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白い花束と赤い木の実

 時計塔の針が7時を指す頃。時間ギリギリにわたしは図書館に戻り、アレアさんと朝の挨拶をし、寝泊まりの条件であった図書館の手伝いを始めた。ずっと寝ててすっぽかしてしまった昨日の分を取り戻すため、気合いを入れて仕事に取り掛かった。


「もう、大丈夫なの?……無理はしないでね」

「大丈夫だよ。アレアさんこそ、無理してそんなたくさんの本を持とうとしないで。腰痛めちゃうよ」


 アレアさんの持っていた大量の本を奪いながらそう伝える。わたしは本当に大丈夫。流す涙は昨日のうちに流したし、伝えたかった事は今度こそ伝えた。


 一仕事終えて部屋に戻ると、窓の淵に1羽のコウモリがぶら下がっていた。このコウモリは見覚えがある。ねえさんが昔から使役している、お気に入りのコウモリだ。

 わたしが部屋に入ったのを確認すると、近くまで飛んできて、手元に1枚の紙を落とした。紙には文字が書かれている。ねえさんからの手紙だ。


『日が沈んだら戻る』


 日が昇ったせいで帰れなくなったのか、と初めは思ったけど、多分それだけじゃない。

 ねえさんは少なくとも一昨日の日中から活動し続けていた。しかも、一昨日は恐らく、シャグラの邪魔をするために短時間とはいえ日光を浴びている。黒い布とかである程度対策はしていただろうけど、それでも消耗はしたはずだ。記憶を取り戻した今ならわかる。あの時のねえさんがだいぶ無理をしていたと。

 それに、左腕の怪我もある。そんな状態で50時間くらい活動し続けていたのだ。ねえさんには休息が必要だ。日が昇っている間は回復に努めるということなのだろう。

 机の中に入っていた紙とペンを取り出し、返事を書く。ゆっくり休んでね、と。


「それじゃあ、これをねえさんに届けてね」


 ねえさんのコウモリにそう語りかけたけど、伝わったかはわからない。ねえさんはコウモリと話せるけど、わたしはコウモリの言葉がわからない。

 それでも何をするかは理解してくれたようで、手紙をくわえて窓から飛び出していった。


 街の外まで出掛けてくることと、夜にはねえさんが戻ることを司書さんに伝え、日除けの布を被り、巾着を持って外に繰り出す。


 目的地は、マナンさんの倉庫だ。

 中に入ると、マナンさんの従者さんがいた。初めてここに来た時、案内してくれたあの人だ。


「ボサノヴァ様、お待ちしておりました」

「すいません、昨日のうちに伺えなくて」


 本当は昨日来るはずだったのだ。わたしがずーっと眠っていなければ。


「……約束のものは奥にございます。どうぞ、こちらへ」


 促され、奥へ進んでいく。

 この後の事を考えていると、だんだん胸が苦しくなってきた。

 何が起こるかはわかっている。わたしがやった事で、わたしがお願いした事だ。覚悟はしていたはずだ。それでも、きゅっと心が締め付けられるような感覚があった。


 階段をしばらく降り、だいぶ深い場所にある地下室に入る。辺りは暗く、ひんやりとしている。従者さんが持つランプが唯一の灯りだ。もっとも、わたしには十分な明るさなんだけど。地下室にはいくつもの棚が並んでいた。


「失礼、少々お待ちください」


 そう言って従者さんは足元にランプを置き、目の前の棚から箱を取り出す。小動物が1匹、入るくらいの大きさだ。

 わたしはその箱を受け取る。


「開けても、いいですか」

「ええ、もちろん」


 従者さんに許可を取って、ゆっくりと箱を開ける。いや、開けようとしたが指が震えて上手く開けられない。


 ……覚悟はしてきたはずだ。真っ直ぐ向き合わなきゃ。


 一度深呼吸して、改めて箱を開ける。


 箱に敷き詰められた藁の上には、キューちゃんが横たわっていた。見慣れた寝顔だ。しかし、首元にはわたしが牙を立てた傷穴が開いており、呼吸をしている様子もない。よく見ると、傷穴の辺りから横に、切断したような痕が残っていた。恐らく、血液を抜き取るために、一度首を切り落としたのだろう。

 キューちゃんの亡骸が、その箱の中に入っていた。


 キューちゃんを噛む前に、幸運の薬を渡す条件としてマナンさんにお願いしていた事の1つ。それは、キューちゃんの亡骸を保存してもらう事だった。

 キューちゃんの事を信じたい、でも信じられない。殺すと決めた、でも大切にしたい。そんな不安定な状態の、記憶を失くしていたわたしは、キューちゃんの亡骸の処遇を「わたし」に委ねていた。記憶を取り戻した今のわたしに。


 地上に戻り、倉庫を後にしようとしたところで、従者さんに呼び止められた。


「ボサノヴァ様、こちらをどうぞ」


 そう言って従者さんが渡してきたのは、小さな白い花束だった。


「これは……」

「私からの贈り物です。お代はいただきません」


 とても気配りが出来る人だ。さすがは町の支配者の従者と言ったところか。

 頭を下げお礼を伝え、わたしは倉庫を後にした。


 出来るだけ箱を揺らさないように気をつけながら、街の壁を飛び越える。もう不法侵入者ではなかったけど、関所の荷物検査で箱の中を見られるのが嫌だった。


 野を抜け、森に入り、荒れた道を進んで行くと、やがて館が見えてきた。わたしとキューちゃん、2人の居場所。


 館には物を取りに来ただけのつもりだったのに、気付いたら2階のあの部屋に来ていた。キューちゃんの寝室。キューちゃんと出会い、わたしの存在が一度途切れた場所。キューちゃんと一緒に、いくつもの夜を過ごした場所。キューちゃんを襲った侵入者を殺した場所。


