王宮にて 2
事の顛末を聞いて、アゼナはさすがに真面目に頭を下げた。
「大変ご迷惑をお掛けしました。ごめんなさい」
アゼナを含めて五人は、大広間に向けて早足で歩いていた。走るのは憚られるので歩いているのだが、内心の焦り具合は凄まじいものである。
一国の王族を待たせているのだ。庶民にも貴族にも、普通に生きていれば一生有り得ない経験である。ラデルが先頭に立ち、先導する形ではあったが、その背中が如実に事態の異常さを物語っている。
(やばいよな?)
(やばいだろ)
アレンとユアンが目で会話した。
大広間に通じる扉には柔和な物腰の男が立っていて、アレンたちを見ると物柔らかに扉を開けてくれたが、目が責めている。
アレンは消えたくなった。
とにかく仕草だけでも落ち着いて大広間に入ったアレンたちは、目の前の光景に絶句した。長卓には他にも人が着いているのだが、目に入らなかった。というか、目の前の二人の様子を見て理解するのに頭が一杯になってしまって、他のものを頭が自動的に視界から排除してしまったようだった。
なぜ――なぜ、レフはこうも偉そうに、グラス片手に国王に応対させているのか。しかも何だか国王の醸す雰囲気が柔らかい。
アレンたちに気付いて、国王が目を上げた。どれくらい遅刻したのかアレンには最早分かっていなかったが、謝るべきだろうと全力で思った。他も同じだったらしく、ラデルを筆頭に膝を突いた。ラデルが悲壮な声で言った。
「晩餐にお招きいただくという栄誉に与かりながらも、このような無礼を働きまして、誠に申し訳もございません……」
国王が何と言おうとしたのかは不明だった。彼よりも先にグラスを置いたレフが口を開いていた。
「国王、アレンを責めては駄目」
アレンは思わず、先程と同じくらいの全力で、レフに感謝した。ただ――なぜアレンだけ?
アレンはそうっと顔を上げ、レフと目が合うと唇の形で「たち」と言った。レフは一瞬眉を顰めたものの、すぐに言った。
「アレンたちを責めないで」
国王はレフを見てから穏やかに微笑んだ。
「勿論。――掛けなさい」
アレンたちは示された席に着き、そこでやっと周囲を見ることが出来た。
まずは上座に国王が座っており、その右手には国王と争うほどの豪華な椅子にレフが腰掛けている。国王の左手には王妃シェアナが座を占めており、レフの隣に第一王子であり王太子であるエディロート、王妃の隣には第二王子レオドアル、エディロートの隣に王女リリセルナが腰掛けている。そこからがアレンたちの席となっており、他には貴族や重臣の類もいない――王族の晩餐としては異例の規模の小ささであり、国王が如何にレフとその連れを重んじているかを示すものだった。
国王は勿論全員が盛装しており、アレンはやはり消えたくなった。王妃は淡い金色の髪を結い上げており、他の王族と髪の色の違いが際立っていた。ただ、そうして盛装した王妃も王女も、レフの前で霞んで見えているのだからいい気はしないだろう。レフは髪を下ろし、あの古風な白い衣装のままで、勿論化粧もしていなかったが、存在感が違った。単に座っているだけで、他には目が行かなくなるような雰囲気を漂わせている。実際、エディロートは何度かレフの方をちらちらと見ていたし、レオドアルは自分の席の位置にかなり感謝しているようだった。
アレンは万事ラデルの真似をしようと心に決め、ラデルもそうすべきと思ったのか、アレンたちが目で追えるようにゆっくりと食事をした。
レフの常識破り振りを思い返したアレンは、かなりレフのことを案じたが――何せ王族のど真ん中にいるのである――、レフはすいすいと優雅な手つきで、王族に劣らぬ完璧な作法で食事を進めていた。
そう言えば、とアレンは想起する。三千年前に人間に文明を教えたのは最初の五人――レフを含む機巧人たち――だと言っていた。もしかしたらこういった作法もその中に入っていたのかも知れない。
アレンはユアンと目が合い、相手も消えたく思っているのが伝わってきて少し慰められた。アゼナは作法も何も弁えていなかったが、強盗時代に培った技術なのかどうか、人の目に付かないようにこっそり振る舞っていた。アレンはそちらの方は真似できなかった。
