姫君、知る
アレンは溜息を零した。
「――ったく俺は」
しばらくはレフがもうすぐいなくなることを忘れていたのに、外しますと言われた途端に思い出した。
一瞬、掏りやナンパのことを思い出して制止しようとも思ったが、差し出がましいということに気付いた。
〈記録〉に帰るときには使用者の設定をなかったことにするはずだ。つまりはもうじき、自分とレフは赤の他人になる。その相手の行動をいちいち監視するのは過干渉だ。いつだったか、過保護と言われて「上等」と返したことがあるが、あのときの何という愚かさ。それが分かったというのに、不機嫌な声が出てしまった。
レフはアレンのことを、二千年待ったと言っていた。だがそれは、「勅使」を待ったのであって「アレン」を待っていたのではない。千年孤独だったレフだけれど、イリセ・アイゼルトがいればもう独りにはならない。
(用済み。役立たず。お役目完了)
そんな言葉を脳裏に並べ、アレンは溜息を吐いた。
しかし、この場から動くと戻って来たレフが迷子になりかねない。いやもしかしたら今のはイリセ・アイゼルトに呼ばれて行ったのかも知れず、そうするともう戻って来ない可能性もあるのだが、仮にも何箇月も旅した仲間だ、一声くらいは掛けて行ってくれるだろう。だから、この場に突っ立ていなくては。
と思っていると、背中をどんと押された。ぐえっ、と声が出る。気付かずに接近を許してしまったのだから、犯人は当然――
「アゼナ!?」
アゼナはてへっと笑った。そして、きょろきょろと辺りを見回すと、アレンに訊いた。
「レフは? 一緒じゃなかった?」
アレンは肩を竦める。
「さっきまではな。外しますとか言って、どっかに行ったぞ。捜してるのか?」
アゼナは笑ったが、少し照れたような、何とも言えない笑みだった。
「うん。そろそろレフと一緒に回りたいなって。そっちはレフと楽しめた?」
アレンは喉の奥で「へえー」という音を出した。
今の科白でアゼナの気遣いが分かり、くすぐったいような気分になる。
「まあ、その辺にいるだろ。――俺はまあ、楽しかったぞ」
アゼナはへらへらと笑った。
「それは良かった良かった。レフどこだろー。あ、アレンはどっかぶらついてていいよ、あたしがレフ捜す」
アレンは眉を寄せたが、アゼナが捜すならば入れ違いはないかと思って中央広場に足を向けた。そこには既に人だかりができており、大道芸人の芸に歓声が上がっていた。どうやらこの後に、観客を巻き込んだ催し事もあるらしい。
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ルイはレフを、町外れの街路樹の下まで導いた。
祭は中央付近で行われるため、ここには確かに人気がない。祭のざわめきは耳に届いた。
その上でレフが、周囲の音は聞こえるよう、しかし中の音は出さないように細工し、二人は樹下の長椅子に、端と端――最大まで距離を離して座った。
しかし、ルイが落ち着かない。
「あーあのー、ご不快なら地面に座りますけど」
同じ機巧ではあれど、機巧人にとって――特にアイゼルトにとっては、機巧兵は穢れになる。しかしレフはルイを一瞥する。
「結構。それで? おまえはお姉さまにとって何なの。なぜお姉さまが機巧兵を使いとして寄越すの」
ルイはあわあわと手を振る。
「ちょっと、待ってくださいって。えと、まず僕はですね、僭越ながら、イリセ・アイゼルトのお話し相手をさせていただいております。ですので貴女たちそれぞれの名前の由来とか、沢山聞かせていただいています」
微かに頬を染め、己の役目を誇るその姿は、人間あるいは機巧人と言われた方がしっくりとくる。しかしこれは、中に心盤ではなく核を持つ、機巧兵。
レフの眼差しは氷点下だった。
「何をほざく。お姉さまがそのような――」
「待ってください、お姫様。ちょっと整理しながらじゃないと僕のお役目が。――あのですね、僕はイリセ・アイゼルトに、リノ・アイゼルトへの状況説明を命じられてここに来たんです。あの方はご姉妹の――貴女の、居場所は分かりますからね、どうして〈記録〉に帰らないんだろうと思われたようです」
レフは黙った。ルイは懐から、大切そうに銀のロケットを取り出す。
「これ、僕の身元の証明です」
レフはそれを受け取って、開く。そして目を見開いた。
「これ――」
そこには黒々とした一房の髪。間違いなくユヴィリアイゼのもの。そして姉の意思に反して姉の髪を切るなど不可能と、レフは知っている。
