リノ・アイゼルト
言葉が出なかった。アレンは立ち上がることすら出来ず、何も言えずにただユヴィリアイゼを見た。
――強いとは思っていた。そう聞いてもいた。レフですら規格外の魔力を持っているのに、それより大きい魔力を持っていると頭では分かっていた。
まさか、ここまでとは。
圧倒的な差。絶望的なまでに容赦のない「設定」。
離反しないような環境で育てて、離反したとして害のないようにと、そのように綿密に設定されて生み出された子どもたち。
愛情深い、庇護と慈悲に満ちた、それでいて一方には残酷な、ゼアントの意志。
「――そうですか」
レフの声がした。ここのところでは聞くことが少なくなった、一切の彩りを削ぎ落とした事務的な声だった。
「でも、だからといって止めるわけにはいかないのです、お姉さま」
首を傾げて、レフは理の当然という顔をして偉そうに言った。
「あなたに勝つことが出来ないのは大変残念です。そう思います。ですが、お姉さま、こちらにも事情はあるのです」
立ち上がったレフは、いつものように落ち着いていた。
「ごめんなさい、お姉さま。勝てないのなら相討ちに持ち込みます」
「あら、出来るの?」
ユヴィリアイゼはからかうように言った。
「五人の中で一番の弱虫。臆病な、泣き虫。あなたはそうでしょう、レフェアイゼ?」
「やってみます」
レフは場違いな程に生真面目に言った。
「背負う期待が大きいもので。――守護者というものは」
◇◇◇◇◇◇
「来た来た! あなたはどこの国の人? ルイルだったりアーリストだったりしたら困るんだけれど」
突進するようにして彼を出迎えて真っ先に言ったのはセレアイゼだった。レフェアイゼは先を越されてむっとしている。
〈記録〉にやって来た彼は二人が突然現れて、飛び付くようにされても欠片も動じず、ただ静かに片膝を突いた。
「アゼイラ国王の勅使、オーヴェルと申します。こちらにリノ・アイゼルトがいらっしゃ――」
「やったあ!」
レフェアイゼは思わず叫び、オーヴェルの手を握って引っ張った。
「わたしよ! わたしがリノ・アイゼルトよ! 来てくれたのね!」
オーヴェルは意外そうに目を瞬かせた。ここまで熱烈に歓迎されるとは思わなかったのだろう。
「は、はあ。その、貴殿には」
「大丈夫よ!」
レフェアイゼは宣言した。
「出来ないことでないならば何だってやってあげるわ。遠慮なくどんどん仰い。
――あ、でもわたしは生き物を傷付けるのは得意ではないから、あまり頼まないでほしいのだけれど」
「まったく、レフェアイゼ」
セレアイゼは呆れたように肩を竦めた。
「何を言っているのよ、戦闘色最強のアイゼルトが」
「え、だって」
「レフェアイゼ様、とおっしゃるのですね」
オーヴェルは噛み締めるように呼び、膝を突いたままでレフェアイゼの手を握り返した。
「申し訳ありません、国は危急存亡の危機です。ゆえに取捨選択は必至であり、あなたには人を見殺しにすることも、数の大小で命を量ることもやっていただかなくてはなりません。戦略によっては町を一つ潰していただくことになるやも知れませぬ。
――それでも、一緒に来てくださいますか」
レフェアイゼは首を傾げてしばらく考えてから、にっこり笑って頷いた。
「よく分からないけれど、いいわ。行ってあげる。やってあげる」
オーヴェルは驚いた顔をした。
「まこと――ですか。なぜです、私が言うのも何だがあなたには何の得も」
「オーヴェル、だったかしら。あなた分かっていないわね」
セレアイゼがおかしそうに遮って言い、レフェアイゼはくすくすと笑みを零しながら言った。
「得ならあるわ、報酬よ。
わたしが支払ってもらう報酬は、わたしのことを憶えておくこと。
支払いを怠ったら拗ねてやるから。次は出て行ってあげなくなるから。
――それにね、これは当然のことよ」
オーヴェルは目を瞬かせた。だからレフェアイゼはまた、にっこりと笑って教えてやったのだ。
「だってわたしは北方の守護者、リノ・アイゼルトですもの。懸かる期待は大きいのでしょう?」
オーヴェルも、表情を柔らかくして頷いたのだ。
「――はい。畏れながら……とても」
「本当にあんた強いんだろうなぁ?」
王宮に招かれて二日、散策していると声が掛かった。見るとそれはくすんだ金髪の若い男で、近衛の制服を着崩している。丁寧でない口調で人間に話し掛けられたのは初めてということもあって、レフェアイゼはぽかんとした。両者の間に入って、オーヴェルが素早く言う。
「この者が無礼を致しまして。――何をしている、名乗れ」
言われて、その男は肩を竦める。
「フロース。フロースだ」
彼は大変無礼な男で、心から礼節を尽くすのは忠誠を誓う若き国王、エドリアルに対してのみだった。だが大変腕が立ち、そのことは誰も否定できなかった。
