これから
オルオナ五十八年晩春の月十八日に、大陸全土で猛威を振るっていた機巧兵たちが、突如として地中へと撤退した。ある国はこれを簒奪への赦しと捉え、ある国はこれを勇者の活躍とし、またある国はこれを、古の姫君の尽力の賜物とした。
機巧兵による最後の被害は、エテリア帝国に落ち、町を一つ破壊した、鋼よりも固い金属の塊だった。
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アゼイラ王国の南東部に位置する小さな町、レイファ。
そこにあるゲッセルが経営する食堂には、陽気な声が響いていた。客は四人で、全員がカウンター席に座っている。
「かんぱーいっ!」
はしゃいで言った少女に対し、栗色の髪の青年が呆れたように窘めた。
「おいこら、アゼナ。何回目だよ、いい加減落ち着け」
「お祝い事には事欠かないっ!」
弾んだ声で言い、アゼナは窘めたユアンに向けて指を振ってみせた。
「それに、やっとみんなだけで落ち着いて話せるんだし!」
ユアンと、それとリアが額を押さえた。
「おまえが他を追い出したんだろうが……店主まで」
しかし実際、仲間だけで会うのはこれが久し振りのことだった。
あの後、大陸中が混乱していたと言っても過言ではない事態になり、ばらばらになった仲間たちの安否の確認も儘ならない状態になったのだ。
そのため、半日近く休んで僅かに魔力が回復したレフが、アゼイラの国王に「迎えに来て」というまさかの依頼を出し、一日後、転移の魔法陣を大量消費しながらそれぞれの下に迎えが来たのだった。
言うまでもなく全員が疲れ切ってはいたが、王宮で再会を果たした瞬間、アゼナが大号泣し、ラシュカがそれにつられたのか大泣きし始め、彼らを運んだ魔術師たちも驚きの大騒ぎになったのだった。
全員が生きて揃ったことが大きかったが、全員無傷で、とはいかなかった。
魔術師は全員が魔力枯渇を引き起こしており、ヴェルガードは治癒の連発で歩くことも儘ならない状態だったし、ユアンにしてもリアにしても重傷の上に重ねてのことだったので、深刻な事態に陥っていた。ユアンは吐血を繰り返し、背中には一生の間痕が残るだろう大きな傷が走っており、リアの方は動けない上に左足首の腱が切れていた。二度と元のようには歩けないだろう。
ラシュカは魔力総量がユアンよりも大きいためか、ユアンのように血を吐くようなことにはならなかったが、しばらくは魔力が使えなくなっていた。そしてラデルは、右腕を失った。
アゼナはヴェルガードがついていたためにほぼ軽傷で済んでいたが、内在魔力を全て使い切り、更には左手の薬指と小指を失うこととなっていた。
アレンは左腕こそレフに治癒を施されていたものの、数えることを放棄するくらいの傷を作っており、相手取った機巧兵の数は中でも最も多かった。
そしてレフは、王宮に帰るまでは何とか保っていたものの、王宮に転移が完了して仲間の生存を確認するや意識を失い、アレンたちを精神的に追い詰めたのだった。
丸一日の後、彼女が意識を取り戻したときには、再会した時以上の号泣を披露した者が何人もいたのだった。
それからも何だかんだで人の目は絶えず、アレンが帰郷の許可をもぎ取って、現在に至る。
「まあ、はしゃぎたい気分も分かるよ」
ラデルが言った。
貴族である彼は、勿論アレンの帰郷に付き合うわけにはいかず、声と姿をこちらに送っての参加となっていた。
他にも、ラシュカとヴェルガードはそうして参加している。
「みんな生きて乗り切ったし! レフもちゃんとみんなのこと覚えてるし!」
アゼナは高らかに宣言した。
レフは一番奥の壁際の席に座っており、その言葉に反応して顔を上げた。
――アレンが一度、レフの記憶が守られたことへの説明を求めたが、レフは言葉を濁していた。
魔法陣の異常な発光は、魔力が光に変換されたこと――魔法陣が本来の効果を発揮しなかったことの表れだ。
