2000年前
雲ひとつない晴天だった。
その青空の下を、黝い筐体を持つ異形のモノたちが数千、一つの町を食い潰そうとしているかのように埋め尽くしていた。ぎぎぎぎ、と軋むような音が地を這う。筐体は金属的な光沢を放ち、その見た目は様々。蛇に似たモノ、円盤状のモノ、立方体のモノ。
黝い筐体のモノたちは、各々筐体の一部に穴を持っており、そこから炎や氷、雷撃などを撃ち出しては町を傷付けている。町を囲う城壁は既に崩れ始めており、町中から悲鳴が上がっている。実質的な被害こそ出ていないものの、それは時間の問題であると見て取れる。
と、町から離れた場所――黝いそのモノたちの外側のある場所で、白い光の花弁がふわりと散った。空中にきらりと光るそれが溶け消えると同時、その場所に一人の少女が立っていた。
雪のように白い、長い癖のない髪。町を、それを襲うモノたちを見る目は鮮やかな紫。すらりと背が高く、絶世という冠を付けるに相応しい美貌の少女である。年の頃は十八、九といったところか。
その少女は顔色一つ変えずに町を見ると、右手を胸の高さまで上げた。――それが合図だった。
足元から響く衝撃。町とそれを襲うモノを囲むように立ち上がる、純白の光の壁。
――嵐すらその内側に留め置く壁。
少女はその外にあって、次々にそれと同じ壁を何重にも出現させていく。そして、一言呟いた。
「レフェアイゼ、今よ」
その声を受け、雪色の髪の少女が構築した壁の内側に、もう一人の少女が現れた。銀色の光の花を散らせながらそこに立った少女は、もう一人の少女よりも一つ二つ年下に見える。やはり絶世の美貌を備えており、風に靡く長い髪は銀色。そして目は、今目の前に異形のモノたちを捉えるその目は華やかな青い色。
「さあ、これで終わりよ」
銀髪の少女は宣言し、右手の人差し指を唇に宛がった。青い目が凛とした光を湛えて異形のモノたちを見据える。
少女が唇を開く。桜桃色の可愛らしい唇が、彼女と彼女の姉たちにしか意味の取れない詠唱を紡ぐ。
その意は掃討の波。
銀髪の少女の周囲の空気が銀色の燐光に包まれる。その光は爆発するように拡がり、同心円状に幾つも光の波を送り出し、――
轟音が聞こえたはずだった。黝い筐体の異形のモノたちが光波に消し飛ばされ、町が一瞬にして倒壊し消滅する、その音が。石が崩れ、硝子が砕け、そして人が死ぬ音が。
しかし何も聞こえない。大き過ぎる破壊の波が、音すら奪って駆け抜ける。少女を中心として、時折虹色に光を瞬かせる光が、眩しさすら己のうちに閉じ込めて威力を乗算し、凄まじい威力で辺り一帯を更地にしていく。
その光の波が白い壁にぶつかり、そしてそれを割り砕いた。ばきばきと凄まじい音を立てながら真っ白な光の欠片が落ちる。二つ目の壁も三つ目の壁も割り砕き、銀の光の波はまるで破壊する意思そのものであるかのよう。
雪色の髪の少女は更に幾つも壁を立ち上げ、銀色の光を押さえ込もうとする。
「――相変わらず、何て威力なの!」
銀色の髪の少女もまた、爆心地となった場所で祈るように手を組んでいる。
「やり過ぎたかしら……。大丈夫かしら、お姉さま」
異形のモノたちも町も、既に跡形すらなく消滅している。
何十もの壁を割り砕いた銀の光の波は、しかし徐々にその威力を殺されつつあった。光を削がれ、音を徐々に外界に漏らし、そして周囲を悉く破壊したその光波がようやっと霧散する。
大歓声が上がった。それは、離れた場所で事態を見守っていた軍が上げる声だった。
人に引き付けられる異形のモノたちを一網打尽にするために、苦渋の決断を下して町一つを犠牲にしたその軍の中にあって、しかし皆の顔は輝いている。
ようやっと終わったのだと、脅威は去ったのだと。異形のモノたちはまだ各地に散らばってはいるが、大部分はこの町に引き寄せられていた。後始末は簡単であると、二人の少女たち、そしてあともう一人の「アイゼルト」が約していたのである。
「お姉さま! ごめんなさい、手加減が出来なくて」
