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雨の冠  作者: 桃宮
7.七番目の乙女
86/103

9 愚者の知恵(3) -- 意図を探る

 もっと急いで話せば良かった。まだ本題に届いていない。


 こちらへ歩いてくる姿を見て、私は後悔していた。約束された時間は、思ったより短かった。要するにジルフィーは、これを読んでいたのだ。水読が今日中に私の部屋を訪ねないわけがないし、それが夜で私もジルフィーも居ないとなれば、そりゃこうなる。


「ミウさん」

「は、はい」


 弾かれたように立ち上がって、そんな必要は無かったのだと思い至る。水読は気にした様子もなく、ソファの手前で立ち止まると私ににっこり笑い掛けた。


「こちらに居らっしゃると聞いて、驚きましたよ。言葉が戻ったんですね。安心しました」

「あ、はい……」


 非の打ち所がない、清らかな聖者の微笑みだ。しかし水読が今一歩足を進めた時、私は思わず後ずさった。

 しまった。明らかに過剰反応だ。

 思わずチラッと王様を窺うと、水読の表情が凍った。でもそれはほんの刹那で滑らかに消え去り、美しい笑みの形に溶け込む。


 王様は私にも水読にも声を掛けず、まず侍従に杯の追加を言いつけた。速やかに召使い達が入ってきてテーブルを整え始める。

 周囲に構わず、水読は立ったままの私の前でゆっくりと片膝を突いた。


「お手を宜しいですか。体調を見せてください」


 恭しく請われ、私は観念してのろのろとソファに掛け直した。そろりと右手を差し出すと冷たい手に取られ、押し頂くようにして狭い額に当てがわれる。

 水読は私を“読む”と、不思議そうに少し目を開いた。一度離してから再び額をくっつける。何か違和感があったようだ。しかし少し経つと、礼だけ言って額を離した。

 握られたままの手は、私は普段なら文句の一つも付けながら取り戻すんだけど、今日は自分から動く事が出来なかった。

 見慣れた顔が半分くらい、知らない相手のように見えたから。


 こちらを見上げる薄い色の目を、伏せがちな睫毛の影が覆っている。

 シャンデリアの金色。「星」の銀の粒。

 硬直している私を映し、その瞳がすうっと静かに笑い掛け――息が詰まる――。


「問題無かったのか?」


 王様が沈黙を破り、水読はそこでようやくその存在を思い出した、というように視線をやった。


「ええ」


 白々しい。

 そう思ったが、口出し出来る雰囲気ではない。私は手を引き抜いて膝の上で握ると、俯いて息を吐いた。視線が外れてホッとしていた。気まずい。自然な態度がどうだったのか、全然思い出せない。

 水読が、ここに来た意味を考えるのが怖い。



  ◇



 話の続きは、王様の召使い達が退室し三人だけになってからだった。

 水読は、出された酒杯に手を付けなかった。果物やナッツ類は元より、今日はお茶にすら手を出さない。ただ隣に腰掛け、私が帰ると言うまで待っている。


 私が中々話し出さないので、水読が先に必要事項を語り始めた。

 私の体調は、正常に戻っているらしい。逆に言うと、大きな変化が無いのに言葉が戻った事が、水読には疑問のようだった。


「心当たりはありませんか?」


 私は首を横に振る。

 寝て起きたら治っていた。発熱や胸元の痣も同様だ。

 でも正確に言うなら、痣が昨夜水読が居る内に完全に消えていたのか、それとも一晩眠る間に収まったのかは分からない。言葉だって、眠る前に戻っていた可能性もゼロではない。私は昨夜、水読と殆ど話をしていない。

 そう言えば、その反動か沢山会話する夢を見た気がする。


「夢ですか」

「はい」


 学生の頃の夢を見たのだと一応話すと、王様と水読は揃って私に今後、夢の内容を記録するよう勧めてきた。珍しく気が合っている。


「今回のは、ただの昔の記憶だと思いますよ?」

「お前、以前も夢を見たと話しただろう。俺の調子が変わったのはその直後だ。自覚が無くとも、少し疑った方がいい」

「疑うって、どういう……」

「眠っている間に、何か成している可能性があります。ミウさんは“泉の乙女”ですから、意識が無い間の方が本領発揮出来るというのは、おかしな話ではありません。夢は日と水の間のものと位置付けられますし、要素としては水寄りです。“泉の乙女”にとって扱い易いという事は、十分あり得ます」


