21 夏のある日
夏のある日。
セミが奏でる求愛の歌が、透き通った青空と入道雲に轟き、カッと煌めく直射日光がアスファルトをじりじり熱していた。
住之川工業高校から続く通学路も例外ではなく、半袖の制服に身を包んだ生徒達は、汗を垂らしながら帰路を急いでいた。
「うぅーん」
そんな生徒達に混じり、電子機械科の二年生男子、高瀬敦は唸っていた。
今日はなんだかおかしい。
何がおかしいのかいまいちよくわからないのだが、漠然と何かがおかしいのだ。
例えば、今朝起きた時に、ラックに納められたDVDの二巻と四巻が逆、つまり、
一、四、三、二の順に並んでいた。
敦は自分のコレクション管理には割とこだわるため、
巻数を違えて収納なんて考えられない。
ははぁ、さては母さんだな。
勝手に触るなと言っているのに。
そう結論づけようとしたとき、デジャブというのか、前にもこんなことがあったような気がしてしょうがなかった。
あと、ランチにドーナツを食べた。
敦はドーナツが病的に好きだ。なんなら、三食すべてドーナツでもかまわない、
それくらいドーナツを愛していた。
……だが、何故だろう。一口食べる度に、胸の内で何かがつっかえるのだ。
今日一日、そんな取るに足らないような小さな違和感を何度も感じていた。その度に、敦は何か大事なことを忘れているような……ぎゅっと胸を締め付けられる想いに囚われるのだ。
いったい何を思い出そうとしているのか。
小動物のような、愛らしい小柄の、しかし大きな存在。そんな曖昧なイメージがよぎり、詮索しようと脳を働かせると、頭がボンヤリする。
「夏バテなんじゃねーの?」
話を聞いていた友人の赤池がそう言った
「このところ、平年越える気温だからな。
……まいっちまったんだろ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。
つか、昼にドーナツばっかり
食べてるからだろ」
それをいわれると一気に説得力が増す。
「こう暑くちゃ、
ドーナツ以外食べる気しないんだよね」
「おまえそれ、
夏バテより深刻な病気なんじゃ……」
そんなことを駄弁りながら通学路を進む。
やがて二人の話題は食べ物の好き嫌いに発展し、それがアニメ談義に昇華した頃、
帰路は住宅街から河川敷に到達していた。
大きな河川を渡す橋、
そこに差し掛かったとき。
――〝おにいちゃんっ!〟
「……」
敦の思考が一瞬、停止した。
土手と、橋の下、川。
……大事なこと……?
「おい、どうした?」
赤池が不審がって尋ねてきた。
「……ごめん、先に帰って」
少し時間をかけて、
やっと敦はそう返事した。
「え、なにそれ」
「だからごめんって。
……というか、頼む」
敦がそう呟くと、どこかただならぬ気配を感じたのか、赤池は小さく応答してそそくさと去ってしまった。
明日なにか言い繕わないとなぁ、そんなことを考えながら敦は土手の下に降りる。
市の名前にもなっている住之川は、中規模の河川で、豊富な水が今日も海を目指して流れている。
赤池がいま渡っていった橋の下周辺は砂利になっていて、この季節にはバーベキューなどをよく見かける。敦にとって、通学路という以外はあまり縁のない場所のはずだ。
そのはずなんだが……。
ぐるりと周囲を見渡す。
なんだろう。
なにか、なにかとても大事なことがあったはずだ。
突然気が急いてきた。
こんなことしている場合じゃない。
急がなくては。
急いで……急いで、
どうするっていうんだ?
〝『好き』です。
……それから、ありがとう〟
可愛らしい女の子の声。
昼間に感じた、とても大事な存在感。
……もう少し……
もう少し、記憶の奥に潜り込めれば。
もどかしい。
脳が熱を帯びている錯覚に陥る。
〝さよなら………………敦さん〟
そうじゃない。
そんな風に、
僕は呼ばれてなどいなかった。
何を言ってるんだ。
別れの挨拶なんて聞いてないだろ?
自分と、頭の片隅にいる自分が鬩ぎ合う。
夏バテだ、デジャブだ。
……そうだ、アニメの見過ぎなんだ……。




