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雨の冠  作者: 桃宮
7.七番目の乙女
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11 美貌の記録官

 日記帳に、再び一ヶ月分のカレンダーが出現した。


 次の満月は、日本のカレンダーで12月20日になるはずだ。残りひと月足らず。これを一日ごとにバツ印で消して暮らす。私がこちらに来たのは新月、水読が指定したのは満月。今度は帰るのだから、逆の手順を辿ると言っていた。


 こういった内容も、私は今までより詳しく書き記した。このノート兼日記帳は、“泉の乙女”の記録として塔か学会辺りで厳重に保管されるはずだ。“悲恋”以前の記録が残っていない事で散々苦労したので、こっちの人も私の行動や書き残した物などの情報に貪欲な姿勢を見せている。


 というわけで吹雪が止んだ頃、クラインの訪問を受けた。

 定例のインタビューだ。


 この面会に関しては、城と塔と学会の間でそれはもう壮絶なバトルがあったらしい。

 最終的に、大臣やら学会のお偉方やらから私に「クラインに会いたいか」という問い合わせが来て、そりゃ勿論問題ないなら今まで通りでと答えた所、それが後押しとなってインタビュアは継続となった。


 “呪い”が私に害を与えるのは、発作が起きている間だけ。祈雨とか今までの状況を元に考えて、一応そうだろうという事になっている。そして“呪い”の影響する所となれば、クラインの方が私を近付けないだろう。彼の判断に任せておけば大丈夫。

 そういう認識が一部を除く全方位に満遍なくあった為、彼の訪問に関して私の一言が効いたのだ。因みに一部とは水読とジルフィーである。結果には影響しなかったみたいだけど。


「でも、大丈夫なんですか? 忙しいのに」


 王様の多忙ぶりなら、私もよく知っている。

 王族なのにこんな簡単な事に時間を取らせて平気なのかと聞くと、向いに座るクラインは、ペン先を付け換えながら苦笑した。


「ミウが理由があった方が安心だと言うなら、これは学会所属員としての、また学会から依頼を受けた王族としての執務の一環だ。私に任される務めはそう多くはない」


 またまた、ご謙遜を。


「王城を離れる事が出来ない故、領主も名ばかりだ。暇を持て余すから学会に出入りしている」


 クラインも統治領を持っているらしい。前にアルス王子もそんな事をチラッと言ってた気がする。


「ここを離れられないって、立場でですか?」

「いや。痣の支配が強くなる」


 クラインはインク壺にペンを浸し、筆記板に止めた紙の上にサラサラと何か綴り始めた。多分、日付と書記名だろう。

 書き終わるまでの短い間に、城から離れると体調を崩しやすいと説明してくれた。王都周辺ならまだいいが、地方に出るとほぼアウトだそうだ。寝込む為に出掛けて行くのも意味が無いので、“呪い持ち”は一生を専ら王城の中で過ごす事になる。

 普通は王族も少年期に城下の学院に通う事になっているが、クラインやアルス王子は今の理由でそれも無理だったらしい。


 話す間、入り口にはジルフィーが立っていたが、クラインに気にした素振りはない。王様やリコ達もだけど、彼らは付き人や召使いが近くに控えていても自然体だ。堂々としていて、すごく貴族っぽい。やっぱり私とは育ちが違う。


 感慨に耽っている内に、準備が整ったようだ。これから、取材という名のお喋りをする。

 話す内容は毎回大体、こちらと私の世界との比較である。こちらに来て思う事を聞かせて欲しいと言われたら、自然と向こうとの違いについて語る事になる。


 質問の傾向は相手によって違い、雨の事とか農業の事ばっかり聞いてくる人達がいたのは、以前の状況からすると当然だろう。


 ハノンさんら神官の人達は、私がこちらに来てしまって「祖国は“泉の乙女”が不在になってしまったのでは」と心配したり、私を向こうでの水読だと思ったり、はたまた私の国には“泉の乙女”しか住んでいないと思っていたりと、カルチャーショック満載だ。


 水読やジルフィーとはそういう話をした事が無いけど、私が猛烈に帰りたがっているので、ここより暮らしやすい環境なんだろう、とは思っているかもしれない。その辺はまあ、身内もいるしね。


 リコ達女の子はもっとファンシーで、私の故郷は年中春の楽園のような綺麗な場所だと想像していたり、水の底でそれこそ人魚のように暮らしてたと思っていたり、そもそも“泉の乙女”に「故郷」があるという発想が無くて私は水から生まれたと思われてたり、お伽話そのものだ。しかし、この国の一般人が持つ“乙女”のイメージはこれが一番近いらしい。


 そう考えると王様は、こっちの人にしてはかなり科学思考だったんだなあ。パニクる私をいきなり崇めたりせず、割とただの小娘扱いをしてくれた気がする。

 地形とか人種とか、世界の作りそのものの違いに強い興味を見せていたし、機械仕掛が大好きだから、そっち系の話が多かった。あの見た目と立場なのに、子供のようにどんどん質問してくるので、私も浅い知識で頑張った。当時は謎の威圧感でめちゃくちゃ怖かったから、結構大変だった思い出だ。