 この国で、水と眠りとは親しいものである。

 すると目覚めた状態は「日」となり、眠りながら目覚めている「夢」は、それらに継ぐ三番目の性質となる。「夢のお告げ」も、こっちの文化の方が余程信憑性を持って捉えられる。

 ……私に、何らかの特殊能力があると思うんだろうか? 私自身は正直、あまり期待していない。でもそう言うなら、一旦それはそれとして。


 私が未だここに居座っている理由は、王様に“悲恋”の手紙の内容やその他諸々を相談する為だ。今ならついでに水読もいて、他に介入者はない。

 私は握りしめていた日記帳を開き、カップを避けてテーブルに広げた。




 “悲恋”の手紙と“叡智”の手紙が、同じ内容だったこと。

 しかも何故か“悲恋”のものを、それより300年以上昔の人である“叡智”が、これまた何故か英語で訳していること。

 宛名が「七番目の乙女へ」とされていたこと。

 それらをまず説明した上で、帰りたいなら、と始まる前半部分の忠告らしきものを読み上げる。


 ――時の水読を頼りなさい。

 こちらの人間と、出来る限り約束をしてはいけない。

 既に約束をしてしまっていれば、果たすか反故にするのが良い。

 新たに因果を結んではならない――それが多分「言葉の呪術で縛る」という事に当たる。


 そこまで話すと、王様が水読を見て、水読は一つ頷いた。


「理に適ったご忠告と言えるでしょう」


 そうなの?


「ですが、二通の内容が同じというのは謎ですね。“叡智”の方のお手書きを“悲恋”の方が写した、という事は?」

「無いと、思うんですけど」


 サワ・イワオキという署名が“叡智”の方にも書かれていた。“悲恋”が英語を読めるとは、私の常識では考えにくい。百年前の日本女性でそれは、中々の確率だろう。もっとも普通の人だったなら、という話になるけど。

 とりあえずその事と、それぞれの手紙が何故読めて、何故読めなかったを説明すると、やはり“叡智”が“悲恋”の手紙をわざわざ翻訳したらしい、という結論になった。

 どうやって、と言うのは愚問だろう。普通の人じゃなかったパターンだ。


「“叡智”と名が付いた方ですから、その手の力をお持ちだったのかもしれませんね」

「その手の力?」

「先見か」

「あり得ない事はないでしょう」


 先見とはつまり、未来を見透す力だ。王様や水読は、“叡智”が「予見者」だったのではないかと言った。

 神官の中にも稀に存在したという「先見」。時代を遡れば、そういった伝説は数も増える。前に私の夢に関しても同じ話題が出たし、こちらの認識で“泉の乙女”と未来予知の可能性とは親和性が高いらしい。

 確かに、それなら辻褄は合う。

 二つ名は数少ない“乙女”の情報の中で唯一はっきりしている特徴で、多分普通では考えられない色んな事を知っていたから“叡智”なのだ。

 ジルフィーが説明した「“叡智”の力は言語の壁を超えるもの」という事については、話題に出なかった。言っていいのか怪しかったので、私もまだ黙っている事にする。


 次の宛名に関しては、水読も王様も私とそう違う答えを持たなかった。

 そもそも“泉の乙女”に関しての記録が不自然な程残っていない以上、宛名を「七番目」とした過去の“乙女”の意図も、どこかで一人記録に残らない“泉の乙女”が居たのかという疑いも、過去の記録の綻びから導き出すという事が出来ない。穴の方が多すぎる。

 頼りは捺印の花弁の数だけ、“悲恋”が数の綴りを間違えた可能性だって、全然馬鹿にできないのが現状だ。

 水読の反応も芳しくないので、王様はこの辺りは学会に任せると私に確認を取った。


「では、理に適った言、というのは?」


 王様が尋ねる。

 約束をしてはいけないと書かれていた事についてだ。水読の知識が生きるのは、寧ろこの手の内容だった。


「向こうにお返しすべき方とこちらのものを結び付けたままにしてはならない、という事でしょう。過去の“泉の乙女”がそれを懸念されるなら、然るべき作用があるはずです。出来るだけとあるので、瑣末なものまで厳格に断ち切る必要は無いのかもしれませんが、可能な限り解消したいですね」