銀色の髪の娘がそう言って、答える雪色の髪の少女は笑う。
「いいって。じゃ、さっさと残りの『機巧兵』たちを地下に追い立てよっか」
はい、と嬉しそうに頷く銀色の髪の少女は知らない。
歓喜に沸く軍の中で、くすんだ金髪の男が拳で地面を殴り付け、涙すら流れない圧倒的な悲哀に身を焦がしていることなど。
この大陸には――他に大陸が確認されたことがないので特に名前はない――、無数の国があり人間がいて、機巧人がいる。
そして今まさに決着したのは、大陸各地で発生していた、機巧兵と呼ばれるものによる襲撃被害であった。
守護国と定めた国の要請に応えて、機巧兵を征討した三人の少女、彼女らに不在の二人を加えた五人を「アイゼルト」と呼ぶ。
圧倒的な魔力と、それに加えてアイゼルト独自の能力を備える、大陸最強の戦力といって過言ではない少女たちである。
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その、僅か二日後である。
銀色の髪の少女は、己が守護国と定めた国の玉座の間におり、今まさに国王に別れを告げ、姉たちと暮らす場に帰ろうとしたところだった。
その場に満ちているのは少女との別れを惜しむ声であるはずだった。床を打つのは勝利を祝って鳴らされる、靴の踵であるはずだった。
しかし実際にそこに満ちていたのは沈黙であり、床を打つのは血の滴だった。
少女はいっそぽかんとした顔で自分の身体を見下ろす。玉座を向いていた彼女を、背後から剣で貫いた者があったのだ。剣先が少女の腹部から見えている。少女も己の身体を貫くその凶器を見た。
玉座の、年若い銀髪の国王の顔が凍り付いている。
ぼたり、ぼたりと血が垂れる。
ずるり、と剣が引き抜かれ、よろめいた少女は、しかし痛みなど微塵も感じていないような動きで振り返り、自分を刺した者の顔を見た。
くすんだ金髪の、若い男がそこに立っていた。血塗れの剣を握り、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「な――」
少女が声を出した。その唇から血が溢れたが、彼女は気に掛けることすらせず、愕然とその青い目を見開く。
彼女にとって目の前の男は、過ぎた魔力を持つ自分の前衛を担ってくれた、最も信頼の置ける人物だったのだ。
「フロース……どうして……?」
フロースと呼ばれたその男は、押し殺した怨嗟と哀切を籠めた声でそれに応えた。
「この、人殺しが」
そしてそのまま、少女の心臓を貫いた。
悲鳴が上がった。愕然と事態を見ていた国王が叫ぶ。
「リノ・アイゼルト様!」
致命傷を受け、少女の身体がぐらつき、膝が折れる。その指先がぴくりと動いた。その動きで、彼女の中に在る、莫大な魔力が動く。
鮮血が噴き上がった。それは男の首から撒き散らされた血だった。
二人分の鮮血が大理石の床を濡らしていく。その中に、最初に少女が倒れ込み、次に男の身体が沈む。そして最後に、最も重々しい音を立てて、男の首が落ちた。
血の中に倒れ込み、その瞳を曇らせていく少女の視界に、沢山の脚が映る。少女を助けようと駆け寄ってくる人々の靴底が、膝が、掌が、真っ赤に染まっていく。
少女の瞳から涙が零れた。
まるで目の前で死んでいる男が命を落としたことが、悲しくてならないというように。その男に殺されようとしていることが、辛くてならないというように。
「他のアイゼルト様に連絡を!」
「ゼア・アイゼルト様は既にお帰りに――」
「レナ・アイゼルト様を!」
「アローザ皇国とは国交が――!」
「リノ・アイゼルト様のお命が第一だ!」
少女の目が閉じていく。その瞼に焼け付く、死に際の男の顔。今にも泣きそうに歪んだ顔。辛くて仕方がないという顔。悲しくて堪らないという顔――。
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「オーヴェル」
