15 その過去
夜の帳が降りた頃、私の戦は始まる。
重厚な扉を2,3叩くと、中から入室の許可を与える返事が聞こえた。ひとつ深く息を吐き、意を決して戦場へ乗り込んだ。
中は薄暗く、僅かな蝋燭の明かりを頼りに進むと、大きな長椅子にだらしなく寝そべるピュオル公が見えた。服はいわゆる寝間着というやつだろう。薄桃のコットンドレスから、気だるげに伸ばされた踝が見え隠れしている。輝く銀の長髪は一つにまとめられ、緩やかに背に流れていた。
「お寛ぎのところ、失礼致します」
揶揄ではなく本心から言葉が出た。会談というより完璧に寝る前の格好だ。見ればサイドテーブルには、ワインと思しき真紅のドリンクまで用意されている。寝酒か。
「呼び立てておいてこんななりですまぬのう。毎日めまぐるしく動いているゆえ、夜くらいは寛ぎたいのじゃ」
「お返事は明日ということですし、出直しましょうか?」
朝から目の前の人に気圧されたし、昼間出歩いた疲れもあるし、正直、私も一休みしたかった。しかしオリエルは静かに首を横に振った。
「返事なぞ……とうに決まっておる」
「えっ、ほ、本当ですか?!」
慌てる私を制し、長椅子と向い合せに用意してあった椅子に座らせた。
「そもそもレギアスともアークレイムとも面会すら許さなかったわらわが、従者殿と会ってしまったのじゃ。従者殿がかの小娘側に回っていることは既に国中に知れ渡っておる。……遅かれ早かれわらわも"そちら側"とみなされるわ」
オリエルは手元にグラスを引き寄せ、赤い液体を飲み干した。お酒独特のつんとする匂いが立ち込める。色合いからしてワインだろうか。
「黒の竜の従者に好奇心を刺激された時から、わらわの負けは決まっておった」
「それなら最初からおっしゃってくれれば……」
変に緊張しないで済んだのに。恨めしく睨んでしまった私をオリエルは軽快に笑い飛ばした。
「黒の竜の従者がいかなるものか、確かめたかったのじゃ。それに、そなたとの会話が面白いと感じたのは事実じゃ。従者殿がよろしいならばこのまま続けたい。緩い空気でなければ話せぬこともあろう」
オリエルの言葉にも一理ある。酒も入りリラックスしている今こそ、色々話が聞けそうだ。
その場に留まったままの私を肯定と取ったのだろう。オリエルは空いているもう一つのグラスに、ワインを注ぎ入れた。
「酒はお好きかな?」
「では、少しだけ」
実はお酒はかなり好きな方だが、酔ってしまっては意味がない。付き合い程度に軽く口に含むと、豊潤で上品な果実の香りが広がった。ワインよりももっと甘く、飲み口も爽やかで飲みやすい。つい2口目もいただいてしまった。
「従者殿、なかなか飲める方じゃな?」
オリエルは嬉しそうだった。自身の空になったグラスにもなみなみと注ぎ入れる。私が注ごうかと思ったのだが、他人に注いでいいのは上司だけ、とか暗黙のルールがあったらややこしいので一応避けておいた。
「わらわの夫はまるで飲めない性質での。娘も飲み交わす前に嫁いでいってしまった。付き合ってくれる相手がいなくてのう。そういえばガルヴェインは相変わらずの下戸か?」
「えっ、下戸なんですか?」
意外過ぎて3口目を飲み損ねた。軍人なんてお酒が飲めて当たり前と偏見を持っていた。
「……そなた、アークレイムやガルヴェインのこと、如何ほど知っておる?」
和やかな世間話から一変、オリエルは昼間の重圧感を放ち始めた。
「……何も……」
そう、何も知らなかった。
私が得た知識なんて、肩書きとか表面的な性格程度の、少し調べれば分かるようなことばかりで、実のところ何も知らないに等しい。この国のことに至っては宰相の名前すら知らなかった。サラフィナに指導しろ、とよく言えたものだ。私自身は何も知ろうとしなかったのに。
オリエルは注いだ酒をまたも一口で飲み干し、グラスをテーブル脇に置いた。
「では少し、昔話をしようか」
話は今から14年前に遡る。
当時の王は、最愛の妃を1年前に病で亡くし、その辛さから未だ立ち直れずにいた。王が悲しみに暮れていたとき、正常に機能しなかった宮廷を支えていたのは若い少年たちだった。
当時の宰相の息子であるアークレイムは、幼さの残る少年とは思えぬほど利発で、率先して父の仕事を助け、その正確さ、迅速さから文官からも絶大な信頼を得ていた。