 その説明を、私はすんなりと飲み込めた。

 出来る限り、約束をしてはいけない。

 新たに因果を結んではならない。

 この二つは同じ意味だ。約束とは予てから未来に向けて縁を結ぶ行為で、因果の最たるものだから。


 そして、因果は糸。

 地下の泉を通って、遠い日本まで、ピンと糸が張られる様が脳裏に描かれる。

 水読がどのようにして私を向こうに送るのかは分からないが、そうやって繋がりがあると返しにくいんだろう。


「私、手紙を読む前に水読さんと約束しました」


 “悲恋”の手紙の内容を教えると約束した事を話すと、水読が頷いた。


「それから、婚約破棄の要求ですね」


 書類を交わしているので、こちらの方が約束の度合いとしては強い。それについては、王様はとっくに予想していたようだ。


「良いだろう。だがそれは、ミウの帰国直前まで有効とする。理由は言うまでもないな?」

「貴方は本当に失礼な人ですね」

「すると、俺はその時期を把握しておらねばならぬ訳だが」

「今すぐ破棄なされば、その必要も無くなりますよ」


 軽口を叩く水読の、本当の所はどうなのか。

 私は、足元から天井まで伸びる大きな窓の方を見た。

 重い暗色のカーテンの束があり、その下に薄布の幕が垂れる。隙間から見える格子枠。分厚い窓ガラスの向こうは半円型のバルコニーで、そのまた向こうは夜の空だ。

 部屋の火に照らされ、濃紺の空に白い影が踊っていた。昼間の雨は、いつの間にか雪に変わっていた。結構な降り方だ。沢山積もるんじゃないだろうか。


 雪。

 心臓がドキドキする。

 お兄ちゃんに、会いたいなあ。


「この前から、雨は呼んでいません」


 口を開くと、パチッと薪が爆ぜた。

 王様は手を止めてこちらを見た。

 水読は、暖炉の上の鏡を見ていた。


 帰れる。


「“二の月”がどうのと言っていたのは、どうなったんだ」

「例の手紙に記載が無ければ、それで構わないんですよ」


 王様の問を、水読は受けて立った。目を見て答えていた。

 絶対に言ってはいけない、と止められていた事を私が暴露しても、水読は怒らなかった。


「帰還の方法は、説明しても仕方がないでしょうね。水読の管轄です」


 ごく普通に、何でもないように王様にも手順を説明する。


「場所は、地下祭壇の源泉からお返しします。あの場所がミウさんの国と繋がっている地点ですので。その際私は、塔の上階で力を揮う事になるでしょう。これは泉の真上で行う必要がある為です。ここからが重要ですが、周囲に知られないよう気をつけてください。妨害を受けると面倒です」


 注意事項を言い渡され、私はやや緊張を持って聞いた。

 ――帰れるんだ。

 いつ……?

 そう尋ねたいのに、唇が震えて出てこない。代わりに王様が聞いてくれた。


「時期は」

「次の満月に」


 次の満月。

 この前、丸い月を見た。今は、欠けゆく月齢だったはず。


「すぐですよ」


 ごく短く答え、水読は冷めたカップに手を付けた。




 ◇



 王様の部屋から塔に戻る時は、ぞろぞろと大人数だった。

 部屋の外にはジルフィー以外にも、詰め襟の制服を着込んだ塔兵がずらりと並んで待っていた。顔見知りの姿もある。見張りのおじさん達である。こんなに大所帯だったとは。


 ランタンに先導され、私は窓から雪空を眺めながら塔に戻った。寒い廊下から部屋に飛び込み、今日はもう、水を引く事もなくさっさとベッドに入る。不足は無いようだったし、夜更かしするとサニアがいい顔をしない。


 しかし部屋が暗くなった後も、ドキドキして寝付けなかった。

 色んな想いが頭の中で飛び回る。かなり興奮している。浮かれる気持ちと、うまくいくだろうかという不安と。


 ――水読は。


 私は息を吐き出した。

 水読は、ちゃんと私を帰してくれるだろうか。

 そして本当に、無事に日本に帰れるんだろうか。


 “悲恋”の記録がもっと残っていれば。

 “叡智”はどうしてあんな不可解な手紙を残し、そしてそれ以外は残してくれなかったんだろう。彼女は、帰ろうとは思わなかったんだろうか?