そしてその現象をアイゼルトのような熟練者が起こしたのだとすれば、それは行為者が魔術を途中で打ち切ったことの表れに他ならない。
魔法陣の発光は普通にあることだが、あの異常なまでの眩しさはそれではない。
ユヴィリアイゼは術を打ち切ったのだ。
最期の最後に、妹に慈悲を掛けたのだ。
それでも半ばまで起動した陣は、レフの記憶を混乱させ、構築された情報を崩壊させたが、アレンが名前を呼んだこと、指先で触れたこと、目を見たこと――つまりは使用者を認識させたことで、情報は再構築され整理された。
「ラデル、片腕だけでは不便ではなくて?」
レフが声を掛けた。が、ラデルはふふっと笑い、怪しげな笑みを漂わせて言ったのだった。
「不便は不便だけれども――この傷のお蔭で僕が何をしたかは一目瞭然だからね。
ふっ、貴族としての役割は十分に果たしただろう。残った人生は研究に費やせるんだよ」
その得体の知れない気迫に押され、ユアン以下ゲッセルの食堂にいた面々は「お、おう」、「あ、そ、そう」という感じで黙ったが、姿をこちらに送っている王都組は、盛大に溜息を吐いた。
「そんなだから旦那様が困ってらっしゃるんだろう」
「本当に。兄上もお困りです」
順に、ラガーザ伯爵に雇われたヴェルガード、ラデルとその兄の妹となったラシュカである。
「えっ? あ、アレンはまだかなあ?」
一瞬、背後を取られたような顔をしたラデルがわざとらしく話題を逸らし、ユアンは肩を竦めた。
「そりゃあな。そう簡単に棟梁の機嫌が直るもんか」
しかしちょうどそのとき扉が開き、アレンが戻って来た。不機嫌極まりない顔をしている。ユアンとリアの声が重なった。
「あ、駄目だったわけ……」
レフは首を傾げ、自分の隣の空席を触れるように叩いた。
「アレン」
アレンはレフを見て一瞬表情を明るくしたが、またすぐに不機嫌な顔に戻り、レフの隣に腰掛けると、完全なる愚痴の口調で喚いた。
「あのクソ親父! 俺の事情なんか斟酌しねえで、失せろ餓鬼とか抜かしやがって!」
「えーひどいっ」
とこれはアゼナ。
「アレンがいなかったら今頃すごいことになってたのにねぇ」
「まあ仕方ないだろ」
とこれはラデル。
「一声かけてから出れば良かったんだ」
「同感。あんた、考えなさすぎでしょ」
リアが言い、ヴェルガードが鹿爪らしく続けた。
「まあ、失せろと言われればかちんとくるな」
「明日もう一回挑戦してみたらどうですか?」
ラシュカが建設的な意見を出したが、失せろと怒鳴られたことと餓鬼呼ばわりを根に持つアレンは顔を顰めた。
「じゃあおまえ、生活費どうやって稼ぐんだよ」
ユアンが現実を突き付けた。アレンはうっと詰まり、頭を抱えた。
「だよなあ、そうだよなー、俺とレフの分、絶対稼がなきゃならねえしな」
「いやでもでも」
アゼナが身を乗り出し、ユアンの肩を肘掛にした。
「アレンって一生税金免除でしょ。じゃあ、最低限食費があれば何とかなるんじゃないの?」
「どけ」
と笑いながら言ってアゼナを退かしたユアンが座り直し、やれやれと言うように首を振った。
「勇者様が日銭稼ぎ……笑えねえ」
「て、め、え」
勇者呼ばわりをされ、アレンの額に青筋が立つ。が、はっと気付いた様子でレフを振り返った。
「そういやあ、おまえは? レフは税金どうなんだ?」
レフは首を傾げ、心底訝しげに「ぜいきん?」と呟いた。
「こいつ、税金が何だか分かってねえぞ」
ユアンが笑いを堪えながら言い、身を乗り出してアレンの頭を叩いた。
「苦労するぞ、アレン」
「ほっとけ!」
アレンは怒鳴り、ユアンが笑いながら言った。
「まあ、陛下だってリノ・アイゼルトから税を取ろうなんて思わないさ」
「そんな度胸ないよね」
アゼナとラデルの声が被ったが、両者間違いなくエテリアの皇宮で見たレフの怒りを思い出していた。
「ラデ――お兄様、軽く不敬ですっ」
ラシュカが咎めるように言ったが、意見は同じであろうことを疑う余地はない。
「じゃあ何とかなるはず、だよ。
――ところで、ねえレフぅ、何て言われたの?」