これだけでもアレンにとっては拷問に匹敵する仕打ちだったのだが、追い打ちを掛けるかのように国王がアレンに話し掛け、アレンは愛想笑いを頬に張り付けつつ、その実冷や汗を掻いていた。
「アレン、リノ・アイゼルトに同行してくれることを感謝している」
「いっ、いえとんでもないです」
任せてたらそいつは惜しみなく町を破壊していきますよ! とはとても言えない。レフはどこ吹く風の体で軽やかに食事を続け、緊張丸出しのアレンにリリセルナが優しい笑みを向けた。アレンは乾いた笑いを浮かべる。
王女様、恐らくあなたが思う緊張の原因と現実は異なっていると思うのです、とアレンは内心で力説した。確かに王族に囲まれて緊張していますとも。しかしながらこの話題の場合、決して言えない――言ってはいけないような気がするレフの性格について迫る話題だから緊張しているのですよ! と。
「リノ・アイゼルトも世間には慣れないはず。アレンがいると心強いはずだ」
これはレフが否定するだろうと思って曖昧に笑って見ると、レフはつまらなそうにグラスを傾けていたが、話は聞いているようで、しかし口は挟まなかった。不機嫌というわけでもなさそうだ。
レフの前には硝子細工の水差しが置かれており、中身は果汁のようだった。あいつは酒を飲んではいないのか、とアレンはどうでもいいことを現実逃避に考えた。もしもレフにも酒が用意されていて、レフがそれを嫌がったのならば、国王は果てしなくレフの我儘を聞いたということになる。そういえば王妃が少し不機嫌そうだが、そのせいだろうか。
「父上、アレン殿が困ってらっしゃいますよ」
リリセルナが言い、悪戯っぽくアレンを見て微笑んだ。アレンは本気で感謝した。
「国王、部屋に戻りたい」
レフが唐突に、しかも偉そうに言った。
リリセルナの顔が強張った。王子たちと王妃は何を言ったのか分からいというようにレフを見て、アレン以下レフの同行者は硬直した。唯一、国王が優しく微笑んだので、アレンはその一瞬でこの国に生まれて良かったと思えた。
(なんて心の広さだ。なんていい王様だ)
「そうか。リノ・アイゼルトを引き留めては申し訳ない。――案内して差し上げろ」
言われた侍従が進み出て、この謎の重要人物に恐れを為しながら案内のため先に立った。出て行くレフに、アレンは責めるような視線を送ったが、気付いたレフに怪訝そうにされて終わった。しかしレフは最後にくるりと振り返ると、国王を見て真顔で告げた。
「国王。おいしかった、招待されて良かった」
(何でこうも偉そうなんだあぁぁっ!)
内心で絶叫したのはアレンだけではあるまい。国王はにこりと微笑み、あろうことか席を立って腰を屈めた。
「ありがたいお言葉」
レフはその礼を当然の顔で受けると、踵を返して出て行った。
一瞬、大広間が静まり返った。しかしやがて、王女が口を開いた。
「……父上? どなたですの、あの方は。王家の食卓にあって、名乗りもせず、礼も取らず」
そうか名乗ってなかったのか、と思い、アレンは突っ伏しそうになった。
王妃も口を開いた。
「さすがに無礼と言わざるを得ません。なぜ陛下が礼を尽くされるのです?」
着席した国王はアレンを見た。見ないでほしいとアレンは考え、そう言おうかとも真剣に思ったが、堪えた。何だか今日は視線に苦しめられる日だ。王家の女性二人の視線が向けられ、アレンはユアンの同情を感じた。
アレンが何も言えずに視線を泳がせていると、リリセルナが視線に鋭さを加え、父王にそれを向けた。
「同行、と仰っていましたけれど、あの方がお連れでは、アレン殿もお困りなのではありません?」
そりゃあ困りますけれども、という部分は胸中に留め置き、アレンは恐る恐る言った。
「畏れながら王女殿下――逆です。俺……私が彼女の連れになります」
今朝までは逆だった気がするのだが、国王の目当てがレフであり、アレンの身分が「レフェアイゼの使用者」であるからには。
リリセルナは目を瞠ったが、物腰柔らかく言い募った。
「それではなお一層ですわ。あの方が同行者の方々を気遣うとは思えませんもの」
確かに、と頷きそうになり、ぐっと堪えた頭は一つでなかった。実際、レフが一行を率いることはない。行先すらも丸投げしたのだ。
「リリセルナ、口を挟むな。父上の――陛下の為さることだ」