同じように近衛騎士団長の息子であるガルヴェインは、最年少で近衛騎士団の一員として軍役に従事し、当時まだ同盟を結んでいなかった帝国との戦で、目覚ましい活躍を見せていた。
やがて1年も経つとようやく王は落ち着きを取り戻し、国もまた2人の少年の助けを得て安定していった。
王は長く表舞台から逃げていたことを恥じ、家臣の慰労としてささやかな狩りを催した。狩りを取り仕切るのはアークレイム、王の護衛に就くのはガルヴェイン。今や宮廷の期待を一身に背負う若き英雄たちの人選に、異を唱える者は誰もいなかった。
「ところが、物事はうまくいっている時が最も危うい」
部屋はいつの間にか緊張に包まれており、私は喉の渇きを覚えグラスの酒をごくりと飲み込んだ。甘いが強いお酒らしい。胸のあたりに熱い刺激が広がる。
少しの沈黙の後、オリエルはゆっくりと再開した。
「狩りの最中王が暗殺者に襲われた。幸い護衛のガルヴェインが迅速に反応し、暗殺者は斃れ、王にも怪我ひとつなかった。ところが、暗殺者の持ち物にクラスト家の紋が入ったナイフが見つかった」
アークレイムの主催する狩りの最中に、クラスト家と縁ある暗殺者が王を襲う―――瞬く間に広がったその『事件』は、英雄と慕われた少年二人を一晩で謀反人へと変貌させた。
無論少年たちは濡れ衣だと主張したが、年若い二人の成功を妬むものは少なからずいた。なりを潜めていた彼らはここぞとばかりに少年たちを糾弾した。
もはや王も抑えられなくなっていた騒動に引導を渡したのは、少年二人の父親の死―――だった。
時の宰相と近衛騎士団長は、息子と一族の潔白を証明するために、代償として死を選ぶしかなかった。
これで少年たちの不幸が終わったわけではない。むしろ始まりだった。
彼らは、日々帝国との攻防戦が行われている僻地バシュフミナへと『修行の旅』に出された。体良く戦死してこい、というわけである。
アークレイムにはわずかな救いがあった。息子を案じた母イザーベルは、我が身の危険も顧みずバシュフミナの戦地病院へと赴いた。私財を投げ打って医師や薬品を大量に揃え、自らも献身的に負傷兵を看護し、息子と甥を陰ながら支えたのだ。
しかしガルヴェインの母モルガーナは違った。夫の喪も明けぬうちに実家である侯爵家に戻り息子を勘当、直後に離婚を発表し、名実ともにクラスト家との関わりを断絶した。
「姉妹というのに、片や息子を命がけで守り、片や己の名誉のために息子をも投げ捨てる。何故こうも違ってしまったのか……」
オリエルのため息交じりの台詞に、返す言葉も浮かばなかった。
ガルヴェインが見せた貴族というものへの嫌悪の理由がそこにあった。ゆがむ視界を首を振って払い除ける。何の関係もない私が泣くなんて、おこがましいにもほどがある。
「しかし災いは福に転ずる。戦地に放り込まれ磨かれた少年どもは、見事なまでに珠になりおった。アークレイムは的確な策で帝国の大軍を手玉に取る『叡智』と恐れられ、ガルヴェインは最前線で帝国軍を次々となぎ倒し、悪魔とも死神とも称された。兵というものは実に単純だ。己を生き残らせる者を敬い従う。ものの数年のうちに、バシュフミナで奴らを『反逆者』と罵る者など一人とていなくなった」
オリエルはふと表情を和らげ、グラスに酒を注いだ。
「少年たちの思いもよらぬ成功を妬んだのは、新たに宰相の地位に就いたレギアスじゃ。せっかく僻地に追い払われた邪魔者が、こともあろうか帝国を退け、同盟締結の立役者となった褒美に領土を得てしまった。さぞ悔しかったことであろうよ」
「やはり、彼らを陥れたのは宰相なんですね?」
疑問形で聞いたがむしろ確信だった。証拠を捏造し、日和見の家臣たちを買収したに違いない。
「さて、どうじゃろう。確固たる証拠もないしの」
うそぶきながらも、オリエルの目は是と語っているようだった。
彼らの、宰相への強い憎悪の理由が分かった。自分の保身の為? とんでもない! 彼らにとっては仇だ。すべてを奪った張本人だ。
私が言葉で聞くのは一瞬だが、ふたりはきっと想像もつかないほど過酷な半生を歩んできたはずだ。理解した、なんて到底思えない。同情ほど安っぽいものはない。
それならばせめて、黒の竜の従者として力を貸そう、と改めて誓った。
オリエルは俯いたままの私に、「おおそうじゃ」と明るく話しかけた。テーブルの引き出しから小さな小箱を取り出す。小箱には、昼間クローバーと選んだイヤリングが控え目に光を放っていた。
