世界の代償
「世界は何も三千年前に始まったものじゃない、んだそうです」
ルイの言葉に、レフは凍り付いた。
「そんな、はずは」
自分の声をレフは聞いていた。
「わたしは、立ち会ったのだし」
ルイは首を捻る。
「僕も驚きましたね。でもね、お姫様。イリセ・アイゼルトが仰るには、本来こんな文明を獲得するのに――」
ルイは周囲を、腕をいっぱいに広げて示した。
「――人類の誕生から数えて、数万年から数十万年、掛かるそうですよ?」
レフは思わず力を込めて言った。
「それはわたしたちが教えたから」
ルイは頷く。
「そう、そのはずなんですが、イリセ・アイゼルトが仰るには、元々あった文明――その知識をイリセ・アイゼルトは持っていらしたわけですが、その記憶を貴女方の誕生と同時に貴女方に植え込んだらしいです。勿論その前に、元の世界の片をきっちり付けてから。〈記録〉はそもそも、次の世界に文明を引き継ぐために創ったそうですから」
レフの表情はない。ルイはそれを見ないようにしているのか、気付かないのか、口調は乱れない。
「元の世界というのもまた、酷かったらしいです。戦争疫病差別抗争虐待破壊独善――何でもあったそうです。それであるとき、この世界を終わらせようとした人たちがいて、その人たちの中には一人の機巧人がいたそうです。名前は、ごめんなさい、伝わっていません。というかそもそも、元の世界の中から伝わった言葉って、イリセ・アイゼルトのお名前と、彼女の一番大事な人の名前だけなんですが。――とにかくその人は、妊娠中でした。子供の誕生と同時にその人は息を引き取りました。生まれたのがイリセ・アイゼルトです」
ルイは一歩下がって、身体の後ろで腕を組む。
「そうして、その人たちによって機巧兵が作られました。そして、世界を破壊したんです」
ルイはくすりと笑う。
「勿論、全部なんて無理ですよ? だから、イリセ・アイゼルト曰く、このようにしたらしいです――」
声を低めて。それはまるで語り物。
「機巧人全部と人間三分の一。これを破壊したらしいです」
機巧人――全部?
「怒ってはいけませんよ、お姫様。だって人間って、機巧人の三倍いたらしいですから」
怒る?
「他にも文明の利器とか色々ね。で、最後に生き残りの記憶を奪った」
――記憶。
「言葉も動作も忘れるくらいに徹底的に、彼らの脳を初期状態に戻したんですね。勿論、言い出した方々も含めて。イリセ・アイゼルトと彼女の一番大事な人を除いて」
言葉も動作も忘れる。
「そして、初めに四機の、この世界で最初の機巧人を創ったんです。でも貴女たちの身体を創っている間に、彼女の一番大事な人が死んでしまったそうです。この世界がおかしくなったら戻すように約束させて」
この世界で最初の。
「完成した貴女たちに、イリセ・アイゼルトは機巧兵を見せましたよね、覚えていますか?」
レフは無表情に頷いた。
「ええ。お姉さまはわたしたちに見せて、これは危ないものだと仰った。それと同時に、わたしたちの命令を聞くと」
「そうです。
ほら、僕たちって元の世界で作られましたから、悪質な魔術の気を持ってることがあるんですよね。だからこそ穢れなわけですけど。
――そして人間たちの脳に文明を五人で叩き込んだでしょう?――あ、話の流れからすると、戻した、ことになるのかな?