エディロートが厳しい口調で言い、アレンは地味に感動した。王族の口論を見られたのである。ちらりと見るとユアンもアゼナも同じ顔をしている。――つまりは、顔に「得した」と書いてある。
エディロートは続ける。
「高貴な方のようだから、確かに苦言も呈しにくく、お困りにもなるだろうが、仕方がないと言わざるを得ないだろう?」
アレン以下、同行者の顔が微妙に強張った。
それは、違うのではないだろうか。実際、先程アレンはレフを怒鳴りつけ、あまつさえ揺さ振ったのである。見るとリリセルナまで怪訝そうな顔をしている。アレンはなぜだろうと思ったのだが、実のところリリセルナの情報網はかなり広く、廊下でアレンが暴言を吐いたことも、しっかり耳に入っていたのだった。
「両名、そこまで」
国王が物静かに言い、僅かに苦笑する風を見せた。
「確かにそう思うのも無理はない。しかし彼女が特別の地位を持っていることだけは弁えよ」
王妃と王子たちが頷き、了承を示した一方、王女が食い下がった。
「無礼をお許しくださいませ。一体どういった地位なのでしょう?」
アレンは興味津々で国王を見た。どう答えるか気になったからである。国王は間違いなく苦笑し、敢えてアレンたちの方を見ず、躊躇いなく答えた。
「あの方を我が国最後の砦と心得よ」
食事に夢中のアゼナを除く、アレン以下同行者の顔が凍り付いた。
(最後の砦――)
つまりは、レフが国の運命を負うということだ。分かっていたはずではあったが、改めて言葉にされると、そこに含みを感じずにはいられない。――いわば彼らはレフを預かるわけである。その責任は分かっているのだろうなという、無言の圧力を受けた気分だ。
王女はにこりと笑った。
「左様でございますか」
その瞬間アレンは、もしや姫様は俺たちに重圧を加えて立場を弁えさせるためにわざと食い下がったのではないか? という、恐ろしい疑惑に駆られた。リリセルナの清々しい笑顔を見る限り、何だかそれが正解のような気がしてしまった。
(王族、怖えぇーっ)
内心の悲鳴が音を伴うものであれば、それは複数の声であり、また、かなりけたたましかったはずである。
晩餐を終えたアレンはレフの部屋の前に、他の四人と一緒に立っていた。アゼナは不服そうなのだが、殊勝に振る舞おうとしている様子だ。食事が大変美味しかったのが効いているのだろうと思われた。アレンが扉を強く叩くと中から面倒そうに返答がある。しかししばらく待っても扉が開かなかったため、もう一度叩くと、更に間を置いてから傍迷惑そうな顔をしたレフが扉を開けて顔を覗かせた。
レフは相手が誰かを認識するまでは無表情だったが、視界に映った人物たちをそれと認識するや、上目遣いに彼らを睨み、素っ気なく尋ねた。
「――何ですか」
「説教だ」
アレンは即答し、レフがアレンに視線を定めて怪訝そうな顔をしたので付け加えた。
「おまえとアゼナに、今日のことで、だ」
嫌だよね、というようにアゼナがレフに向けて顔を顰め、レフはそれを見てからアレンに視線を戻し、真面目に訊いた。
「説教とは何ですか?」
アレンは崩れ落ちそうになった。まさかの質問にアゼナを含め全員が唖然とし、その中でアレンは何とか一足早く立ち直ると、唸るように言った。
「説教っていうのはな……、相手の行為の間違いを指摘して、反省を促すことだ。それを少々しつこく、うるさくやることだ」
レフはその説明を咀嚼するような顔をしてから、きちんと部屋の外に出てきて背筋を伸ばした。
「はい。分かりました、聞きましょう。――それで、わたしの行為の何が間違っていたんですか?」
アゼナまでもが目を丸くする質問だった。
「説明しようか、そこから」
押し殺した声で言って、アレンはレフを促して与えられた客間に追い込んだ。
客間の机の片側にアゼナとレフが座り、もう片側に他の四人が座り、説教が始まったが、アゼナはともかくレフには、「なぜ」叱られるのかから説明しなくてはならないという重労働だった。
「まずは勝手にうろついただろ」
アゼナが罰の悪そうな顔をしたが、レフは不思議そうだった。
「アゼナが、一緒に行動する誰かがいれば歩き回ってもいいと言われていました」
それに匹敵するくらい不思議そうにユアンが言った。
「だからって何で迷子になる可能性が高い組み合わせで歩き回んだよ。常識で考えろ」