 ビュウ、と窓から風が吹き込んだ。木々が揺らされ、葉が擦れる音が聞こえる。



 目的の物は、玄関のすぐそばに置かれていた。鉄製のシャベル。おそらく、かつての館の住人が忘れていったのであろう道具。初めのうちは、このシャベルを何度も使う事になるとは思ってもいなかった。

 このシャベルを使って、3人の人間の亡骸を森に埋めた。



 箱、花束、シャベルと手荷物が増えてきた。箱だけは落とさないように、足元に注意しながら森の中を歩く。


 道中、キューちゃんと水浴びをするのに使っていた湖が見えた。……こんな屋外で、水浴び。今になって恥ずかしくなって、顔が少し熱い。

 今日は湖に水鳥は見当たらなかった。どこかに飛び立ってしまったのだろうか。


 そのうち、甘酸っぱい香りが辺りに漂い、周囲の木々に赤い実が付き始めた。イチラの実の群生地だ。

 キューちゃんと一緒に、あの甘くて酸っぱい木の実を食べた場所。記憶を失くしたわたしが、最初にキューちゃんに心を開いた場所。初めてスレイくんと出会って、わたしが街に行くきっかけが生まれた場所。

 木の実をいくつか手に取って、巾着に入れる。この前来た時は気付かなかったけど、木の実が以前よりも色濃く、柔らかくなっている。熟れたのか、旬が過ぎたのか。確かグレイさんの話では、もうすぐイチラの実がみのる季節は終わってしまうんだっけ。


 最初はイチラの実の群生地をゴールにするつもりだったのだけれど、結局館にまで戻ってきてしまった。あそこだと、場所がわからなくなっちゃいそうだし。シャベルを持っていった意味、なかったな。


 館の裏に荷物を降ろし、穴を掘り始める。わたしのかかとから太ももくらいの深さ。これくらい掘れば十分だろう。


 わたしはもう一度、箱を開いた。

 さっき見た時と変わらず、動かないキューちゃん。気をつけて運んだ甲斐があって、中身はほとんど荒れていなかった。

 でも、気温が高くないとはいえ、ずっとこのままにはしておけない。お別れを済ませなくちゃいけない。


 キューちゃんを抱きかかえようとしたが、首の傷痕を思い出し踏み止まった。

そっと、キューちゃんを撫でてみる。大好きなもふもふの毛並み。それは変わらない。ひとつ違うのは、そこにもう生命の暖かみが残っていない事だった。自分で致命傷を与えた。箱を受け取った時にも確認した。だけど、キューちゃんの身体に触って、そこに熱が残っていない事を感じて、改めてキューちゃんがもう生きてはいない事を痛感する。

 頭ではキューちゃんの死を受け入れたつもりでも、未だわたしは事実を受け入れていなかったらしい。


 それでも、これが本当のお別れ。


 わたしは箱の蓋を閉め、穴の底に置き。上から土を被せる。周りの土を巻き込んで、小さく山が出来るように穴を埋めた。

 従者さんにもらった白い花束を添える。よく見ると、花束の白はキューちゃんの白とそっくりだった。どうして今まで気付かなかったのか。それとも、感傷的になってそう見えてしまっているだけなのか。


 巾着からイチラの実を取り出し、いくつかをそこに供える。もうひとつ取り出して、それをわたしの口に運んだ。

 ほんのり甘く、そして酸っぱさが来る。きっとこの味を感じる度に、キューちゃんの事を思い出すんだろうな。


 わたしはもう、忘れない。昔の事も、キューちゃんに記憶を渡した事も、一緒に過ごした事も、人間を殺し、人間と過ごした事も、最後にはキューちゃんを殺した事も。


 記憶を失くしていた間は、昔の失敗に苦しむ事はなかった。でも、家族のみんなとの大切な思い出までも失ってしまった。それはわたしだけの問題じゃない。実際、ねえさんの心を傷つけてしまった。自分が楽になりたいからと、ねえさんとの約束を破ってしまった。


 これからのわたしはもう過去から逃げない。昔の失敗だって、キューちゃんを殺した事だって。良い事、悪い事、みんなみんなの積み重ねが『わたし』なんだ。

 わたしのために、何かをしてくれたひとたちがいる。わたしのせいで、何かを失ってしまったひとたちがいる。


 だからね、キューちゃん。

 わたし、これから目一杯頑張って生きて、わたしを肯定出来るようになりたい。わたしに関わったすべてを、肯定したい。否定したくない。それがわたしの責任なんだと、今は思うの。


 それで、いつになるか、どれだけ先かはわからないけど。


 わたしがわたしを肯定して、生を終えることが出来たら。

 その時はまた、一緒にこの木の実を食べてほしいな。


 もうひとつだけ、最後にひとつだけ、わたしは巾着の中の実を食べた。


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