レフの反応で立場の信用を得たと分かり、ルイはにこりと笑ってレフを見る。
「訊いてください。貴女が何回もなさっている質問に、僕は答える権限を与えられてここにいます」
何回もしている質問。それは一つしか思い当たらなかった。
ロケットを返したレフは身を乗り出したいのを堪え、視線をルイにしっかりと当てた。
「――誰がおまえに言葉を許した?」
これが命令系統を解き明かす鍵のはずだった。
ルイは得意満面だった。確かに答えられるのだろう。他には許されないことが許されているという、火花のような誇りが窺えた。
そして、彼は明快に告げた。
「ユヴィリアイゼ=イリセ・アイゼルトです」
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レフは瞬きした。
今、何を聞いたのだろう。
それから彼女はあの、自らが唯一醜く見える表情を見せた。つまりは、彼女の今の笑みを、その整った面に載せたのだ。そして、考え付いた唯一の解答を、問いの形にして声に出した。
「――つまり、機巧兵には今、二つの命令系統が存在するということ?」
ルイはきょとんとした。
「……何言ってるんですか、お姫様。二つなんて有り得ないですよ?」
レフは身体の芯が冷えるのを感じた。心盤が一気に消耗したような感覚。無論、そんなことは有り得ない。けれどこうなるのなら、アレンに預けて来れば良かった、と思った。
レフは指先で額を押さえた。
「つまり、機巧兵への命令は、イリセのお姉さまが出しているということ?」
ルイはにっこりして頷いた。
「そうです! 我々の最高法規は現在、中央の守護者の命令です!」
レフは震える指を額から離し、握り込んだ。
「――どうして」
ルイはぴょんと立ち上がった。
「訊かれるだろうと思っていました! 説明できますよ」
咳払いをして。
「今、イリセ・アイゼルトは、世界を清算しようとしています」
レフは黙っていた。感情を抱くことを放棄して、話が全て終わってから、感想や考えを持とうと決めた。
「それは彼女の、一番大事な人との約束のためです」
レフにはその人が誰なのか分かった。ルイは続ける。
「その人はイリセ・アイゼルトに約束させたのです。新しい世界もいつかおかしくなるから、その時は全部最初からやり直すように、と。今がその時なんですね。
何だか、ここ戦争がいっぱいでしょう? 機巧人が虐げられているでしょう?
そういった全部を判断するために、イリセ・アイゼルトは二千と五百年前、〈記録〉を出たようですね。二千年前には試運転もしました。
あ、僕はそのときまだ地下で休眠してましたけど」
試運転。
レフの脳裏でオーヴェルが笑った。何度となく自分が笑い掛けた彼。何度となく笑い掛けてくれた彼。困らせもしたが守りもした。最初の勅使であり世話係。国のことをずっと気に掛けていた。その彼に連れ添っていたシェイラの、困ったような照れたような微笑みと、覚悟を決めたときの凛とした眼差し。民の期待を一身に背負い、命を懸けて彼らを守ろうと、信念を貫き通した若き国王、エドリアルの立ち姿。何度も共闘した、何度も背中を見た、彼女の前衛のフロースの輝くような表情。抱え上げられたときに分かる力強さと、誇らしげに彼女に名乗りを上げさせる彼の声。最後に見た、苦しげな、憎々しげな、それでいて泣き出しそうな顔。
試運転で、彼らは苦しんだ。あんなに血だらけになって。リノ・アイゼルト自身、彼らのためなら死んでもいいとあのとき確かに思っていた。
「そして五年前、貴女にとってはアゼイラに当たる、彼女の守護国、ルイル帝国が滅びました。だからそれを以てイリセ・アイゼルトのアイゼルトの名前は、名前だけのものになったのです。こうしてイリセ・アイゼルトは機巧兵を起こして、命令しました。僕もその命令を受けました」
――わたくしが指示する処へ行き、指示することを実行しなさい。
「イリセ・アイゼルトの命令は大抵が破壊です。でも何回か、貴女に会いに行った機巧兵もいたはずですけど。それに、〈記録〉に近付く連中にも何回か注意していましたし。でも実際に貴女が外にいるとは信じていらっしゃいませんでしたけど」
レフはゆっくりと唇を開いた。
「何のために」
ルイは立ったまま上下に身体を動かした。
「えっと、ここからが本題なんですが、世界は何も三千年前に始まったものじゃない、んだそうです」
レフは凍り付いた。