レフは首を傾げた。
「迷子……ですか」
「完全にそうだっただろっ!」
アレンは叫び、いや落ち着けと自分に言い聞かせ、丁寧に言った。
「――迷子ってのは、自分がどこにいるか分からない人間のことだ」
レフは納得したようだったが、同時に少し不満げだった。
「はあ」
アレンは額を支えて一瞬目を閉じてから、顔を上げ、断固として言った。
「よし黙って聴け。順を追って説明してやる」
あくまでレフは偉そうだった。
「どうぞ」
「まずアゼナがおまえ込みで無断でいなくなったことで、陛下がおまえを呼びに人を遣ったにも関わらずおまえが見付からなくなった。ついでにアゼナも呼ばれてた。まぁここまでは不幸な行き違いだが、おまえが自覚しなきゃならなかったのは、間違いなく陛下がおまえを大事にしていらっしゃることだ。そのおまえが王宮を彷徨ってる間に行方不明だとか、最悪怪我でもしていたら、元死刑囚のアゼナの首は絶対飛ぶ」
王宮の広さ、複雑さ、多岐に亘る職種の人間が入り乱れる構造からして、行方不明も怪我も十分に有り得る話ではあった。
レフは小さく「首が飛ぶ……」と繰り返した後で、目を瞠ってアレンを見た。
「それは、アゼナが国王に殺されるということですか?」
アレンは頷く。
「まあ、単純に言えば。事の大きさが分かったか?」
「ええ、それは大変なことですね」
レフは納得した。
「国王はもう少し寛容であるべきです」
そっちか! と叫ぶ気力ももうなかった。
アレンは一旦立ち上がり、もう一度座り、ユアンやラデルと目を合わせ、ただ唖然としているヴェルガードを見遣った後で、深く溜息を吐いた。
「……分かった。もう反省を促すのは諦める。だからこれだけ守れ」
小首を傾げたレフだった。
「町を犠牲にしないことの他に、ですか?」
アレンは頷き、懇々と言った。
「まずは、いかにでかかろうと狭かろうと、他人の家を勝手に散策するな。それから、ぶらつきたくなったらこの中の誰かにそう言え。特にこういう、威儀のある処では」
レフは一つ頷くと、要点を整理する口調で述べた。
「つまりあなたは、わたしとアゼナが無断で部屋を出たことでアゼナの命が危険に晒されたことに腹を立てていて、今後同じことがないようにしろと、そういうことですね」
「そういうことだ」
アレンが肯定すると、レフは満足そうにした。
「分かりました。では、失礼しても?」
「行け行け」
アレンは用が済んだのでさっさと出て行かせ、ユアンたちを見て真顔で宣言した。
「俺、いつか気が狂うかも知れない」
ユアンは同情の色を滲ませつつ、しかし、きっぱりと言った。
「使用者はおまえだからな」
何だか責任転嫁をされた気がして、非常に情けない気分になったアレンだった。
□□□□□□□□□□□□□□□□
その夜、レフは一人で玉座の間を訪れていた。その時点でアレンの言いつけを一部破っていることになるが、彼女はまるで気にしていない。
衛兵が何人か立っていたが、頼むと一人にしてくれたので、レフは玉座の前で静寂の中佇む。
壁の掛け燭の明かりのみを光源として、玉座の間が広く荘厳に広がっている。
レフは目を閉じた。もう二千年も前になるあの日、ここに立っていたときのことを鮮明に思い出した。
「――大丈夫よ、フロース」
呟いた声が玉座の間に響いた。
「わたしは、自分が何をしたのか覚えている。だからもう、欲張ったりしないから。思わず町を直したりしてしまってごめんなさい。あなたにあんなことをしておいて」
目を開けて、空っぽの玉座に向かって囁き掛ける。
「ごめんね。エドリアル、わたしの可愛い国王陛下。あなたはわたしに、きっと守ってほしいと思うけれど」
振り返って、広い空間に向かって呟く。
「ねえ、フロース。でもわたしは最初の五人のうち一人だから、機巧人くらいは守らせてね。ねえ、フロース。今度の勅使は最悪だわ。わたしのことを人とも思っていない。でもこれも罰かしら。ねえ、フロース。とても残念だわ。オーヴェルがせっかく願ってくれたのに。ねえ、フロース。本当にごめんなさい。あなたを裏切って。ねえ、フロース……」
レフは俯いて、搾り出すように囁いた。
「……今でもわたしは、あなたが大好きよ。でもきっとあなたは嫌がるわね。ごめんなさい」