アゼナが目をきらきらさせながら訊き、レフは首を傾げた。
「は?」
「結婚の申し込みだよ!」
アゼナは焦れったそうに言い、アレンは心から、以前にレフに結婚の説明をしておいて良かったと思った。
ここで「けっこん?」とか言われようものなら悪夢だ。
(――って、ん? 俺……)
レフの目が覚めた安堵などで、それどころではなかったような。レフには流れで了承させたような。
アレンがはたと気付くのと、レフが真顔で言うのが同時だった。
「何も特には」
一瞬の沈黙、そして、
「え?」
「え?」
「は?」
「うそ?」
「信じらんない」
「有り得ないっ!」
六人が同時に声、あるいは怒声を上げた。
怒声を上げたのは無論アゼナであり、アゼナはばんっとカウンターを叩いて立ち上がるや、アレンを怒鳴りつけた。
「有り得ないよアレン! なにそれ!」
ラシュカが王都で身を乗り出した。
「そうです! 求婚を省略って酷すぎます!」
リアまでが軽蔑も露わに言った。
「うわあ、最低」
余りの言われようにアレンはぽかんとしたが、レフが眉を寄せるのを見て慌てに慌てた。
「おっ、おいレフ! 立て!」
レフは訝しげな顔をした。
「なぜです」
「そういう仕来りなんだよ! 求婚される女は立つ、いいなっ?」
レフは真顔で頷いた。
「はい。そのように理解し学習しました」
「いや別に覚えなくてもいいんだが」
アレンは言い、レフが首を傾げるのを見てにやりと笑った。
「だって、おまえに求婚するのは俺が最初で最後なんだから」
囃すような口笛の音がしたが、アレンは無視した。
「はいほら、立って」
レフは壁を背に軽やかに立ち上がった。傷は癒え、魔力は戻り、心盤の苦痛の命令はユヴィリアイゼと共に消えた。
アレンからすれば、初めて会ったときよりも何倍も綺麗に見えるのだが、それは心境の変化のせいか。
立ち上がったレフは不思議そうにしている。
アレンはその前に、他の者には背を向ける形で跪いた。背後の口笛の音が増えたが、これも無視する。周囲は勝手ににやついておけばいいのだ。
レフの手を取って、アレンははっきりと言った。
「レフ、大好きだ。おまえのことを心から愛してるし、それはこれからもずっとそうだ。こんな風に――こんなに好きになったのはおまえが初めてだし、この先もおまえだけだと断言できる。だから結婚してほしい」
言い切って、「はい」の返事を待つ。
――が、レフは眉根を寄せ、黙っている。アレンを見たまま、手を預けたままでこそいるものの、口を開く気配はない。
その場の空気が凍り付いた。
まさかの事態に身動きも出来ないアレンを咄嗟に一瞥してしまい、その背中に半端でなく危ういものを感じたユアンは焦って声を掛けようとしたが、焦るせいで数回噛んだ。
「えっ、まさっ、まさかだっ、駄目――!?」
レフは視線を上げ、眉を顰めてユアンを見た。しかしそれだけでユアンには答えず、彼女は凍り付いているアレンに視線を戻した。
「アレン、ここでの仕事がないのなら、王都の方に住んでも大丈夫でしょうか?
国王のことも気になりますし、わたしはあくまでこの国の守護者ですから」
凍り付いていた空気が勢いよく瓦解した。
はああ、と息を吐き、アレンは思わず立ち上がって怒鳴るように突っ込んでいた。
「ばっ、馬鹿っ! 新居の話は承諾の返事の後にしやがれ! 寿命が縮んだぞ!」
あたしも、わたしもです、俺もだ、という声が上がる中、レフは首を傾げてから納得したように頷いた。
顰め面を装ってレフを見るアレンだったが、そのアレンはあっと言う間に表情を緩めざるを得なくなった。
レフの顔に、三度目の、そして今までで最高の微笑みを見てしまったからには。
レフはその極上の表情のままで、それでいながら極めて彼女らしく、理の当然という顔をして偉そうに、そして嬉しそうに答えた。
「もちろん返事は、はい、ですよ?」
これで完結となります。
最後まで読んでくださった方、未熟な作品にお付き合いくださり、本当にありがとうございました!