「有難く頂戴致す。クローバーの子守りまで押し付けてしまってすまぬの」
「お気に召しましたら幸いです」
こうやって私室のテーブルに入れておくくらいだ。気に入ってくれたと思う。現にオリエルは慈愛に満ちた目でイヤリングを眺めていた。
「ご子息はお母様思いでいらっしゃいますね」
「ほほ、そなたこそ随分と好かれたようじゃ。町から戻ってきてからというもの、話題はそなたのことばかりじゃ」
な、何を言っているんだろうか。小突いたりつねったりからかったりした自分の行いを思い出して軽く身震いした。
「大人になったらそなたに結婚を申し込むそうじゃ」
「けっ……!」
斜め上すぎて危うくグラスを落としそうになる。オリエルは高らかに笑い、グラスの中の酒を半分ほど飲んだ。
「わらわに似ておるし、器量は問題なかろう。何事もなければ次期ピュオル公。地位も安泰。姑は口うるさいかもしれぬが、そなたとならばうまくやれそうじゃ。悪い話でもあるまい?」
何を乗り気になっているんだこの人は。先ほどまでの重苦しい雰囲気をどこに放り投げたんだ?
「私とクローバーとでは年が離れすぎていますよ」
「年など……わらわと夫は12違うぞ。誰しも年は取るのだし、大きな障害とも思えぬ」
大きすぎますよ! 私なんか余裕で3倍違いますよ! とは言えなかった。
「それとも誰か好い人でもいるのかな?……叡智か、無双か……」
ふっと脳裏に浮かんだ顔を全力で消し去る。頬が熱いのはお酒のせいだ。
で、どちらだ?としつこく聞いてくるピュオル公との会談を強引に終了し、私は用意された部屋へと急いだ。廊下のひんやりとした空気が火照った頬に心地良い。少し飲み過ぎてしまったかもしれない。
「そう、酔ったせい、酔ったせい」
酔いなど、壮絶な昔話を聞いているうちに吹き飛んだというのに、無理やりにでも自分をごまかした。消しても浮かんでくる影をその都度脳の片隅に追いやる。
過去を聞いて、境遇を知ったつもりになったからかもしれない。私が勝手に距離が縮まったと思い込んでいるだけだ、と納得させようとしても、ふと見せる優しい笑みが思い出されて胸がざわめく。
早く寝てしまおう。そう思って早めた足は扉の前で止まった。
今、一番会いたくて会いたくなかった人がいた。
「……ガルヴェイン」
「ピュオル公は何と?」
―――そうだ、義務じゃないか。私たちはサラフィナを王位に就かせるために協力している仲間に過ぎない。
「え、と……サラフィナ側についてくれると……思う。面会を許した時点で世間ではそうみなされるって」
「なるほど。そうか……それは重畳」
気まずい沈黙が流れる。用件は伝えたのだし、早く部屋に入りたいのに、足が呪いでもかけられたかのように動かない。ガルヴェインもさっさと自分の部屋に帰ればいいのに、微動だにしない私を怪訝そうに見つめ続けている。
「何か……あったのか?」
そうやって気にかけないでほしい。思わず見上げると、深緑の双眸とぶつかる。そこに、今朝クローバーが反逆者と罵った時、渦巻いた闇は既にない。
子供の言葉とはいえ、どれほどの怒りだっただろうか。一瞬にして思い出された過去は、どれほど彼を苛めたのだろうか。オリエルが淡々と語った昔話がふつふつと甦り、ダメと思いつつも涙腺が緩んでしまった。
「ど、どうした?」
突然涙をこぼした私に慌てふためく。困らせたくないのに、一度堰を切った涙は簡単に止まってくれなかった。
「ご、ごめんなさい……私、オリエル様から、過去の話を……」
それですべて伝わったのだろう。ガルヴェインが強張る。空気が張りつめられた。
「他人の口から又聞きなんて、ごめんなさい。あのとき、あなたからちゃんと聞いておけば良かった。私……何も関係ないのに……私に泣く資格なんてないのに……ごめん、なさい」
しゃくりあげながら必死で言葉を繋げた。他人から聞いた話で勝手に同情して勝手に泣いて。迷惑なことこの上ない。ガルヴェインの困惑も分かるが、これだけは伝えたかった。
「私、絶対にサラフィナを王にするから。宰相に、絶対王位なんか、渡さない……何だって協力するから!」
黒の竜の従者が民に与える影響力をだんだんと肌に感じてきていた。善良であったはずの小さな村の民を狂わせ、頑なであった偏屈者を突き動かす。私にできることは、私が思っている以上にずっと多いはずだ。少しくらい怪異の目を向けられるくらいが何だ。彼らはもっと辛い日々を送ってきたではないか!
