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9 少女の思い


 思い返してみれば、殿下は最初から私を黒の竜の従者と信じ、慕ってくれた唯一人の人だった。




 目をキラキラと輝かせ、そのままひれ伏しそうだった少女を無理やり立たせ、風邪をひくから、と茂みで着替えさせた。もちろん彼女は着替えなどなかったので、無駄に巻きつけてあった腰布やマントを強引に服に仕立て上げた。貫頭衣のような簡素な出来栄えで、ガルヴェインが卒倒しそうだったが、当の本人は「流浪の民の服って、一度着てみたかったんです」と大喜びだったから良しとする。

 布と孤軍奮闘しながら殿下を盗み見た。ぱっちりとした茶色の目、マスカラは必要ないほど長く上を向いた睫毛、桃色に染まる柔らかそうな頬、笑みを絶やさない愛らしい唇、背の真ん中あたりまで伸びているのに、枝毛なんて見当たらないつやつやとした薄い金髪。手足は細く長く、背はそれほど高くはないものの、腰の位置が圧倒的に高い。この国には美形しかいないのだろうか、と叫びたくなる。


 「ガル兄様たちは、どうしてここへ?」

 布を巻きつける、という原始的な着替えが完成し、何とか見られる程度に収まった殿下は、着替えの間決してこちらを向こうともしなかった騎士にお声をかけられた。セミヌードだったはずの騎士はいつの間にやらローブを羽織っている。濡れたボトムスは替えがないので、仕方なくきつく絞ったらしい。皺があちこちに寄っていた。

「……私のもとへ黒の竜の従者様が現れ、殿下が危機に瀕しておられる、と予言されたのです。従者様の指示に従い、この森へ参上致しました。恐らく、私でなければ溺れる殿下をお助けできない、と黒の竜がご判断なされたのでしょう。従者様の命により出立致しましたが、私とてバシュフミナ騎士団を統括する長。その私が公に動けば騒ぎが大きくなりますゆえ、流浪の民に変装しておりました」

 よくまあ流れるように嘘が出てくるものだ。感心したが、彼はアークの従兄だった。なるほど、血は争えない。

「そうだったのですか……従者様もガル兄様もわたしの命の恩人です。何とお礼を申し上げて良いのか……」

「臣下に礼など不要です。どうか御心を砕かれませんよう」

「私にもいりませんよ。無事ならそれで充分です」

 ぱあ、と太陽のような笑みを向けられた。

「ありがとうございます! 従者様って、思っていた通り、とてもお優しい方だわ!」

 純真無垢な笑顔がまぶしい。彼女を騙していると思うとちくちくと胸が痛むが、おくびにも出さないように微笑み返した。

「そうだ、従者様、お名前をうかがってもよろしいでしょうか? その前に自己紹介もしないでごめんなさい! 初めまして、黒の竜の従者様。わたし、サラフィナ・メイス……今は、サラフィナ・アデル・シルダークと申します」

 サラフィナという可憐な少女は、簡易スカートの端をつまみ、淑女のお辞儀まで付け加えた。礼儀作法を教え込む、と言っていたが、私の目には充分しっかりとした作法が身についているように感じられた。

 さて、私は名乗ってもいいのだろうか。念のためガルヴェインをちらと見たが、小さく頷かれた。

「マナミです。初めまして、サラフィナ殿下」

「マナミ……様? とても不思議なお名前……天の国の言葉なのですね?」

 曖昧に頷いた。笑みが乾いていなければいいが。

「マナミ様とお呼びしてもよろしいですか? わたしのことはどうぞ殿下なんて呼ばないでくださいね!」

 屈託のない笑顔と、まっすぐに向けられる暖かな琥珀色の瞳は、私に好感しか抱かせなかった。もともと子供は好きなのだ。素直で明るい子なら、嫌いになる必要なんてない。

「ええ、どうぞ。じゃあ私はサラフィナと呼ばせてもらうね」

「はい!」

 勢いに乗じて敬語も抜かしてしまったが、サラフィナはむしろ嬉しそうだった。ガルヴェインが非難の目を向けてきたが、殿下の許しが出たものを臣下がどうこうと口は出せまい。初めて彼より優位に立てたことが嬉しくてこっそりほくそ笑んだ。


 サラフィナが旅路に加わったおかげで、急ぐ理由もなくなった。逆に、だからこそ余計に見つかるわけにはいかなくなり、却って慎重に歩を進めることになった。

 日が暮れかかってきた頃、ガルヴェインが足を止める。

「森を抜ければニィスへの街道に出ます。急げば本日中には到着しますが、街道では人目に付きます。早朝発つことにしましょう」

 サラフィナへ向かって、恭しく膝を折り頭を下げる。

「恐れながら殿下に野でご休憩を強いるなど、許されざる不敬と存じますが―――」

「ガル兄様、気にしないでください。わたし、いつも床で寝ていたのよ。お城のベッドの方が柔らかすぎて寝にくいくらいよ!」

 彼は万事この調子だった。森を歩かせては如何様なる罰も受けると謝り、貫頭衣もどきを着させては無礼の許しを請い、皮袋の水を渡しては臣下の持ち物を使わせるなど恐縮だと畏まる。正直、いい加減にしてほしい。サラフィナはその度に申し訳なさそうに微笑み、気にしないで、と連発した。本人が気にするな、と言っているのだから気にしなくていいのに。というか、サラフィナへの敬意の百分の一ほどでも私に向けたことがあっただろうか。一応フリとはいえ、お偉い従者様だというのに。

 何となく面白くなくて眉間に皺が寄っていた私に、サラフィナは満面の笑みで手を繋いできた。

「あの、よろしければ、マナミ様と一緒に寝てもいいですか?」

「も、もちろんよ!」

 もやもやした不機嫌な気持ちがいっぺんに吹き飛んだ。あまりに可愛くて、ついぎゅっと抱きしめた。ら、背後に氷の視線が突き刺さったが無視した。殿下がお望みなら叶えてあげたいじゃないの!