そして五人で、機巧人を創ったでしょう?」
レフは頷く。
(――っての通り、ゼアントはかなりの読書家ではあるけれど! これはルーヴナ三百と二十七年、初夏のそのまた初め、満月から二日目の日のこと。――)
イリセの姉の記録には、記憶にない年号があった。それはこういうことだったのか。世界が始まる前に、前の世界が殺されていたのか。
旧い世界を淘汰する対価は、生命。
新たな世界の代償は、記憶。
「同じことですよ」
ルイは言う。
「この世界ももうダメです。
そう、管理者たるイリセ・アイゼルトが判断しました。
だから〈記録〉への五つの門、それに近付き過ぎている町などを破壊します。また、町の方が一般的に村よりも文明水準が高いので、破壊は町を優先して行います。
人口が落ち着いたら、記憶を消去します。
まあ、優先順位は記憶消去の方が上で、順番は後処理のことを考えて決めたことらしいですが」
祭の喧噪。
皆が笑っている。ふざけて怒った振りをしている。待ち人を見付けて顔を輝かせる。まだ帰りたくないと母親にぐずっている。父親に抱えられて嬉しそうにしている。誰かと手を繋いでいる。
人々の息。
「全部やり直します。今度こそうまくやると、イリセ・アイゼルトも大変な気合の入りようですよ」
(欠陥品? 俺はおまえの使用者だ。そんなことを言われると気分が悪い! 俺の許可なくてめえを貶めるな! いや、俺の許可があったって止めろ! 絶対だ!! 分かったなっ!?)
書くことをたくさんくれた人。
「それと――ここからが重要なんですが、もうすぐ大掃除が始まります。
つまり、大型の機巧兵による遠距離射撃での人口の大幅な削減、文明の利器の破壊を行い、それによって出てくる諸々――死体ですとか、瓦礫ですとか――の処理の後の、記憶の初期化が始まります。
この大陸全土が対象です。ですのでここにいると、いくらアイゼルトといえど、恐らく記憶を失います。
イリセ・アイゼルトは、それだけは耐えられないそうです」
レフはルイを見た。ルイはにっこりする。
「『どうしてもやらなきゃいけないことだから、時期が来たら実行する。でもそこにレフェアイゼがいたらと思うと震えるほど怖い』――だそうです。〈記録〉の中は安全です。貴女方を無事に置いておきたいからこそ、イリセ・アイゼルトは〈記録〉を安全に作ったのでしょうが。ですので急いで戻ってください」
ルイは一瞬躊躇って、付け加えた。
「もう独りにはなりたくないし、独りにさせるつもりもないそうです。貴女にとっては、イリセ・アイゼルトや他の――元の世界の方々の行いはとても身勝手に思えるかも知れません。ですが、イリセ・アイゼルトの家族愛は本物ですよ? それに、世界を想ってのことではありますし」
レフは目を閉じてまた開き、問うた。
「――おまえはどうなるの」
「僕?」
ルイは零れんばかりに目を見開いた。訊かれたことが意外だというように。
「破壊されるんじゃないでしょうか?――あ、でも、また次のために残されるのかな? んー、どっちでもいいんですけど」
「どっちでも――いい?」
レフの声に、ルイは満面の笑みで答えた。
「はい! だってここ、もっと良くなるんでしょう? 人間型を貰えたのであちこち見ていましたけど、見るにしても綺麗な世界の方がいいですし」
ルイはきらきらする目でレフを見る。
「その世界が代償として僕の命を求めるならいいです。もし求められるなら記憶もあげます」
にっこりと、どこか眩しげに笑んで。
「貴女はもっといい。確実に、次の世界を見ることが出来る。――楽しんで」
レフは黙っていた。何を言えばいいのかが分からなかった。
ルイは背筋をぴょんと伸ばすと、滑らかに言った。
「春の月に入って、貴女がアゼイラ国内にいるようであれば、イリセ・アイゼルトが貴女の下をお訪ねになられます。
〈記録〉に戻ってもしばらく会えないので、会いたければそれまでアゼイラに留まることをお勧めします。イリセ・アイゼルトもそれとなく期待しておられる風でした。
それから、えーと、他国にいる場合は申し訳ありませんが機巧兵、恐らくわたくしがお迎えに参ります。
以上で任務完了ですっ!」
ルイはお道化て敬礼すると、もう一度、今度はきちんと腰を折って礼をして、跳ねるような足取りで踵を返した。
レフは目を閉じた。
祭の喧噪。人々の息。これら全部がもうすぐ終わる。そもそもがそうやって創られた世界。元の世界にもこんなに人はいたのだろうか。
そうだ、いたのだ。それが全部おかしくなったから、こうして世界が新しくなったのだ。――そしてまた。
感想も考えも、まるで浮かんでこなかった。ただ心中には、淡い不安が漂っていた。
――どうして守護者を名乗ってわたしたちもそのようにしたの、お姉さま?