 あれさえ無かったら、もっと早くざっくばらんな関係になっていたのかもしれない。

 もう少し、愚痴とか悩みとかも聞いてあげられるようになっていたのかもしれない。


「ミウ」


 名前を呼ばれ、私はハッと我に返った。

 クラインは紙の上にペン先を構え、何も書き出せず手を止めていた。私が答えないから。


「すみません、一瞬ぼーっとしてました」

「構わないが、疲れているのではないか?」


 くっきりした二重瞼を透かし、やや上目遣いにこちらを見る。彼の心配な時の表情だ。よく眠れているのかと聞かれて、コクコク何度も頷くと笑われた。彼の周りで、こんな動きをする人間はいないんだろう。


「これが終わったら、気晴らしに出掛けないか」


 そう言って、あちこちから預かってきた質問リストが書かれた紙に手を伸ばす。机の紙切れ一枚を拾い上げるだけでも仕草が繊細で、クラインこそお伽話さながらの佇まいだ。さしずめ妖精の王子様か。我ながら、よくこんな人が前に座ってるのにぼーっと出来たもんだ。

 目が合ったのでヘラッと笑い返すと、例のはにかむような微笑が向けられた。




 預かりの質問の応答と記録を全て終えると、話していた通り出掛ける事になった。

 と言っても、行き先は城の中だ。

 長袖のドレスに、裏が毛皮の白いマントを着込んで手袋とふわふわの耳あてを付け、石のカイロを持たされて部屋を出る。完全に屋外仕様の完全防備だけど、私はこれで丁度いい。廊下の寒さといったらない。でもクラインやジルフィーや元見張りのおじさんは、普通にコートと手袋、ブーツだけで平気と言うから、こっちの人の耐寒性は意味がわからない。


 しかし廊下へ出たら寒さも吹き飛んだ。

 下界は一面銀世界だった。そうだ、雪が一杯降ったんだった。すごい!

 広々とした塔の庭は回廊の周辺だけ雪が掻かれ、残りはきめ細かい新雪になっている。この前まで、落ち葉と枯れた芝生の色だったのに。

 真っ青に澄み渡る空には、山脈が嘘みたいに白くくっきりと浮かんでいる。回廊の屋根は白く丸く雪に包まれ、こんもりしたキノコみたいなフォルムがずーっと向こうまで続いている。それらの連結先である聖堂達はキノコの親玉だし、塔はまるでウエディングケーキだ。


 余す所なく日光を浴び、眩しいくらいにキラキラしている風景に心奪われ、一階を通って行こうとクラインに訴えた。庭が見える廊下に出るとやっぱり外にも出たくなり、結局庭を通って移動する事になった。なったっていうか、してもらった。

 クラインは二人の付き人の内一人を部屋の支度に遣ると、微笑んで案内を申し出た。この人も大概私に甘い。


「ミウの所は、雪が降らないのか?」

「降りますけど、住んでる街はこんなに積もったりしません。5、60センチはあるような……これでもいくらか溶けただなんて」


 城の庭は通路に沿って雪が掃かれ、灰色の石畳の隙間を埋めた雪が白い網目模様を描いている。長いスカートに隠して裏起毛のブーツを履いてきたんだけど、速攻で爪先が冷えてきた。地面の冷気で足が凍る前に、次の石を踏む。


「見てください、綺麗!」


 雪でもこもこした庭木から鳥が飛び立ち、揺れた枝からキラキラと粉雪が広がった。

 クラインは腕を貸さない代わりに、私が滑って転ばないようによく目を配っていた。後ろを付いてくるジルフィーとおじさんも同じだろう。若干、私のテンションに引いているかもしれない。

 引かれたって、雪はすごい。惜しみなく降り注ぐ、晴れ晴れとした日光も最高だ。鼻が凍る程寒いけど、頬に受ける冷たい風すら、何故か私を幸せな気分にさせる。


「ミウは娘のようだな」


 クラインが、金色の髪を靡かせて私を振り返った。風が吹く度に、雪の照り返しに負けないくらい輝きが零れる。白い頬は寒さで薄く薔薇色に染まり、いっそいつもより健康そうだ。

 因みに娘のようだ、とは何を当たり前の事をと思うかもしれないけど、要するに「子供みたい」と言われたのだった。こっちでは私の年齢は「娘さん」ではなくて「淑女」であるべきなのだ。……笑って誤魔化そう。

 クラインは、今の私の様子も全部記録に書くと言った。


「冗談ですよね?」

「本気だ」

「嘘」

「本当」


 この前の“泉の乙女”は雪に大はしゃぎでまるで子供でした。

 とか、なんの役にも立たない。振り返って同意を求める。サイボーグ並に無反応なジルフィーはともかく、まともな人間のおじさんは、なんと答えたものかと困ったように笑っている。

