青年、故郷を守る
燦々と陽光が差し込んでいる。頭上遥か高く設けられた大きな天窓から差し込む光は、その縁の金の装飾を煌めかせ、真下に置かれた、古い、木目のはっきりとした巨大な机でつやつやと照り返され、無造作に置かれた総玻璃の水差しで幾百の雫のように瞬いた。
彼女はその机の周囲に等間隔で配された、背もたれの高く反り返り、肘掛と座面に褥の敷かれた五つの椅子のうち一つに腰掛けて宙を見つめていた。彼女の名前はレフェアイゼ。この二千年に何があったのか、今の彼女の表情に、あのときのような動揺も哀切も一切見られず、恐ろしく整ったその容貌が、微動だにしないことと無表情と相まって、さながら人形のようにも見えた。
そして周囲に、彼女の姉たち――雪色の髪の少女と、赤い髪の少女の姿も見られなかった。
机の置かれた空間が吹き抜けになっているのに比して、円形のその空間を出ると天井はぐっと低くなる。――いや、違う。吹き抜けの天井が余りにも高くてそう見えはするものの、他の天井も随分と高い。ただ明度は本当に控えめになっており、重厚な雰囲気を醸していた。奇妙なことは、光源が見当たらないこと。
吹き抜けの空間を出ると、そこから放射状に広がるのは、どっしりとした磨き抜かれた木の本棚。大きさも厚さもばらばらな、色とりどりではあるが古びて褪せた背表紙の本が並ぶ。それが数十――いや数百――。
レフェアイゼはその列を漠然と目で追うと、不意に焦点を己の近くへと戻した。机の隅、まるで存在を憚るように置かれているのは、もう古くなった白紙の束と鵞ペン、象嵌細工のインク壺が各五組と、天鵞絨で出来た黒い小振りの鞄だった。鞄は袋と言う方が相応しいかも知れない。全て整然と並べられているが、しばらく使われた形跡がない。それらを見た彼女は、もはや全く表情を動かさず、ただついと顔を背ける。
昔は、その更に昔のことを考えもしたのだが。
ややあって、彼女の口から単調な、退屈そうな――ただしこの上なく上質な声が流れ出した。
「防護壁の状態を確認」
単調な男の声で反射の速度の返答があった。
[良好]
彼女はやはり退屈そうに呟いた。
「劣化の程度を確認」
[存在を否認]
レフェアイゼはゆっくりと立ち上がった。いつものように本棚の間を歩き続けるつもりだった。と、そこに先程の声が掛かる。
[アゼ・レナ・リノ各領域に機巧兵を感知]
レフェアイゼは眉を寄せた。――このとき彼女は、これを一言で終わらせる権限が自分にあることを信じ切っていた。
「――消去しなさい」
[命令を受理。――拒否]
レフェアイゼは目を見開いた。華やかな青い目が、陽光の反射を受けて紫に緑に煌めく。
「……なんですって」
[命令の伝達に成功。命令の上書きに失敗]
彼女の珊瑚色の唇が歪んだ。貌の左右対称さが崩れ醜く見えたが、それは悔しいのでも苛立っているのでもない――笑みを忘れた彼女の、これが今の笑みだった。
「前と同じね。――命令の発信者を捜して」
男の声は淡々として、一切の感情を含まない。それを寂しいと思うことにさえ、彼女はとうの昔に倦んでいた。
[命令を受理。捜索中、――待機願う。――命令の発信者は特定不能。命令の範囲は各アイゼルトの五感の範囲に不干渉]
レフェアイゼは醜い笑みを消し、何かを考える様子でしばし黙り込んだが、少しして勢い良く顔を上げた。極上の銀糸にも似た長い髪がふわりと揺れ、陽光に煌めいた。
「――アゼイラの王室を見てきて。わたしのことを覚えているか知りたい」
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「あああくそっ!」
叫んだのは、濃い褐色の髪に冴えた緑色の目の青年だった。年齢は十九かそこらか。片手に小太刀を握り、鬼気迫る眼差しで眼前のそれを睨み据えている。
「おいユアン! 押さえとけって言っただろうが!」
「やってるよ!」
叫び返したのは、緑の目の青年のやや後方に立つ、明るい栗色の髪に煙る紫の目の、二十一、二歳と見える青年だった。ユアンと呼ばれたその青年は、額に青筋を立てて怒鳴る。
「誰がおまえの剣を強化してやってると思ってる! こっちの負担も考えろ!」
彼らが見据える「それ」は、黝い筐体を持つ、金属で出来たかのような巨大な蛇だった。大の男五人分の体長は優にある。
言うまでもない、機巧兵である。口に当たる場所に開いた穴から、圧縮された空気の塊を撃ち出しては地面を抉っている。
「アレン! ユアン! 大丈夫!?」
彼らの更に後方から少女の声がしたが、言い争っていた二人はぱっとそちらを振り返り、声を揃えて叫んだ。
「いいから来るな!」
彼らは、軍人ではない。
彼らは、戦士ではない。
彼らは、傭兵ではない。
彼らは、一般人である。