 お望み通り、私とサラフィナは隣り合わせで横になり、そこからやや離れた場所にガルヴェインが腰を下ろした。日が落ちれば暗くなるのは早い。毛布に包まった頃には空が青紫に染まっていたが、たき火はつけない。狼に襲われる可能性より、賊の追跡の危険性を重視したのだ。

 静寂が訪れる。ガルヴェインは剣を抱えて座ったままだが、眠ってはいないだろう。

「……マナミ様、もう寝てしまいましたか?」

「いいえ。起きてるよ」

 サラフィナはガルヴェインが眠っていると思ったのだろうか。囁くように話しかけてきた。

「わたし、殿下なんて呼ばれていますけど、平民なんですよ」

「ええ……知っています」

 アークにそれとなく聞いただけだが、ここは敢えて従者様らしく『何でも知っていますよ』という得意気な顔をしてみせた。サラフィナにもニュアンスは伝わったようで、そうですよね、と笑みを返してくれた。

「平民で、しかも孤児で、取り柄もないわたしが次の王様候補だなんて……いいのでしょうか?」

 私が思っていたより、『それ』は早くやってきた。彼女の意思を確かめる時が。


 アークはいない。まさかガルヴェインが私の発言を止めるとは思えない。畏れ多くも殿下が敬愛しておられる従者様のお言葉を、一介の兵が止めようなど、礼節を重んじる彼が出来るはずがない。少なくとも殿下の目の前では。

 これはチャンスだ。きっと黒の竜が与えてくれたチャンスだ。

「サラフィナは、王になりたくないの?」

 ガルヴェインを包む空気が10度くらい下がった気がしたが、案の定彼は動かなかった。腹の底は怒りで燃え上がっているだろうが。

「……正直に申し上げると、分からないんです。母が5歳の時に亡くなって、それから叔母の家に住まわせていただいていましたが、ほとんど召使いでした。学もないし、王宮のことなんて何も知らないし……そんなわたしが王になっても、迷惑しかかけないって分かっているんです……」

 薄闇の中、注意深くサラフィナを見つめる。不安げで泣きそうだったが、ひとつひとつ、自分の心と向き合いながら言葉を発しているように見えた。

「でも、お城で、あの人に……宰相に会って、とても怖かった。冷たい目をしていて、平民のわたしのことを虫けらのように見下していました。わたし、人をさげすむような人に、王様になんてなってほしくない!」

 囁きだった声は、いつの間にか悲痛な叫びに変わっていた。だが私もガルヴェインも、それを咎めようとは思えなかった。幼い少女の、魂の叫びだ。

「わたしが、わたしだけがあの人が王になるのを阻止できるのなら……わたし、王になりたいんです。わたしがいい王様になんてなれると思っていません。でも、あの人を王にしたら、きっと多くの人が悲しみます。それだけは嫌なんです」


 綺麗事だと嘲笑うだろう。

 浅はかな夢に過ぎないと首を振るだろう。

 若い子が持つ未来への希望を、かの男は―――宰相はきっと鼻で笑い飛ばす。


 幼い少女が既に覚悟を決めているのに、私は未だどこかで逃げようとしていた。サラフィナが否と言えば、私の責務がなくなるからと、どこかで願っていた。小さな子の意思を確認する? とんでもない! 自分が逃げ道が欲しかっただけではないか!


 私は上体を起こした。つられて起き上がるサラフィナの手を取り、両手で包んだ。細く小さなこの手に、大きなものを抱え込もうとしている少女が、とても清らかに、とても美しく見えた。

「サラフィナ」

 私は嘘つきで、卑怯者だけど―――

「大丈夫、あなたはきっと素敵な王様になる。そのために私は天より遣わされました。私ができることは少ないけど、力の限りあなたを助けるから」

 嘘と本心が入り混じった言葉に、サラフィナははちきれんばかりの笑顔で抱きついてきた。

「本当に!? 本当ですか、マナミ様! わたし、とても嬉しいです! マナミ様がいらっしゃるなら、わたし、頑張れます!」

「ええ、守るわ、サラフィナ。絶対に」

 一途に純粋に、私に敬意と信頼を寄せてくれるサラフィナをきつく抱きしめながら、深く心に誓った。


 今はまだ、私がこちらの世界に来た理由も方法も分からない。だが、この胸の中の小さな少女を守りたいと思ったのは事実だ。この世界で、私をまっすぐに信じてくれたこの少女のために力を尽くそうと思えた。黒の竜の従者とやらを演じきって、サラフィナを支えてあげよう、と。


 それがどんな道になろうとも―――





ご覧くださり、ありがとうございます。

ちょっと短いですけどキリが良いので。

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