 私も笑った。

 帰れると決まったら、何もかもが輝いて見える。夜の闇の中では不安に思えた事も、昼間の太陽の下だと不思議と溶けて消えてしまう。

 理不尽で辛い事も沢山あったけれど、ここはとても綺麗な世界だった。今もこんなに綺麗で、親切な人達が暮らしている。私が呼ばれて、雨や雪が戻って良かった。

 踊り出したいような気分の私の頭上に、バサッといきなり鳥が飛んできた。


「わっ」


 びっくりして仰ぎ見た空には太陽、そして鳩くらいの大きさの二羽の鳥。後から聞いたけど、クラインがよく庭で餌付けをしているので、姿を見つけて飛んできたらしい。なんで後で聞いたかと言うと、私はそれに驚いてずっこけたから。

 咄嗟に鳥を避けようとして滑って裾を踏み、もんどり打って通路脇に盛大にコケた。


「ミウ」


 雪の中に尻もちをついた私の元へ、クラインが駆け寄ってくる。やば、恥ずかしい。


「すいません、調子乗りました……これも書きます?」

「書くべきかもしれない」

「うわ、意地悪」


 一歩、二歩と雪に分け入る彼は苦笑している。


「やめときましょうよ。紙とインクの無駄ですよ」


 クラインは手を差し伸べかけて途中でふと止め、手袋をした自分の手を見た。その時はもう、笑っていなかった。若葉の色が混じった金茶の瞳が瞬く。


「無駄な記録などない。可能なら、ミウの全てを残しておきたい」


 私はポカンとその目を見上げた。

 そして、悟った。

 私がこれから、どうするべきか。


 応える前にジルフィーが追いついた。大股で私の後ろへ回り込むと、両脇から抱き起こそうとする。幼児のように持ち上げられて石畳まで運ばれる予感がしたので、うわーいいです、と断り、代わりにクラインの手を掴んだ。

 見下ろす綺麗な目が、驚いたように見開かれる。クラインはすぐに思い直したようにぐっと手を引き、私を支えて通路まで出た。


「怪我は?」

「大丈夫です。ごめんなさい」


 謝りつつ、マントと裾に付いた雪を払う。クラインは手袋を嵌め直しながら、私の支度が整うのを待っていた。

 控え目な表情の彼が、今何を思ったかは分からない。手袋越しとはいえ手を掴んで、ジルフィーに怒られるかもしれない。

 でも、いいのだ。

 帰るまでの短い時間、私の存在に価値があるのなら、私には、やらなければならない事が幾つかある。



 ◇



 それから庭を抜けて、再び城内へ入った。

 クラインは私を、雪の庭がよく見える部屋へ案内すると言った。この前無しになったお昼を、そこで一緒に食べるのだ。


 城はとても広い。今まで入った事のない棟に進み階段を上がる。踊り場には横長の、大きな湖畔の絵が掛けられていた。そこを過ぎて更に上がると、今度は森で花冠を編む少女達の絵。

 クラインが、神話派生の物語を題材とする絵だと教えてくれた。城にはよく、こうした物語の絵や肖像画が飾られている。

 絵と言えば昨日、大臣から肖像画を描かせてくれと申し込みがあった。写真の代わりである。

 残るの? 私の絵が? 私だよ??

 断りたいような気もしたけど、まあ断れない。こちらの人の心理としては、何が何でも描き残したいみたいだ。


「“泉の乙女”は、絵も残ってないんですよね」

「ああ」


 少女達の絵が描かれたのは、少なくとも“悲恋”が現れるより前らしい。“叡智”以前はともかく、“悲恋”の絵も残っていないのはとても不思議だ。

 肖像画ではなくて想像画だったら、宗教画というか神話芸術の一環として残っていたりはする。前に幾つか見せてもらったけど、完全にこちらの人種の黒目黒髪で、色だけ変えて現地人をモデルにしたのは一目瞭然だった。


 因みに塔が水読の絵姿を残してはいけないと定めているので、その延長で“泉の乙女”も残っていない……という理由も考えられると、クラインは説明してくれた。昔の方が塔の規範も厳しかったようだ。今回も一応、城側からの依頼という形で絵に残すみたいだし。


 話しながら廊下を歩いて、ふと既視感に襲われた。


 絨毯の敷かれた直線通路、右手側に窓がずらり。

 北側だから少し薄暗い。

 でも、すぐ気のせいだと思った。城の廊下は、ここに似たような場所が幾つもある。

 忘れかけた頃、部屋に着いた。


「ここだ」


 廊下の突き当りの部屋だった。クラインの付き人が、金縁の入った白い扉を開ける。

 暖められた室内に一歩踏み込むと、若草色の壁紙が目に入った。そこに映える、白いガラスのランプシェード。鮮やかな黄色のソファは、背もたれに花の彫刻。お揃いのテーブル。


「ミウ?」


 呆然とする私に、クラインが不思議そうに声を掛ける。

 暖炉で火が燃えている。そして、外は晴れている。そこが、デジャヴの中で異なる点だった。

 それからもう一つ、壁に掛けられた楕円形の沢山の額縁の中身が違った。

 薔薇の花は一輪もない。ただ銀色に光っている。

 その部屋には絵の代わりに、沢山の鏡が掛けられていた。


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