生まれ故郷にして現在も住んでいる町、レイファを襲った一体の機巧兵、それに自分たちで対処しようとしている、やや常識はずれの民間人である。
五年ほど前から大陸各地で発生していると、話には聞いている機巧兵の被害、それが遂にこの田舎町にまでやってきたのである。
本当ならば町を捨てて逃げ出し、命だけでも守ろうとするはずである。何せ騎士団が動いたところで、機巧兵の討伐には二日以上が掛かると言われているのだ。だが、彼らが敢えて立ち上がり、町の外へと機巧兵に打って出たのは、主にこのユアンと呼ばれた青年のせいである。
彼が何をした訳でもないのだが、彼は魔力を持って生まれ、それを扱う才能に恵まれた魔術師であった。そしてその魔術の実力たるや、彼が七歳のとき、噂に彼のことを聞き付け、中央から高名な魔術師が彼を教えるために足を運んだほどのものであるのだ。
彼の実家は魔具――魔術仕掛けの道具を売る店であるので、宝の持ち腐れ感たるや半端でなかったのだが。
しかしその宝が日の目を見る時が来たのだ。今だ。行け、ユアン! と発破を掛けた者は多けれど、ユアンは全力で拒否した。
曰く、いや無理だ。俺は魔術師だ。接近戦なんてこなせない。
そして彼は親友を巻き込んだ。それが緑の目の青年、アレンである。
アレンは、ユアンの師である魔術師が来訪した際、その護衛騎士から剣術と体術を仕込まれ、その方面において天賦の才ありと言わしめた青年である。ちなみに魔術師は五年間この町に滞在したので、アレンも五年間に亘って訓練を受けた。
その二人に、魔術の才能がある数人が力を貸す形で今回、機巧兵に挑んでいるという訳である。だがアレンとユアンに比べて他の者には実力不足の感が否めない。先ほど背後から声を掛けた少女はリアという。もう少し経験を積んでいれば大変な助けになったと思われる少女であるが、彼女が日頃気に掛けているのは、身近な人の身の安全と夕飯の出来具合であって、戦闘などこれが生涯初体験である。
ゆえに、遠距離からのささやかな援護を期待することしか出来ない。
「ユアン、やべえぞ。どうする」
「攻撃色も防御色も一人でやってる俺に、この上頭脳労働を強いるんじゃない」
機巧兵が軋むような音を立てて咆哮した。
軽口のような言い合いをしている二人だが、表情は険しい。特に接近戦をこなすアレンの負っている傷は数え切れないのだ。どれも軽傷で済んでいるのは、彼の卓越した動体視力と反射神経と身のこなしの賜物であった。
「――考えたんだが、アレン」
頭脳労働を結局してしまうユアンは、控えめに言い出した。
「なんだ?」
「その機巧兵の頭。機巧兵を生き物だと仮定すると――取り敢えず、生き物に近いものだと仮定するとだ。中に何か入ってたりしないか?」
アレンは嫌そうな顔になった。
アレンもユアンも人間であり、もっというならリアも人間であり、更に言うならこのレイファ、機巧人差別の風潮が強い。性質として似通った、機巧兵を生き物と認めることも嫌なのである。ユアンもまた、機巧人に関わりがあると言われる己の血筋――ひいてはその魔力を、誇ってはいないようだ。ただし魔具と魔術は大好きだという矛盾を抱える。
この町には総じて機巧人嫌いが多いが、第一世代も第二世代も、いることはいる。ただし滅多に会うことは無いので、アレンやユアンに関して言えば、特に機巧人との軋轢があったというわけではなく、幼少期からの周囲の環境に感化されているというのが機巧人嫌いの理由の大部分を占めていた。
だがそんなことを言っている場合ではない。アレンは小太刀を握り直した。
「つまり、あれをかち割れと」
ユアンは真面目に頷いた。
「そうだ、頑張れ。おまえの馬鹿力の見せ所だ」
「ふ、ざ、け、ん、な!」
アレンは一音一音区切って怒鳴り、小太刀で機巧兵を示した。
「あれを、あの硬そうなのを、おまえに強化してもらっているとはいえこの剣で!?――金槌でも持ってきやがれ!」
が、ちょうどそのとき機巧兵が大きく首をしならせ、アレンに向かって突っ込んで来た。
「アレン!」
叫んだ声は数人分、しかしアレンに避ける間はない。
「この――やろう!」
怒鳴り、アレンは自分から機巧兵の頭部に片手でしがみ付いた。機巧兵は再び頭を持ち上げ、アレンの足も宙に浮く。
ひやりとしたのは一瞬だ。アレンは反動を付けて機巧兵の頭に足を掛け、這い登る要領でその上に跨った。
「かち割ればいいんだろ!」
膝を締め、乗馬の要領でしっかりと身体を支える。両手で剣を逆手に握り、アレンは気合の声を――多少、自棄になったとも言う――上げた。
「おおおおおおおおっ!」
がんっ、がんっ、と、繰り返し響く強烈な音。機巧兵からすれば蚊が刺した程度のことなのだろうが、それでも頭を激しく振り、アレンを振り落とそうとする。しかしアレンは落ちない。落ちれば死ぬ、その認識がアレンに力を貸す。