当時アゼイラが抱えていたのは、機巧兵に係る問題だけではなく、これが好機と国王をその玉座から引き摺り下ろそうとする、内紛までも抱えていた。これは国民の問題だからとは言われたものの、レフェアイゼもその鎮圧に力を貸した。その際に彼女の、大き過ぎる魔力が要らぬ犠牲を出すことを恐れ、彼女は一人で戦うことをしなかった。
「わたしがあなたを守るから、あなたがみんなを守るのよ」
フロースはリノ・アイゼルトの前衛であり、リノ・アイゼルトは彼の後衛だった。
「俺がいるからには無敵だろ?」
そんな軽口を皆で苦笑しながら聞き、あのとき確かにレフェアイゼは幸せだった。
エドリアルやオーヴェル、彼の妻にして王宮筆頭魔術師のシェイラ、そしてフロース。彼らが作る温かい輪と、それを外側から守るレフェアイゼ。
彼女はアゼイラの救世主だった。
「名乗りを上げろ、リノ・アイゼルト!」
戦場で、フロースが彼女を抱え上げて誇らしげに言う。オーヴェルは彼女のことを「レフェアイゼさん」と呼び、他の者は「リノ・アイゼルト様」と呼ぶ中で、彼だけがその呼称を呼び捨てにした。それに応えてレフェアイゼが名乗りを上げる。
「わたしはリノ・アイゼルト! 北方の守護者、アゼイラの救世主! このわたしが先頭に立って、命を落とした者があるか!」
おりません! という歓声が戦場を揺らす。
機巧兵の被害は拡大し、誘き出してアイゼルトたちで殲滅しようにも、機巧兵は人のいる場所にしか現れなかった。
各国の王は決断し、アイゼルトたちが実行した。
人口の少ない、小さな町を犠牲にし、そこへ機巧兵たちを誘き出す。シェリアイゼの嵐壁でそこを囲み、そこにレフェアイゼが掃討波を放つ。
全ては一瞬で片が付いた。
炸裂する銀の光。砕け散る白い壁、更に構築される白い光の壁。何重にも何重にも何重にも何重にも何重にも。銀の光が町一つを簡単に消し飛ばし、機巧兵を掃討し、後に残った機巧兵たちを、三人のアイゼルトが地下に追い込む。
歓声と、安堵と。
春送りの祭典で、レフェアイゼはたくさんの花を受け取って、その中の二輪、オーヴェルの白い花とフロースの赤い花を髪に挿した。
そしてあの最後の日、玉座の前で別れを述べていたレフェアイゼは、後ろからフロースに刺されたのだった。驚いて振り返った、見えたのは泣き出しそうなフロースの顔だった。次の瞬間に正面から心臓を刺され、悲鳴と絶叫、怒声が満ちる中、レフェアイゼはフロースの、自らが心から信頼した前衛の、その首を刎ねた。
一命を取り留めたレフェアイゼが気に掛けたこと、それはただひたすら、フロースに裏切られたことのみだった。
「ねえ、オーヴェル」
銀色の髪の少女は繰り返す。
「どうして、フロースは――わたしを、裏切ったの? ねえ」
オーヴェルの目を、涙の膜が覆った。
「貴女をここからお連れするべきではなかった」
囁くような声に、レフェアイゼは戸惑いを浮かべる。
「どうして……?」
「それが私に課せられた使命であったとしても、貴女をここからお連れするべきではありませんでした、レフェアイゼさん」
ぼろぼろとオーヴェルの双眸から涙が零れた。
「どうか、どうかフロースのことを、裏切り者とご記憶なさいますな。春送りの祭典で、あれは貴女に赤い花を贈ったでしょう」
いつ死んでもおかしくない、治癒魔術で辛うじてその命を繋ぐレフェアイゼの目に、薄らと涙が膜を張った。
「ええ」
「我々が犠牲にすると決め、貴女が我々のための壊した町を、覚えておいでですか」
「ええ」
「そこにフロースの、妻子がいました」
それはレフェアイゼにとって、己の死刑宣告よりも恐ろしい言葉だった。
「…………」
「陛下は――陛下は、お立場ゆえ、臣下の家族を特別に扱うことは出来ぬと。そう仰いました」
「…………」
「陛下は、貴女がお心を痛めぬよう、そのことを黙っておいででした」
「わたし、は」
「ですがフロースは、貴女が知っていて、あの町を犠牲にしたと思ったのでしょう」
それでも、と続けた声が震えていた。
「フロースは、貴女が我々を守ってくださったと分かっていましたよ。だからこそ、赤い花を贈ったのです」
「あああ、あああああ」
言葉にならない慟哭が、少女の喉から迸った。他の二人の少女がその肩を、頭を撫でる。
「ですからどうか、フロースのことを、裏切り者とご記憶なさいますな」
その瞬間、幕が下ろされるように明確に、レフェアイゼの心に一線が引かれた。
――もう誰も守らない。何も助けない。それが、フロースを二度に亘って殺した自分の受ける、せめてもの罰だと。
その幕は二千年後の勅使の手に掛かるまで、捲られることはなかった。