銀色の髪の少女が呼ばわった。それと同時に口の端から血が溢れたが、それに動揺の声を上げ、治癒魔術により魔力を注いだのは、その傍に跪く二人の少女だった。
一人は、雪色の髪の少女。そしてもう一人は、宝石のような赤い髪に深い灰色の目を持つ、他の二人と比しても遜色ない美少女である。
その二人と並んで銀色の少女の脇に跪く、黒褐色の髪に濃灰色の目の男。彼がオーヴェルだった。
「ねえ、オーヴェル」
銀色の髪の少女は繰り返す。
「どうして、フロースは――わたしを、裏切ったの? ねえ」
オーヴェルの目を、涙の膜が覆った。
「貴女をここからお連れするべきではなかった」
囁くような声に、三人の少女がそれぞれの表情を浮かべる。
雪色の髪の少女は怒りを。赤い髪の少女は切なさを。そして銀色の髪の少女は戸惑いを。
「どうして……?」
「それが私に課せられた使命であったとしても、貴女をここからお連れするべきではありませんでした、レフェアイゼさん」
ぼろぼろとオーヴェルの双眸から涙が零れた。
「どうか、どうかフロースのことを、裏切り者とご記憶なさいますな。春送りの祭典で、あれは貴女に赤い花を贈ったでしょう」
いつ死んでもおかしくない、治癒魔術で辛うじてその命を繋ぐ少女の目に、薄らと涙が膜を張った。
「ええ」
「――我々が犠牲にすると決め、貴女が我々のための壊した町を、覚えておいでですか」
「ええ」
「そこにフロースの、妻子がいました」
「…………」
「陛下は――陛下は、お立場ゆえ、臣下の家族を特別に扱うことは出来ぬと。そう仰いました」
「…………」
「陛下は、貴女がお心を痛めぬよう、そのことを黙っておいででした」
「わたし、は」
「ですがフロースは、貴女が知っていて、あの町を犠牲にしたと思ったのでしょう」
それでも、と続けた声が震えていた。
「フロースは、貴女が我々を守ってくださったと分かっていましたよ。だからこそ、赤い花を贈ったのです」
「あああ、あああああ」
言葉にならない慟哭が、少女の喉から迸った。他の二人の少女がその肩を、頭を撫でる。
「ですからどうか、フロースのことを、裏切り者とご記憶なさいますな」
銀髪の少女はぼろぼろと涙を零し、囁くような、それでいて断固とした声で言った。
「もう守らない。もう何も守ったりしない」
オーヴェルの顔すら見ず、少女は怨嗟を籠めた声で言葉を綴る。
「そんなことがこのわたしに許されるはずがない! もう一度会ってちゃんと話したいけれどそれも出来ない! あの人が命より大切にしたものを差し置いて、他の何を守れるという! わたしがあの人を殺したのよ――」
「落ち着いて、レフェアイゼ」
赤い髪の少女が言い、やや冷たい眼差しでオーヴェルを見た。
「この子は死に掛けているの。悪いけれど、もう帰ってくれる? 一番近い町にお仲間が迎えに来ているんでしょう?」
はい、と呟き、立ち上がったオーヴェルが、静かな目で銀髪の少女――レフェアイゼを見た。
「戦友を重んじ、貴女のお心を傷付けましたこと、どうかお許しくださいませ」
レフェアイゼがオーヴェルを見上げて、呟いた。
「許すも何も、あなたは悪くない」
オーヴェルは深く頭を下げた。
「――貴女が、幸せになることを望みます。次の勅使が私以上の者であることを」
レフェアイゼの瞳が揺れる。
「……オーヴェル以上の、……人なんていない。いつだって、わたしのことを――考えてくれるでしょう?」
オーヴェルは顔を上げ、緩く頭を振った。
「私は貴女に頼り、縋っただけです。――次に勅使が遣わされるとすれば、その者が、『リノ・アイゼルト』ではなく『レフェアイゼ』という貴女自身を見て、大切にすることを、心から望みます」
何を言っているのか分からないと、如実に語る視線を受けながら、もう一度頭を下げてオーヴェルが踵を返し、本棚の間を抜けて、「この空間」の外へと向かう。
オーヴェルの願いは宙に浮いて、二千年間実ることなく漂うことになる。
初投稿になります。