ユアンがアレンの剣に施した魔術に注ぐ魔力を増やした。機巧兵にアレンが剣を叩き付ける音が明らかに重くなり、機巧兵は狂ったように暴れ始めた。アレンを下敷きにするようにして地面へと倒れ込み、激しく暴れる尾が町を囲む城壁をがらがらと崩し始める。
濛々と上がる砂埃、断続的に上がる悲鳴、その中でまたも機巧兵が頭を擡げる。そこに、半身を血塗れにしたアレンがしがみ付いていた。
「――俺の故郷に手ぇ出すんじゃねえっ!」
アレンが怒鳴った。唾に血が混じる中、アレンは最早執念のみを糧として剣を握り、振り下ろす。
――今まで人の身で、こうまで機巧兵に接近し、組み付いた者はない。
蒼穹高くまで、アレンが叩き付け、機巧兵の筐体を抉る剣の音が響いた。機巧兵が軋むような音を立てて呻き、狂ったように暴れる。
「機巧兵の分際で! 俺が育ったここを壊そうとしてんじゃねえっ!」
アレンが血を吐きながら絶叫した。左半身にまるで感覚がなく、剣を握った左手は剣を握った形のまま動かない。
ぎいいいいいいっ! とまるで悲鳴のような音を奏でる機巧兵の、アレンが抉り続けた筐体の一部が遂に破れた。アレンはそこに剣を突き入れ、全身の力を使って押し開く。どくどくと脈打ち、しかし血液も何も送り出さない、鋼鉄の塊のような核をそこに見た。
これが機巧兵の心臓だと、出血と痛みで曇っていく頭の奥でアレンは認識した。
剣の切っ先をそこに宛がう。ユアンが剣の強化をいっそう強くしたらしい、その刀身が魔術の光を帯びてきららかに光った。
「――くたばれ」
掠れた声で吐き捨てて、アレンはその核に剣を突き刺した。
沈黙、静寂。機巧兵が硬直する。
アレンは剣を引き抜き、そのまま機巧兵から転がり落ちて地面に転がった。ユアンの声で名を呼ばれ、何とか目を上げれば、真っ青になった親友の姿がそこにある。
「アレン! アレン!」
アレンは思わずにやりと笑い――それを見たユアンの悲壮な表情から推して、かなり悲惨な表情に見えたのだろう――、辛うじて動く右手を挙げた。
「おう……大丈夫、だ」
そして次の瞬間、アレンの視界は暗転した。
この大陸には――他に大陸が確認されたことがないので特に名前はない――、無数の国があり人間がいて、機巧人がいる。
彼らは人の祖先とされる説もあり、三千年前のこの世界の始まりの時点で存在していたのは確かなようだ。
また、魔術を使える者たちは恐らく彼らの血を受けているだろうと言われている。魔術を使う才能が、機巧人の方が純粋だからだ。
機巧人と人間では魔術を使う仕組みが違い、ゆえに使用する詠唱も異なるが、どちらかがどちらかから派生して作られた仕組み、あるいはほぼ同時期に、似た手法で編み出されたのだろうと思えるだけの共通点はある。
人間が体内の魔力を精製し、意思によって既成の術式――魔力に形を与えるもの――を当て嵌め魔法という形で行使するのに対し、機巧人は体内で魔力を精製し、術式もまた独自に体内で生成し、それに当て嵌めて魔法という形で魔力を行使する。
機巧人は、術式に関しては体内に貯めておくことができる。術式の貯蓄数には、限界がある個体と無い個体があるようで、限界があるとしても、機巧人はやや多めの魔力を使えば人間と同じことが出来るのだから、実害はない。ただし体外で術式を生成しようとすると、人間であろうと機巧人であろうと、命に関わる程に消耗してしまう。
人間と機巧人の魔法の特性は、その行使過程に影響を受けて一長一短の実情を示す。
人間が、規定の術式を使うがゆえに失敗の少ない魔法を行使するのに比べ、機巧人は本人の技量と感覚がものを言う、言ってみれば職人肌の魔法を使う。
対して、機巧人の使う魔法が独創性と、それゆえの威力を誇るのに比べ、人間が使う魔法はどうしても大人しくなりがちだ。
だが無論、機巧人が体内で生成する術式にも公式のようなものはあり、人間側からすればそれ程の差は無いということになる。また、人間が使う術式も、歴史上で誰かが積み重ね作り出したものであり、そういった意味では独創性も追求できるといえよう。
機巧人は、第一世代、第二世代に分けられる。第一世代では人間とほぼ見分けがつかない。純粋に機巧人の血統のみを引くものを第一世代、機巧人の血統ではあっても祖先に人間の血が混じっているものが第二世代と呼ばれている。
五年ほど前から、大陸各地で発生しているのは機巧兵――ガルシャゼオと呼ばれるものによる襲撃被害であり、性質として似通った、もとより立場の微妙だった機巧人への差別が激しくなるのは必至のことではあった。
そして、それを不服とする機巧人との緊張が高まるのも。




