、アレも一種の肉体労働だし……久しぶりって、ということは何度もそういう関係になっているわけで……別にショックを受けることでもない、彼くらいの年で何もない方がおかしい。でもオリエル様は人妻でお子様もいるのに浮気じゃないか!……でも綺麗な人だし……貴族は愛人の1人や2人いるのが当たり前だろうし……

 というか何を考えているんだ私は。やばい方向に妄想が進み過ぎだ。中学生か!


 一人で顔色を赤から青にめまぐるしく変えている私に、勘の鋭いオリエルが気づかないはずもなく、意地の悪い笑みを浮かべてガルヴェインの肩に指を這わせてきた。指先からたまらない色香を漂わせて。

「何じゃ、従者殿? 何か問題でも?」

「え、いえ、そ、そんなことは……」

「なあに、暗い場所で少々激しくやり合うだけじゃ。お互い、汗を流しながら、な?」

 もはや言葉が出なかった。

 あ、とか、う、とか呻くことしか出来なかった私を尻目に、二人は応接室を後にした。―――仲良く腕なんか組んで!

「マナミ、どうした? 怒ってる?」

「……怒ってないよ」

 クローバーが心配そうに覗き込んでこなければ、残された私は机を蹴飛ばして八つ当たりしていたことだろう。




 「……まあそういうことだと思っていたんだけどね……」

 思うより声が大きく出ていたのだろう。隣のジュスが何か?と首をかしげたが、独り言だとごまかした。


 重い金属音が響く。地下に造られた闘技場は、主に兵の鍛錬の為に使われるのだという。地下という場所柄、点在している松明からしか明かりが漏れていない。夜襲や室内での乱闘も考慮し、あえて暗くしているのだそうだ。

 オリエルの素早い剣先を、ガルヴェインは顔色一つ変えずに受け流す。そのやり取りをかれこれ20は繰り返しているだろうか。双方息が乱れる様子はない。

「オリエル様が剣が使えるとは思っていませんでした」

「シルダークには女性騎士もおりますよ。とはいえ高貴な女性で剣を扱える方は珍しいのですが、ご存じの通り勝気なお方ですので」

 ジュスは先ほどから解説係だった。闘技場の設計から始まった私の疑問を、事細かに説明してくれた。少し離れたところでクローバーが興奮した様子で2人の手合わせを応援していた。

「それに、オリエル様のご主人は近衛軍団長でいらっしゃいますよ。おふたりで良く手合わせをされておられるほどです」

 『現』団長だろう。前任者を思い出して少し胸が痛む。彼はその父すら信じていなかった。本当にそうだろうか? 子を思わない親なんているのだろうか?

 ガキン、と鈍い音が響いた。クローバーはそれに合わせて歓声を上げ、私も意識を闘技場へ戻した。

 オリエルの一撃が、間一髪ガルヴェインの肩を赤に染めるところだった。重い斬撃を剣で受け止めている。睨み合ったまま動かない2人に、冷や汗が流れた。当然ながら木刀なんてものは使っていない。2人とも動きやすい服装ではあるが、鎧すら身に着けていないのだ。ずっと早くガルヴェインの手合わせを見学する機会を得たが、まさか真剣だとは思ってもいなかった。

「だ、大丈夫なんですか? 止めた方が……」

 ジュスに中止を願い出たが、落ち着いた様子で私をなだめた。

「ガルヴェイン卿は非常に余裕がありますのでご心配なく」

 にわかには信じられなかった。先ほどなんて危機一髪にしか見えなかったし、睨み合っている今ですら、殺気のような重苦しい空気が流れているではないか。

「彼が本気を出したら、対峙すら出来ませんよ」

「そ、そうなんですか……?」

 今まさに己の右手のように滑らかに剣を動かしてオリエルの追撃を弾いた彼を見て、到底ついていけるレベルではない、ということは分かった。


 闘技場の見学の後は、夜までのんびりさせてもらった。ジュスに軽く城内を案内してもらい、クローバーの本の朗読を聞き(詰まることなくスラスラと読めていた)、侍女たちからせがまれた「天界の話」を適当に捏造した。天界に関しては、私が持つ天国のイメージを物語のように伝えたせいで、西洋東洋ごっちゃになってしまった。床は雲で出来ていて花畑に囲まれており、三途の川があり、人々は平穏に過ごすが、生前に悪さをしていると地獄という罰を与える世界に連れて行かれる、という感じだ。閻魔様を交えた地獄のくだりは皆怯えていた。

 間違った天界の認識を植え付けている気もするが仕方がない。ゼロからの創作ではどこかでボロが出そうだったのだ。それに、私の話にいちいち大袈裟に驚いてくれる侍女たちの反応が嬉しくて、つい熱が入ってしまった。




 数年ののち、母親が子供を叱る際の定番の決め台詞が『悪いことをすると、エンマ様に舌を抜かれますからね!』に、なることなど、もちろん思い至るはずもなかった。





ご覧くださり、ありがとうございます。


閻魔様は嘘をつくと舌を抜かれる、というお話ですが、ここでは「悪いことをする」とちょっと解釈を変えました。ご了承ください。



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