と、ぐちゃぐちゃの顔で意気込んだ私を、ガルヴェインは別の意味で困惑した様子で見つめていた。
「……あの……ご、ごめんなさい。盛り上がり過ぎで……」
「…………いや……」
一人で突っ走り過ぎだ。ガルヴェインは言葉をなくしているではないか。
ひとしきりまくしたてたらすっかり落ち着いた。私は勝手に張り切って力強く宣言してしまったが、ガルヴェインにしてみれば「何を今更」とツッコミたいところだろう。気恥ずかしくて顔を上げられずにいたら、ガルヴェインは申し訳なさそうに口を開いた。
「その……君は、狩りの事件が宰相の仕業だと思っているのか?」
「あ、当たり前でしょう? 偽の証拠まで用意して、周囲を抱き込んで、他に誰がそんなことするんですか!」
落ち着いたと思ったのに、怒りと共に思い出してつい声高になっていたのだろう。ガルヴェインはしい、と唇の前に人差し指を立てる。意を決したように、私の腕をがしりと掴んできた。
「13年前、私たちの無実を信じた者は一人もいなかった。友人も、上司も、命を絶った父ですら……いや、アークの父上は聡明な方だったから、彼は例外かもしれないが」
「そ、そんな……ガルヴェインのお父様だってきっと……」
「……あの女の話は聞いただろう? その女の夫になるような人だ。お優しく、自分の子を愛するような奴だったと思うか?」
『あの女』に含まれる憎悪に背が凍る。涙も止まってしまうほどに。血の繋がった母親を「母」とすら呼ばないことに、彼の傷の深さが伺えた。
「だが君はどうだ。会って間もない、君を私欲の為に利用している私たちを信じ、それどころか涙さえ流してくれている」
「私欲って……同じ目に遭わされたら私だって復讐を考えますよ。それに利用されているとは思っていません。私も助けてもらっているし、私ができることならお手伝いするのは当たり前じゃないですか」
お互い様、というやつだ。感極まって泣くのはちょっと大袈裟だったが、別に取り立てておかしい所はないはずだ。ところがガルヴェインは何度も首を横に振った。
「それが普通だと思える所が、君の美点だろうな」
真顔で言われると恥ずかしくなる。イエ、ソレホドデモ、とぎくしゃくした片言の返事になってしまった。
「……感謝している。ありがとう、マナミ」
穏やかに頬を緩め、深い碧の瞳にはそれ以上に深い親愛の煌めきが湛えられている。
というか、今、名前……
他の人に親しげに呼び捨てにされようが、敬意を込めて様付けで呼ばれようが、ただの「呼び名」でしかなかったその単語が、その人が口にしただけで宝物のようなまばゆい輝きを放つ。
私は経験したことはなかった。経験することもなく一生を終えるのだと思っていた。
「もう休んだ方がいい」
ガルヴェインは私の肩を押した。部屋に入れ、という意味だろう。呆けたままの私を疲れと取ったのか、半ば強引に部屋に押し込み、彼は立ち去った。
暗闇の中で私は自分と対話していた。
こんな単純に? 微笑みかけられたから? 名前を呼ばれただけで?
きっかけはどうあれ、もはや認めざるを得なかった。
津田麻奈海は、異世界で恋に落ちた。
※こともあろうに主人公の名前の漢字を間違えていたので修正。しっかりしろ!(2012/7/18)