 その前の“乙女”達は一体。記録はどこに?

 我が身に起こり得る事の前例を聞けないというのは、中々怖い。


 寝返りを打り、カーテンを開けたままの窓を見た。

 外が薄ぼんやりと明るいのは、月が昇って雪雲の中で光っているからだ。その明かりを背景に、雪が今も降り続いている。踊るように舞っている。後から後から、少なくとも今晩中は、ずっと止みそうにない。

 とても綺麗だ。

 窓を眺めて、朝まで過ごせそうな気がした。

 けれど私は、いつしか眠りに引きずり込まれていた。




 ◇ ◇ ◇



 城の廊下を歩いている。


 絨毯が敷かれた天井の高い通路は、片側がずっと窓になっている。

 さっき部屋に帰ってくる時のような感じだ。


 私は一人きりだった。


 窓の外は、霧。

 明るくも暗くもなく、物の輪郭がわかる程度の鈍い光。

 廊下は延々と続いていた。

 同じ景色が、途方もなく続いている。

 ずっと歩き続けても、どこにも突き当たらないような気がした。

 誰にも会わないような気がした。


 廊下の真ん中、宙に浮くように、ぴかぴか光る糸が一本通っている。

 それは蜘蛛の糸のように漂い、時々光が走るように煌めいた。

 私は、どうすればここから出られるか分かっていた。

 この糸に触れればいいのだ。

 腰の高さ程の所をフワフワしている。すぐ手が届く位置だ。


 ――触れて良いものだろうか?


 手を伸ばし、一旦ためらう。

 しかし結局、意を決してその糸を掴んだ。

 怖くなったのだ。

 永遠に終わらない、誰もいない薄暗い廊下は、隅の方から闇が迫っているように思えた。


 糸を辿り早足で進むと、案の定突き当りが見えてきた。

 白塗りに金縁の扉がある。

 ノブも金、ノッカーは無く、私の体に丁度合ったような大きさの扉だった。

 ぴったりと閉まっている。

 糸は、戸板をすり抜けて向こうへ続いていた。

 私は扉を開けた。


 そこは綺麗な応接間だった。

 城の客間の中では比較的小さい規模だろう。


 薄い若草色の、植物柄の壁紙に、白い硝子のシェードがついたシャンデリア、燭台が幾つか。

 大きな本棚。

 暖炉の上に鏡は無いが、楕円形の額縁が沢山掛かっている。

 絵は、何も入っていない。

 まっさらなそれを不思議に思っていると、その内の一つにふわっと薔薇の花が浮き上がった。


「これでどう?」


 振り返ると、黒い髪の男の子が立っていた。

 名前が頭の中で翻る。

 結構長い名前だ。


「綺麗だね」


 褒めると男の子は嬉しそうに笑い、他の額を指差した。

 指した順に、端から額縁の中に絵が浮かぶ。

 白、黄色、桃色、オレンジ、真紅。

 重なり合う花びら。どれも優雅な花々だ。

 ただ、青い色の花は一つも無い。


 全ての額縁を花で埋めると、男の子は寛いだ雰囲気でソファに腰掛けた。

 黄色いビロード貼りのソファは、木枠の部分に花の彫刻が施されている。

 傍にお揃いのテーブルもある。

 かわいい家具の上で、彼は足をぶらぶらした。

 14、5歳という印象だったが、見た目よりも幼いのかもしれない。


「今日は、確認だよ。ちゃんと道が分かったでしょう?」


 私は頷く。


「僕を覚えていて。そうしたら、一緒に考えてあげられるから。一緒に探して、見つけてあげる」


 声というより空気が、繰り返しそう伝えてくる。

 男の子は、随分人懐っこい性質のようだ。

 私に、親切にしたがっている。


 でも、誰だった?


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